その日、私はおばあちゃんの部屋に泊まっていました。
先生からも、一週間も持たないかもしれないねと言われていました。
夜の6時頃から、痰の絡んだ息をするようになりました。
介護士さんに伝えて、口腔ケアを何回かしてもらいましたが、看護師さんは帰宅しているので、喉の痰は吸引できないとのことでした。
だんだん息が早くなっているので、夜になっても心配で眠れませんでした。
夜中に介護士さんが一時間ごとに酸素飽和度や血圧、体温を計りにきてくれます。
母に連絡したほうがいいでしょうか?と聞くと、まだ大丈夫だと思いますよとのこと。
夜中に介護士さん2名でオムツも変えてくれていました。
だんだん下顎で息をするようになりました。
下顎で息をするのは、亡くなる時が近いとネットでみたことがあります。
おばあちゃんの耳元で、「おばあちゃん、理奈がいるからね、大丈夫やからね、大好きよ」と言って、手を握ったら、今まで口をあけて息をしていたおばあちゃんが、口を閉じました。
あれ?と思い注視しても、息をしてる感じがありません。
数秒後、また口があきました。
でも、息をしている様子がありません。
すぐに介護士さんを呼んでみてもらいましたが、亡くなっていました。
最後、大好きよと伝え、手を握っておばあちゃんは亡くなりました。
亡くなったとわかり、おばあちゃんの耳元で「おばあちゃん、よう頑張った!今までよく頑張ったね! 」と伝えました。
最後の最後まで生き抜きました。
亡くなる五日前にはおばあちゃんと最後の散歩にもいけました。
96年の人生を生き抜きました。
娘や孫たちに、最後の最後までいろんなことを教えてくれました。
生きること、老いること、死ぬこと。
老衰で穏やかな最後だったと思います。
その日の午前中にホームから自宅におばあちゃんは帰りました。
おばあちゃんは娘を四人生んでます。
母以外の伯母さんも全員実家泊まりました。
土曜日に湯灌をし着物を着たおばあちゃんは、キレイに若返った20年前のおばあちゃんになりました。
土曜日にお通夜、日曜日に告別式をおえました。
告別式ではおばあちゃんが生前、「これを聞きながら死にたい」と言っていた、ナット・キング・コールのモナリザをかけました。
バスに乗りながら、いつもと変わらない景色なのに、おばあちゃんはもういない。
おばあちゃんに会えない。
おばあちゃんの声も聞けない。
おばあちゃんの手を握れない。
おばあちゃんはもういない。
おばあちゃんに会いに行くことはできない。
と思うと悲しいです。
でも、死は避けては通れないもの。
おばあちゃんのぶんも、私はこれから生きていきたい。
そう思います。
おばあちゃん、ありがとう。
ありがとう。
ありがとう。
天国でまた会える日を楽しみにしています。