猫を抱いて象と泳ぐ

 

小川洋子 著

文春文庫

 

 

 
 

 

 

 

小川さんの描く閉じた世界が好き。

限られた枠組の中に、どこまでも広いチェスの宇宙が、まだ見ぬ宙が、底知れぬ海が広がっている。

 

文章の隙間から湧き立つ物語。

一文字たりとも流したくない、すべてを大切に受け止めたい。

そして何度でも味わい返したい。 

 

*

 

世間一般の枠の外で生きている人たち。

回送バスの中で猫と暮らすマスター。

地上のチェス倶楽部への入会が許されなかった少年。

人間チェスの駒となる少女。

 

外とは、外であり、中である。

デパートの屋上の檻、狭いバスの中、からくり人形の中、地下のチェス倶楽部、真四角の老人ホーム、真夜中、等等。

狭くて広い海の中。

結果としてそこへ収まることを余儀なくされたとしても、望んで入ったのだとしても、どんなに狭くとも、広い宇宙はあるのだと教えてくれる。

 

老婆令嬢の言葉が好き。

 

「そう、だからチェスを指す人間は余分なことを考える必要などないんです。自分のスタイルを築く、自分の世界観を表現する、自分の能力を自慢する、自分を格好よく見せる。そんなことは全部無駄。何の役にも立ちません。自分より、チェスの宇宙の方がずっと広大なのです。自分などというちっぽけなものにこだわっていては、本当のチェスは指せません。自分自身から解放されて、勝ちたいという気持さえも超越して、チェスの宇宙を自由に旅する……。そうできたら、どんなに素晴らしいでしょう」

(P.259)

 

小川さんの文章を読んでいると、閉じていた目の前の大きな窓が開いて、二重のカーテンを押しのけて、澄んだ風が一気に吹いてくるようだ。

言葉のひとつひとつから、物語という名の風が巻き起こる。

それは私へ吹き付ける。

それは停滞しない。

風はどこへ行ったのか? 私の背後に見えない窓がもう一つあって、そこから抜けていったのだ。風は静かに通り過ぎて行く。

どんなに狭い檻の中でも。

 

気に入った物語ほど、読み終えるのが悲しい。終わりを迎えることがせつない。

だから何度でも読み返したい。

何度でもリトル・アリョーヒンたちに逢いたい。