今日は、昨日の日記で書いたように
風呂掃除です。
というか、風呂釜掃除です。
しかし昨日はびっくりした。
なんか風呂の中にまっくろくろすけが
出たかと思った。
しかしド近眼の私は
底に溜まった物の量を
あまり把握していなくて
今朝、湯船を見て
改めて驚いた。
掃除しなかったわけじゃない。
姉がジャバといった類の物を
嫌いなので
私は掃除のたびに
風呂がまの中に
シャワーで水を送っていたのだ。
でも、そりゃ溜まるよね。
気を取り直して、また追い炊き。
まだまだ出るわ出るわ、黒い塊。
昨日も書いたけど、これがなんとも切ない。
本当に人の言葉と一緒で
色々溜まっていた物が、ふとしたきっかけに
息せき切ったように、噴出す。
どこの引き出しにしまっていたのか
わからないくらいの、
今までの悲しい感情たちのようだった。
何度洗っても、まだしゃくりあげて泣いているように
出てくるゴミたち。
なんとなく、ごめんねと言ってしまった。
あらゆる物には、こうなってしまう理由があって
きっと、そのもの達は、自分ではどうすることも出来ず
小さな小さなSOSを送っていたのかもしれない。
その小さなSOSに気づいていながら
先送りにしてしまって
やがて問題が大きくなってしまう。
人も物も同じですね。
どんな物にも真剣に向き合ってあげないと
大変なことになってしまうのですね。
だから、生きているということは
本当に、「ごめんなさい」と「ありがとう」の
繰り返しで
ついつい雑に扱ってしまっている物ほど
無くてはならない大切な物だったり
するのだと気づく。
真剣に向き合った風呂掃除は無事終了。
まだ、言い残したことがあるかもしれない
風呂釜は、ぼちぼち小出しに愚痴をこぼし続けるかも
しれませんが、
これからは、ちゃんと向き合おうと思います。
大人になるって、面白いですね。
風呂釜の掃除で
話がここまで膨らむのです。
年をととってよかった。![]()