千葉ロッテマリーンズ
ホーム用・ビジター用 1992年〜1994年
略年表
1992年《ホーム・ビジター共通》本拠地を川崎市から千葉市に移転したのに伴いユニフォーム変更。チームカラーをサンライズ・ピンクとカレント・ブルー(ブルーグレー)を採用する。1995年シーズンのオープン戦まで。
ホーム用
1991年7月31日に完成間もない千葉マリンスタジアムでロッテオリオンズ対西武ライオンズ戦が開催されましたが、その日に本拠地を川崎球場から千葉マリンスタジアムへ移転することを発表しました。9月11日のオーナー会議で承認されました。移転を機にチーム名も「千葉ロッテマリーンズ」と変更しました。もともとマリーンズは「海兵隊員」という意味ですが、球団によると「海の勇者」を意味するそうです。
当初は「千葉ロッテオリオンズ」する予定でしたが、チーム名を公募して「千葉ロッテマリーンズ」となりました。他には「ドルフィンズ」や「パイレーツ」も候補としてありました。因みに八木沢荘六監督はドルフィンズを推していたそうです。
陽気さ、親しみやすさ、楽しさ、千葉の明るい未来などを表すサンライズピンクと呼ばれるピンクと千葉県沖合いでの親潮と黒潮がぶつかり合うイメージを表したカレントブルー(ブルーグレー)をチームカラーにしました。帽子は黒でマークはCLMにピンクの縁取りで真ん中に波模様が入りました。胸ロゴのMarinesはホーム用・ビジター用とも共通で、どことなくファンシーな雰囲気で、意外と大きめの番号書体の丸文字も特徴的でした。良い言い方をすればかわいらしい、悪い言い方をすれば強さを感じないユニフォームでした。また、ホーム用は白地で左袖には黒文字でCHIBAと表記されてました。それでも黒を使っていることもあり、まとまりのあるデザインにはなってました。
ロッテオリオンズの肩ラインユニフォームと現在でも着用されているホーム用ユニフォームの間で短い期間でしたが、プロ野球では未開拓だった千葉の地で新たなチームを表したユニフォームを思い出していただけたらありがたいです。
ビジター用
ビジター用はカレントブルー(ブルーグレー)地で左袖には黒文字でLOTTEと表記されてました。ブルーにも見えますが、私はグレーが強いブルーグレー地のユニフォームだったと思います。
この時期は八木沢荘六監督のもとで、小宮山悟選手、愛甲猛選手、西村徳文選手などのロッテオリオンズ時代の主力選手に加えて、伊良部秀輝選手、河本育之選手、成本年秀選手、南渕時高選手、初芝清選手といった若い力が躍動してました。1988年入団の伊良部秀輝選手は日本ハムファイターズの大沢啓二監督の発言から「伊良部クラゲ」と呼ばれ、それを機に伊良部選手大飛躍を遂げました。
しかし、チームは低迷期を抜け出すことは出来ず苦戦を強いられてました。また、この頃はまだ観客動員でも苦戦を強いられてました。マリサポと呼ばれるほどの熱狂的な応援団やファンがまだ根付いておらず、川崎球場時代とそれほど変わらない不人気球団でした。
決してカッコいいユニフォームではありませんでしたが、ピンクとブルーグレーの相性が良かっただけでなく、ホーム用と同様にまとまりのあるデザインだったことは間違いないと言えるでしょう。