ドストエフスキー 著
『貧しき人びと』
木村浩 訳


ドストエフスキーの処女作。

何ということ。
読後、激情が胸に押し寄せ、この行き場がない。
やるせない。


貧しき故に翻弄される、善良な人々。
二人の間で交わされる幾通もの手紙。
過ぎ去りし日の美しい思い出。

お金は人を救う。
愛は人を救う。
はずなのに。


二人の手紙の中でプーシキンの『ベールキン物語』より、「駅長」が話題となる。
私があの作品を読んでいたのは幸運なことだ。
両者の展開と結末を照らし合わせてみる。

ゴーゴリの「外套」についても長く言及されている。
こちらを読んでいなかったのは不幸なことだ…。
近々ゴーゴリも読んでみる。


いや、きみに会うまでは、わたしは独りぼっちで、眠っていたも同然です。この世に生きていなかったも同然です。
(中略)
ところが、きみがわたしの前に姿をあらわして、この暗い生活を明るく照らしてくださったのです。すると、わたしの心も魂もぱっと明るくなって、わたしは心の落ち着きを取りもどし、自分だってなにもほかの人に劣らないのだと悟りました。もちろん、きらびやかなところもないし、ピカピカ光ったところもないし、大した品もないが、それでもやっぱり自分は一個の人間だ、心と頭を具えた人間だ、と悟ったのです。
(P.209)

ミュージカル「グレート・コメット」(原作はトルストイ『戦争と平和』)のピエールのことを、ふと思い出した。


思い出というものは、それが悲しいものでも、楽しいものでも、いつも悩ましいものです。少なくとも、あたくしの場合はそうなのです。もっとも、その悩ましさは甘美な悩ましさといえるでしょう。心が重苦しく、やるせないとき、思い出は気持をひきたて、よみがえらせてくれます。暑い一日がすぎて、しっとりとした夕べが訪れ、炎天にやかれた哀れなかよわい花が夜露のしずくによみがえるように。
(P.78,79)