おばあちゃんありがとう | 京都暮らしdiary☆

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2014年3月23日に結婚☆
その日から京都で新生活を始めた、子なし主婦のdiaryです♪

先週の19日の夜中2時すぎに、おばあちゃんが亡くなりました。

その日、私はおばあちゃんの部屋に泊まっていました。

先生からも、一週間も持たないかもしれないねと言われていました。

夜の6時頃から、痰の絡んだ息をするようになりました。

介護士さんに伝えて、口腔ケアを何回かしてもらいましたが、看護師さんは帰宅しているので、喉の痰は吸引できないとのことでした。

だんだん息が早くなっているので、夜になっても心配で眠れませんでした。

夜中に介護士さんが一時間ごとに酸素飽和度や血圧、体温を計りにきてくれます。

母に連絡したほうがいいでしょうか?と聞くと、まだ大丈夫だと思いますよとのこと。

夜中に介護士さん2名でオムツも変えてくれていました。

だんだん下顎で息をするようになりました。

下顎で息をするのは、亡くなる時が近いとネットでみたことがあります。

おばあちゃんの耳元で、「おばあちゃん、理奈がいるからね、大丈夫やからね、大好きよ」と言って、手を握ったら、今まで口をあけて息をしていたおばあちゃんが、口を閉じました。
あれ?と思い注視しても、息をしてる感じがありません。
数秒後、また口があきました。
でも、息をしている様子がありません。
すぐに介護士さんを呼んでみてもらいましたが、亡くなっていました。

最後、大好きよと伝え、手を握っておばあちゃんは亡くなりました。

亡くなったとわかり、おばあちゃんの耳元で「おばあちゃん、よう頑張った!今までよく頑張ったね! 」と伝えました。

最後の最後まで生き抜きました。

亡くなる五日前にはおばあちゃんと最後の散歩にもいけました。

96年の人生を生き抜きました。

娘や孫たちに、最後の最後までいろんなことを教えてくれました。

生きること、老いること、死ぬこと。

老衰で穏やかな最後だったと思います。

その日の午前中にホームから自宅におばあちゃんは帰りました。

おばあちゃんは娘を四人生んでます。
母以外の伯母さんも全員実家泊まりました。



土曜日に湯灌をし着物を着たおばあちゃんは、キレイに若返った20年前のおばあちゃんになりました。
土曜日にお通夜、日曜日に告別式をおえました。

告別式ではおばあちゃんが生前、「これを聞きながら死にたい」と言っていた、ナット・キング・コールのモナリザをかけました。


バスに乗りながら、いつもと変わらない景色なのに、おばあちゃんはもういない。

おばあちゃんに会えない。

おばあちゃんの声も聞けない。

おばあちゃんの手を握れない。

おばあちゃんはもういない。

おばあちゃんに会いに行くことはできない。

と思うと悲しいです。

でも、死は避けては通れないもの。

おばあちゃんのぶんも、私はこれから生きていきたい。
そう思います。

おばあちゃん、ありがとう。

ありがとう。

ありがとう。

天国でまた会える日を楽しみにしています。