オリックスブレーブス
ホーム用・ビジター用 1989年〜1990年
 
略年表
1989年《ホーム・ビジター共通》オリックスブレーブスにチーム名を変更し、ユニフォームも新調される。この年の後半にビジター用の左袖のブレービーマークが逆三角形になり、Bravesロゴが黄色文字に変更される。
1990年《ホーム・ビジター共通》チーム名をオリックスブルーウェーブに改称するに伴い、ブレーブスの名はこの年限りとなる。

ホーム用
 1988年10月19日、川崎球場で近鉄バファローズのリーグ優勝をかけた熱戦が繰り広げられたその日に、阪急ブレーブスがオリエントリースに買収されることが発表されました。ランドー・アソシエイツ社が球団買収と同時にCI(企業イメージの再構築)戦略を導入し、企業名をオリックスと改めました。オリックスと聞くとオリエントリースを縮めたものだと思ってましたが、実は違います。CIコンセプトによると、独創性を意味するOriginalと柔軟性や多様性、未知数などを意味するxを掛けあわせたそうです。これは意外ですね。さらに、チームカラーから「ブルーサンダー」というキャッチフレーズがランドー・アソシエイツ社により生み出されました。これは後に「ブルーサンダー打線」と命名されるほどに定着しました。ブルーサンダー打線については後程触れていきます。

 オリックス買収にあたり、阪急ブレーブス側からは「愛称はブレーブスを継続して使うこと」「本拠地を阪急西宮球場を継続して使うこと」「上田利治監督の続投させること」を条件として挙げられていた為、チーム名を「オリックス・ブレーブス」とし、上田利治監督は続投し、本拠地は阪急西宮球場を継続して使用しました。同時にグリーンスタジアム神戸を準本拠地とし、1989年には14試合、1990年には13試合組まれました。今振り返ってみると、本拠地を神戸に移転する準備をしていたのかなと準本拠地を置いたことから感じました。

 ユニフォームは阪急ブレーブスの赤と黒から、オリックスブルーと呼ばれる青オリックスゴールデンイエローと呼ばれる黄色を使ったユニフォームに変わりました。新しいチームに生まれ変わったことをアピールするには良かったと思います。また、見やすさと言いますか、視認性があり、色合いはかなりいいと思います。
 帽子とヘルメットのマークは阪急ブレーブス時代と同じロゴで黄色文字のBraves、左袖にはオリックスのマーク、ヘルメットには阪急ブレーブスの名残を残したのかどうかはわかりませんが、赤の3本線がありました。赤の3本線はオリックス球団をイメージするにはいいアクセントになっていたような気がします。

 伝説のブルーサンダー打線を懐かしみつつ、視認性があり青と黄色とバランスが取れた色の組み合わせのユニフォームをオリックスブレーブスを知らないオリックスバファローズファンならずとも知ってほしいと思います。

上の画像は酒井勉選手、下の画像は石嶺和彦選手。
左袖のオリックスマーク。画像はブーマー・ウェルズ選手。
背面。画像は門田博光選手。

ビジター用
 ビジター用は上着が青地で胸ロゴにORIX、ラインや胸番号などに黄色が使われてました。ビジター用の左袖にはブレービーが使われていて、1989年前半は阪急ブレーブス時代からのマークがそのまま使われてましたが、後半になると逆三角形のブレービーマークが登場しました。なぜブレービーマークがシーズン途中で変わったのか、阪急ブレーブスとの違いを出したかったのかもしれませんが、詳しくはわかりませんでした。

 ブルーサンダー打線にも触れていきます。ブルーサンダー打線とはオリックスブレーブス時代(オリックスブルーウェーブ時代にも呼ばれていたようです)に本塁打を期待出来る打者を3番〜6番に置いた破壊力のある重量打線を言います。松永浩美選手、ブーマー・ウェルズ選手、石嶺和彦選手、藤井康雄選手に加え、南海ホークスから門田博光選手の獲得が大きかったです。この5人で、1989年には140本塁打444打点(チームでは170本塁打647打点)、1990年には133本塁打394打点(チームでは186本塁打657打点)を記録するなど相手投手陣を震え上がらせました。他には中嶋聡選手が正捕手に、小川博文選手の台頭、福良淳一選手、本西厚博選手などの守備力の高い選手も躍動してました。
 投手陣でも星野伸之選手を軸に、山沖之彦選手、佐藤義則選手、酒井勉選手、ガイ・ホフマン選手、伊藤敦規選手、山内嘉弘選手などが奮闘してました。しかし、阪急ブレーブス時代には投手力が高かったにも関わらず、1989年には4.26、1990年には4.30と防御率には反映されず足を引っ張ってしまった感がありました。もしどちらかの年で防御率が3.50ぐらいで推移していたらリーグ優勝も出来たように思います。

 これはオリックスブレーブスには関係ない話になりますが、近鉄バファローズで1984年から1987年に監督をされていた岡本伊三美氏の次女で元プロテニスプレイヤーの岡本久美子さんがオリエントリースに所属していたことを調べていくうちにわかりました。もし岡本伊三美監督が近鉄バファローズで引き続き監督していて、岡本監督率いる近鉄バファローズがオリックスブレーブスと対戦することになったら話題になっていたかもしれません。

 ホーム用、ビジター用ともにチーム名がブルーウェーブになっても基本デザインは踏襲されていきます。ブレーブスとの違いはこの次の投稿で触れていきます。

画像は星野伸之選手。
1989年前半の左袖のブレービーマーク。画像は門田博光選手。
1989年後半〜1990年の左袖のブレービーマーク。画像は松永浩美選手。
背面。画像は門田博光選手。