SM小説 -16ページ目

SM小説

酒を飲みながら書く小説

「まつかもしれない、まつかもしれない」

 後ろから緑蛙が必死に追いかけてきていることを、喉飴は知っていた。でも振り返らずに病院の階段を勢いよく下った。一歩一歩の振動が、両手足の包帯を通じて、傷口をギスギス刺激する。

 一階まで一気に駆け下り、明かりの付いているナースステーション前は屈んで歩伏する。

 正面玄関に立ち尽くしたが、自動ドアは開いてくれなかった。

「もおお! こんな時にどうしてなの?」

 喉飴は文明の利器に不満を抱きながら、非常口が無いか、静かにそれでいて急いで探し回った。


「もしもし、こっちは順調だ。そっちはどうなってる?」

「こっちは――」

「こんなにもうまくことが進むとはね、ふふふ。また掛ける」


 非常口の緑色の蛍光色を発見した。そのデザインは、白い人間が今にも扉の外へ飛び出そうとしている。

 喉飴はその人間より大胆な格好で非常口から飛び出した。

「痛い」

「痛っ」

 喉飴は出会い頭に言葉を発する何かとぶつかった。それはどう見ても精治だった。どうしてこの人はいつも物凄いタイミングで現れるのだろう? そう感じずにはいられなかった。

「の、喉飴さん!」

「精治君、どうしたのこんな夜中に病院で」

「い、いや。正面玄関が開かなくて、どこからか入れないかと。痛てて」

「あっ、風邪引いてるんじゃ!」

「そうも言ってられません」

「家で寝てなきゃ駄目だよ。どうしてこんな所に」

「喉飴さんが、入院してるって聞いたから……」

「あれま……そうだったんだ。ああ! 精治君、大変なの。とてもまずいことになってるの」

「えっ? えっ?」

「とにかく急いでエノキポケットのスタジオに行かなきゃ!」

「は、はぁ。でもこんな時間には、さすがに誰も居ないかと……」

「みんなが危ないの!」

 喉飴は精治の横をすり抜けて走り出した。傷の痛みも精治との衝突の痛みも、とりあえずどっかに置いてきた。

「喉飴さん!」

「何?」

 精治は、ポケットから鍵を取って、振ってみた。

「車のほうが速いですよ」


 白の軽自動車が多摩川を越えて神奈川県に入った。
「もっと飛ばして! 精治君」

「一般道で80キロはやりすぎですよ……捕まっちゃいます」

「いいから、飛ばして! 警察が着いてくればそれはそれで都合がいいの」

「へっ?」

 精治は何が何やらわからぬまま、言われるままにアクセルを踏み込んだ。

 しばらくして、精治は減速した。

「ちょっと、どうしたの?」

「喉飴さん、赤です。さすがに信号無視はできません」と精治は目の前に迫る、信号を指差した。

「ううう」、喉飴は拳をグーにして力強く握り締めた。すると、歩道をフラフラ歩いている人間に目が止まった。

「あっ、里美?」

 深夜にパジャマ姿の女がフラフラと徘徊している。それは紛れもなく里美だと、喉飴にはわかった。


「里美!」、喉飴は手動の窓を開けて叫んだ。

「ちょ、ちょっと何してるのあんた!」、里美は叫び返した。

 車に近づいてくる里美の顔つきが変わった。

「あんた、その人。どうして……何考えてるの?」

「えっ?」

 里美は車と反対方向に走り出した。喉飴は待っててと精治に告げて、里美を追いかけた。さっき喉飴を追いかけてきた緑蛙と同じように追いかけた。

「里美、待って。どうしたのよ!」、手足が痛んで思い切り走れない。その痛みを必死にこらえ里美の手を掴んだ。

「待って、よ」

「……」

「どうしたの?」

「途中でタクシー代が無くなったから、歩いてたのよ」、里美は呼吸を整えている。

「そうじゃなくて、なんで逃げる――」

「だって!」、真っ暗な林道に里美の声が響いた。

「だって、どうして、どうして喉飴があの人と一緒に車に乗ってるの? あんたは病院で寝てるんじゃなかったの?」、里美は泣き出した。

「そ、それは。理由があって」

「じゃあ、どうして私の好きな人を取っちゃうの」

「えっ?」

 喉飴の体から力が抜けて、里美の手が離れた。里美はゆっくり歩き出し、少しずつ速く歩き、そのまま走り去っていった。喉飴はその場にしゃがみこみ、後を追うことができなかった――


「んふふ、それがさ、好きな人がいるんだよね」

「ほんと! 誰々、どんな人?」

「むふふ、たまにうちにくるお客さんなの。昼しか来ないんだけどね」

「うんうん」

「何かね、寡黙で知的な雰囲気なんだけど、隠れた悪戯心を持ってそうというか、何というか」

「うんうん、ようは顔がタイプだったんだよね」

「バレたかあ」

「うんうん、だって里美は昔から、顔のタイプで好きな人を決めてたもん」

「うふふ、よくご存知で」

「大丈夫? 飲みすぎじゃない?」

「夜は長いのよ。まだまだこれから」


 ――昨日の里美との会話が蘇る。

「その人は精治君なの? そんなことってある?」

 喉飴はそのまま冷えたコンクリートに横になった。何だかもう、どうでもよくなった。向こうの方から誰かが足音を立てて、走ってくる。でももういい、誰でもいい、どうでもいい。喉飴はゆっくり目を閉じた。