日本にしかできないこと | ドクター・ハオの日記

日本にしかできないこと

俺は浜松に住んでもう一年以上が過ぎた
こっちの生活は名古屋との生活と大きな違いがある

笑ってこらえてのダーツの旅で田舎の人が取材の人に収穫したものを上げる暖かいシーンがここ浜松でもよく見られる

イベントがあれば生シラスが出たり、マグロの兜がでたり贅沢の食べ物を口にすることができる
商品であるはずのものを通貨と+αの繫がりがついてくる

会社が作るもので他人にはお金で買ってもらい近い人には思いもその商品にはついてきて割引などなんらかの商品やお金以上のものを頂く

街で色々な商売がされていても街には冷たい、寂しく感じるのはビジネスのやりかたに絆がないのが大きな原因があるからだと感じるようになった

商品が市場に持ち込まれたら絆は断ち切られて売り手と買い手の間には交換価値だけが意味を持つようになり、お金がものを言う世界だから人との繫がりは消え街は冷たい場所になってしまう

CMなどを広告で影響を受ける場所はあたかもその物を手に入れることにより映像の向こうの人のように幸せになれると錯覚をおこして幸せはお金であり物を手に入れると言う所有を増やすことにより幸せがやってくると丸で逆の思考になってしまう

なぜ逆かと言うと今は資本主義であり、お金が一番ベースになっている世の中であり、ビジネスは成長を持続して利益を上げ続けることがなりより優先されてしまう

色々は会社がある今、資本主義は大量生産、大量消費を世界に要求される
大量消費、大量生産と聞くと大量のゴミが思い浮かんできます
実際海では多くのプラスチック国内外のものがいっぱいある
もはや国境とか関係ない我々のゴミも他の場所に打ち寄せられているように日本にもいろんな言葉のゴミをよくみる

資本主義、お金儲けを最優先するのには限界だと世界に見せつけたのが福島の原発事故だと私はあの映像を見て感じました
そしてその後の記者会見の発表などからも今までどこか信用していた国のお偉いさんたちへの希望も薄れてしまった

ここ浜松に来て思ったのは街よりも人からの暖かみを感じる瞬間が多いこと
街にいた時よりお金を使わなくても人生が豊になった

だれもが思っていることかも知れないが人生お金より貴重で人生を充実させてくれるものがある
だが人が集まる場所がないと何も生まれない

原発事故により多くの人が住まいを無くしてしまった
東北は多くの漁師町や農家がある

浜松でも漁師町の西区は工場から出るものを売ったりするのではなく
大地から育つものや海からとれたものを売って生活をしている人たちはその場所を愛し、その土地を愛している

住み慣れた土地を離れないと行けなくなり、もう二度と住み着くことのできない場所になったしまった福島エリアの彼らの悲しみの深さを想像しないといけない

それは原発がないと電力が足りないやら
需要が追いつかないから原発を続けないといけないと言う討論以前の問題

人は生きていく
特に日本人はとても強い
なんども立ち上がり
危険と知っててもやはり海岸沿いに住み着き海を愛して自然を受け入れてきた人たちである

だがその力があっても戻る場所がなければ
再生もなにも始めることができない

世界はビジネス一本かも知れないが我々は先を進んだ生活の仕方を知っている
その知識をまた使っていつも後を追うのではなくて信じる自分の道を進むことができれば気づいたら先を進んでいる国になると言う希望を隠した国

世界を見ても行き止まりになっていることがニュースを見てもわかる
だったら独自の道を進んで見るのも面白い新たな世界が生まれる可能性があると私は感じています

日本にしかできないこと