この映画は一度投稿したのですが書き直して再投稿でございます。ロングバージョンです。
監督はリュック・ベッソン。ニキータ、レオンでおなじみ。グラン・ブルー、ニキータ、レオン、そのほかの作品でも、人間社会に交われない人間を描いてますよね。
最初に見たのは1993年ごろだったか。主演のジャン=マルク・バールが本当にイルカと会話できそうな人にみえました。敵意とか怒りとかが根こそぎないみたいな印象が強く残りました。俳優さんとは思えず、イルカ調教師とかの素人さんかなと思ったのを覚えてます。
1993年ごろ有楽町のどこかの映画館で観たのですが、そのときのパンフレットがこれ↓数ある引っ越しを乗り越え捨てられなかったパンフレットの一つ。久しぶりに読み返しました。
裏表紙がこれ^^↓このCMいまだに覚えてます。
そしたら、パンフレットにジャック・マイヨール役のオーディションについて書かれていたので、勝手にシェアさせていただきますね:
ジャック・マイヨールは、人間が地べたを離れることも可能だと体現し、人間の神話がひとつ増えることを許した、生きながら伝説を世界中の海に残した男なのだ。リュック・ベッソン監督は、そんな“ひとりギリシャ神話“なジャック・マイヨール役を探し求めて、世界中をオーディションして回らねばならなかった。
実際その時点ではクリストフ・ランベールもミッキー・ロークも、マシュー・モディーンもメル・ギブソンも、みんながベッソン監督とジャック・マイヨールについて何らかの談義をした。彼らの中には監督の思い描くジャックに限りなく近い俳優もいたという。資格の基準も25歳~30歳で人間的に寛容であること、海に興味があり水を恐がらないことと単純だった。けれどみんなは何かしらの理由で《魚》になり損ねた。
パリ、ニューヨーク、ロサンゼルス、ローマ、ロンドン・・探し求めるキャスティング時間もあとわずかに迫ったとき、監督ベッソンの前に、ふらりと現れたのがジャン=マルク・バールだった。
「短い髪、青い透き通るような瞳、子供のような手と甘く奇妙なほど穏やかな声。私たちは言葉を交わし始め僕の中のアンテナが騒つき始めた頃・・2分もたたないが・・急に彼が笑い出した。僕は驚いて彼に理由を尋ねると”だって君があまりにも若いからさ!” 600人もの俳優たちがみんな僕という《映画監督》に会っていたのに、彼だけは僕をひとりの《人間》として見ていたのだ。その瞬間、僕の頭の中のコンピューターからこう書かれたカードがはじき出た。”彼こそイルカだ”。
そのほか、シーンどれもが目に快感を与えてくれるし、実在の人物ジャック・マイヨールの協力のもと製作されているので手ごたえ十分です。
話はジャック・マイヨール(ジャン=マルク・バール演じる)とエンゾ(ジャン・レノ演じる)の主要人物二人の特別な海との関係を描いていて、陸にあがった哺乳類が「いやだ、いやだ、どうしても海に帰るんだ!!」と駄々っ子のように泣いているみたいに見えました。純度をつきつめた人間の悲願??普通の人間には知りえない領域だあ。
そんな深淵なテーマへ、プールでワインとか、イルカを散歩させるとか、イタリアのママの絶対的存在とかを投入し、観客を飽きさせない、飽きさせない。単純にリュック・ベッソンって何もの?と思う(え?いまさら?)
ラストちかく、エンゾは素潜りに失敗し、ジャックの腕の中で死にます。そのとき「やっぱり海の中がいい。連れてってくれ」とジャックにいいます。ジャックは重しをもって亡くなったエンゾを抱きかかえて海底へ行き、エンゾを手放します。海底へゆっくり吸い込まれるエンゾ。
ジャックもエンゾの死に突き動かされ、海に呼ばれるようにうなされ、海に帰るために海に向かいます。ジョアンナ(ロザンナ・アークエット)が慌てて追いかけ妊娠していると告げますが、ジャックをとどまらせることはできない。
ここでジョアンナのセリフがあります。 "Go and see my love"
敢えて訳すと「行きなさい、そして私の愛をみてきなさい」になります。ジャックはジョアンナに背を向けたわけじゃないけれど自分の業みたいなものに従って海に行く。ジョアンナの愛とジャックが見に行く愛は違うものなのかもしれないけれど。
ところで映画の序盤に「人魚にあいたければ海底にいき、本当に純粋に死を覚悟していることが伝わったら人魚にあえる」という話があって、ジョアンナのこのセリフとリンクしています。
いわゆる伏線回収の形になっておりますがテクニカルな見方はしたくない。
・・・この映画に関してはこのように感じるのでした。



