父が緊急入院して胆管癌と診断されてから2ヶ月が経ちました。
今回は、父の姿や言葉から得た、あくまで私の主観的な人生観についてお伝えします。



はじめてお見舞いに行ったとき、元より20㎏痩せてしまった父の姿を見てたいへん驚きました。


そしてつい先日の手術では高確率で腫瘍を取り除けると事前にお話がありましたが、
手術は予定よりずっと早く終わり、父の腫瘍は取り除くことができないと主治医に告げられました。
25分の1の悪い方の結果でした。

「残念ですが…」という医師の言葉が胸にドスンとのし掛かりました。





親の死というのは、一つの人生において多くの人が経験し、そして多くの人が経験したくはないライフイベントです。


私は高校生の頃に両親が離婚し、父とは2ヶ月に1度程会っていました。

毎日会っていると分かりづらいですが、離れてみるとよくわかるのは、会うたびに少しずつ老いていく父の姿です。

それでも父は元気そのもので、いつも変わらない笑顔を私に見せてくれました。


私が小さい頃から父は「お父さんは100歳まで生きるよ」と意気込んでいて、よく考えたら人の寿命なんて決められるわけがないのに、私も父は100歳まで生きるのだと、今思えば笑えてしまうくらい信じきっていました。


私にとって、この世界で誰よりも私のことを知ってくれていて、理解してくているのは母でも、恋人でも、親友でもなく、父です。



正直なところ、私は自分の気持ちに蓋をしているのか、それとも向き合った上で落ち着いているのか、よくわかりません。



ただ、父の前では笑顔の娘でいたいのです。
きっと父は私の笑顔を見たいでしょうから。

私は最後の最後まで、父の自慢の娘でありたいのです。
そこに、泣き崩れる姿はいらないと思っています。
それは父と私が、言葉を必要とせずに会話できる関係だから、思うことです。

父と過ごしてきた時間には一つの後悔もありません。


父は病床でこう言いました。

「明日やろうと思わなくなった」


やりたいことは何でも、今日のうちにやってしまうのです。
今が人生で1番楽しいと父は話してくれました。

父は人間的に欠陥も多々ありますし、辛い出来事も人一倍経験してきていますが、年を重ねるたびに「今が1番楽しい」と言うのです。

そして父はきっと、どんなときでもそう言うのではないかと思うのです。



人生において幸せとは一体何なのでしょうか?



人生において大切なのは過去でしょうか?

未来でしょうか?

 
いいえ

今、ここで、生きているのは、過去の自分でも未来の自分でもないはずなのです。 

「今をどう生きるか」

これによって自ずと、過去の自分をどう捉えるかも、未来の自分の行く末も、如何様にでも変わっていくのではないでしょうか。


父は68歳ですが、私だって何歳で死ぬかはわかりません。明日死んでしまうかもしれません。

だから…とは言っても、無駄だとわかっているスマホゲームを中々やめられないように、理想通りにはいかないものです。

だからせめて私は、日頃から感謝を伝えていくことを第一に過ごしていけたらいいなと思います。

願わくば、今が1番楽しいと思える今日を、毎日過ごしていきたいものです。