日本ハムファイターズ

ホーム用・ビジター用 1993年〜2003年

 

略年表

1993年《ホーム・ビジター共通》大沢啓二監督就任に伴いユニフォームを変更。本拠地移転前の2003年まで。

 

ホーム用

 大沢啓二監督が再び監督に就任し、早々と縦縞のユニフォームに変更することが発表されました。第一次大沢啓二監督時代のユニフォームは青の縦縞でしたので想像していたのではないでしょうか。実際には紺の縦縞を使ったシンプルデザインのユニフォームでした。左胸にFs、右胸に胸番号、左袖にはNipponHamだけ、余計なものを極力排除したところは評価出来ます。後には日本ハムの商品の広告が右袖や右胸上に入りましたが詳細には触れません。私の周りのプロ野球ファンからの評価は非常に高く、東京から札幌に本拠地をしなければ今でも着用してるのではないかと思います。また、縦縞を含めた紺に加えてチームカラーだったオレンジを縁取りで使うなど否定せずに生かしたことが高評価につながっているとも思います。バーニングカラーのユニフォームもそうでしたが、このユニフォームは東京ドームでも映えたデザインだったと思います。


 このユニフォームでは、西崎幸広選手、柴田保光選手、武田一浩選手、田村藤夫選手、田中幸雄選手などのバーニングカラーのユニフォームからの主力選手は然ることながら、田中幸雄選手を一時的に外野に回した広瀬哲朗選手や白井一幸選手を控えに追いやった14年目の新人と呼ばれた渡辺浩司選手といった遅咲きの選手が花を咲かせたことが印象に残ります。他には片岡篤史選手、小笠原道大選手、金子誠選手、ナイジェル・ウィルソン選手、シャーマン・オバンドー選手などの活躍が印象に残り、投手陣では白井康勝選手、金石昭人選手、今関勝選手、岩本勉選手、金村暁選手、島崎毅選手などの活躍が印象に残ります。


 東京ドームでは西武ライオンズ戦や近鉄バファローズ戦をよく観戦してました。西武ライオンズ戦ではなかなか勝てなかったのですが、近鉄バファローズ戦では打撃戦になることが多く最後の最後まで見応えがありました。日本ハムファイターズの存在は大きく、読売ジャイアンツ戦がなかなか手に入らなかった時代に日本ハムファイターズの試合は東京ドームを身近なものにしてくれた点では良かったと思います。


 後述しますが、東京ドームを本拠地にしていて観客動員で苦労していたこともあり、球団は北海道移転を決めました。もし北海道移転をしなければ、このユニフォームは20年以上は楽しめたと思います。それだけカッコいいユニフォームだったとも言えるのです。


上の画像は広瀬哲朗選手、下の画像は柴田保光選手。
背面。画像は田中幸雄選手。

ビジター用

 ビジター用はグレー地で、紺にオレンジの縁取りでNIPPONHAMロゴを一段で表したところがポイント高いです。ビジター用もまた紺一色ではなくオレンジを縁取りに使うことで単調な感じにならずに済んでいてカッコ良くシックな感じにまとまっています。


 後楽園球場・東京ドーム時代のファイターズは読売ジャイアンツの陰に隠れてしまい損をしていたイメージが強かったです。修学旅行の野球観戦は東京ドームでのファイターズ戦が定番になっているほどV9時代や昭和50年代などで観客動員で苦戦していました。それでもファンサービスを頑張っていたこともあり、パ・リーグの中では上位にいました。2002年に北海道札幌市に本拠地を移転する構想が浮上します。当時西武ライオンズも札幌ドームを準本拠地にする構想を持っていた為に当初反対してましたが、最終的には賛成に回り本拠地移転を決めました。北海道移転前のファイターズには親しみを感じていて、北海道移転が決まった時には少なからずショックが大きかったです。今となっては北海道でファイターズが根付いているので、北海道に移転して良かったなと思います。


 ホームゲームでもビジターゲームでもで映えたデザインだっただけにショックはありましたが、東京時代のファイターズ最後のユニフォームはいつまでも記憶に留めておきたいと文章を作成しながら思いました。


上の画像は岩本勉選手、下の画像は田中幸雄選手。
背面。画像は大島康徳監督。