広島東洋カープ
ホーム用・ビジター用 1989年〜1995年
 
略年表
1989年《ホーム・ビジター共通》山本浩二監督就任に伴いユニフォーム変更。
1994年《ホーム・ビジター共通》この年のみ、1994年10月に開催されたアジア大会のマスコットキャラクターを配したマークが左袖に入る。
 
 
ホーム用
 山本浩二監督が就任し、山本浩二監督に対する球団の期待が高まる中、ユニフォームを変更しました。胸番号を右胸に移し、左胸に大きめのCマーク、Cマークの下に小さくCARPとシンシナティ・レッズそっくりなユニフォームになりました。また、今までは袖には何も入らないことが多かったのですが、久しぶりに左袖には「HIROSHIMA」が入りました。これまでのユニフォームに使われていた濃紺を廃止し、赤一色で勝負しました。メジャーリーグ風のユニフォームにしたのは、親友で当時中日ドラゴンズの星野仙一監督がロサンゼルス・ドジャース型のユニフォームにしたことも関係ありそうです。山本浩二監督と星野仙一監督は東京六大学野球で切磋琢磨してきた間柄でしたから、あいつがそうしてるならこっちだって!と思っていてもおかしくないですね。ただ、シンシナティ・レッズが強力打線を擁して「ビッグレッドマシン」と呼ばれてましたが、このユニフォームでのカープは打力よりも投手力を前面に出してました。本家に負けないくらいの強力打線だったのは、この後に出てきたユニフォームの時でした。

 投手力を前面に出していた時代だけあって、投手陣は充実の顔触れでした。古葉竹識監督・阿南準郎監督時代からの主力選手である北別府学選手、大野豊選手、川口和久選手、金石昭人選手、津田恒実選手などに加え、佐々岡真司選手、紀藤真琴選手など。野手陣では古葉竹識監督・阿南準郎監督時代からの主力選手である達川光男選手、正田耕三選手、山崎隆造選手、西田真二選手などに加え、野村謙二郎選手、江藤智選手、前田智徳選手などが躍動してました。黄金時代の主力選手から新時代を築いた選手達が上手く融合したチームで、7シーズンのうち5シーズンがAクラス、1991年にはリーグ優勝を成し遂げました。

 このユニフォームで記憶に残っているのは、1991年のリーグ優勝後の公開ビールかけと日本シリーズ第4、5戦で西武ライオンズを苦しめたこと、1994年に音重鎮(おと しげき)選手がホームラン性の打球をフェンス際でキャッチしたシーンです。
 リーグ優勝や日本一決定後にビールかけが行われますが、普通は宿舎やホテルの大宴会場などで行われるのが一般的です。しかし、この年のカープは山本浩二監督の胴上げの後にグラウンドでビールかけを行ったのです。日が暮れていたので選手の身体は冷えたに違いないでしょう。私個人の話になりますが、塾講師時代に授業後の生徒が居ない教室で机を囲んで先生達と飲んだお酒が忘れられないように、試合終了後のグラウンドでビールをかけ合いながら優勝の喜びを爆発させたことは選手達にとって忘れられない出来事だったでしょう。
 その年の日本シリーズの第4戦は先発・佐々岡真司選手の好投、西武ライオンズの三塁手・清原和博選手に揺さぶりをかけたカープの打撃陣が印象に残りました。第5戦では先発・川口和久選手の好投で王手をかけました。当時、西武ライオンズは森祇晶監督になってから日本シリーズ負け無しの黄金時代を迎えてましたが、初めて日本シリーズで負けると思いました。カープに勢いがあったことは間違いありません。
 音重鎮選手のファインプレーは後にナショナルの大画面カラーテレビの映像に使われました。守備力が高かった音重鎮選手が輝いたシーンでもありました。これは30年経った今でも忘れられないプレーです。

 リーグ優勝は一度きりでしたが、赤一色で勝負したユニフォームで唯一のリーグ優勝、黄金時代が過ぎても強さを発揮していた時代のユニフォームを忘れません。赤一色のユニフォームで優勝を成し遂げた、このユニフォームを昔のカープファンならずとも知ってほしいと思います。

上の画像は佐々岡真司選手、下の画像は野村謙二郎選手。
背面。画像は1991年のリーグ優勝時に広島市民球場で行われたビールを掛け合う選手達。
1994年のアジア大会をPRするために着けられた袖章。
 
ビジター用
 ホーム用とは色違いでグレー地でした。ホーム用ユニフォームとビジター用ユニフォームのデザインが同じなのは結構珍しいです。ホーム用と同様に敵地でも映えたデザインだったことは間違いありません。

 このビジター用ユニフォームで記憶に残っているのは、1992年に北別府学選手がナゴヤ球場での中日ドラゴンズ戦で達成した通算200勝目と1991年の日本シリーズで第6戦、第7戦で逆転負けしたことです。北別府学選手の選手生活の晩年での通算200勝達成でしたが、綺麗な投球フォームで全盛期と変わらずコントロールが冴えていました。1990年代で唯一、20世紀最後の200勝到達はもっと評価されるべきだと思います。
 この頃のカープは強かったんですが、ビジターではあまり勝っているイメージが無いような気がします。それもそのはず、イラストレーターのオギリマサホさんの文春オンラインでの記事によると、ホーム用ユニフォームの勝率が.543に対して、ビジター用ユニフォームのそれは.495とビジターでは負け越しているんです。1973年以降のユニフォームでもホームよりもビジターの勝率が低いデータがあります。首都圏内にあるチームとは違い、広島県以外はどこでもロードゲームであるだけにビジターでの戦いは難しいんですね。これは責められません。

 スカイブルー地のユニフォームも良かったですが、グレー地に赤文字のカープもなかなか良かったです。ホーム用との色違いだけでデザインが同じユニフォームでもいいのではないかと令和になった今、改めて思います。

上の画像は北別府学選手、下の画像は前田智徳選手。
背面。画像は川口和久選手。