※2021年7月6日に投稿したものを再編集しました。

 プロ野球ユニフォームをタイプ別に語るシリーズ、第7弾は上下で色が異なる「上下セパレートユニフォーム」です。

 昔はビジター用ユニフォームというと、たまに濃いグレー地や青に近い水色のユニフォームもあったようですが、グレーか水色が主流でした。1972年までは上着が原色カラーのユニフォームはありませんでした。1970年代になると、アメリカメジャーリーグでは、アスレチックスが黄色のユニフォームを採用するなどカラフルなユニフォームが出てきました。日本プロ野球で初めてカラーユニフォームを採用したのが1973年。初めて採用したのはユニフォームの色から赤い旋風と呼ばれることになった、太平洋クラブライオンズでした。
1973年〜1975年。画像は左から加藤初選手、東尾修選手。

 グレーか水色が主流だったビジター用ユニフォームに赤の上着でしたから衝撃的だったと思います。少しずつ上下セパレートタイプのユニフォームが採用されることになるきっかけになりました。

 それから夏には日拓ホームフライヤーズが七色のユニフォームを採用し強烈なインパクトを与えました。
1973年後期。画像は左からホーム用(土橋正幸監督)、ホーム用(三浦雅基選手)、ビジター用(高橋直樹選手)、ビジター用(宮崎昭二選手)、ビジター用(渡辺秀武選手)、ホーム用(新美敏選手)、ホーム用(張本勲選手)。

 1973年以降、少しずつ上下セパレートタイプのユニフォームを採用するチームが増えてきました。今では水色やグレーだけしか使用してない球団は無く、近鉄バファローズを含む13球団全てで色付きユニフォームを採用するようになりました。


色別ユニフォームセレクション
※以下、表記なきものはビジター用とします。
エンジ
 今では上着が赤のユニフォームといえば、広島東洋カープか東北楽天ゴールデンイーグルス。太平洋クラブライオンズ以降だと近鉄バファローズぐらいしか採用されてません。大の大人が赤だと照れがあるのかもしれませんね。
広島東洋カープ 2009年〜現在。
 意外なことにカープにしては初の上下セパレートタイプのユニフォーム。上着が赤のユニフォームでは最高級だと思います。画像は森下暢仁選手。
大阪近鉄バファローズ 1997年〜1999年。
 本来なら近鉄バファローズ=赤のイメージで採用されたのに、選手から不評だった為に紺色の上着も採用されることになりました。不評だったのは色のバランスが悪かったからなのでしょうか?画像は小池秀郎選手。
東北楽天ゴールデンイーグルス 2020年〜現在。
 2005年のチーム創設時からビジター用は上下セパレートタイプのユニフォームを採用しています。エンジ色の色合いから今回は現在のビジター用ユニフォームを載せます。画像は松井裕樹選手。

オレンジ
 オレンジ色のユニフォームも派手過ぎるのかあまり採用されてませんが、派手さも手伝って記憶に焼き付くユニフォームになることは間違いないです。
日本ハムファイターズ 1982年〜1992年。
 オレンジ色のユニフォームといえばやはりこれです。オレンジに黄色と色合いが派手なのにクドさが無いのは文字が紺色だからだと思います。画像は大島康徳選手。
大洋ホエールズ 1974年〜1977年ホーム用。
 緑とオレンジはお茶とみかんの組み合わせだということを後で知った方は私だけではないはずです。ユニフォームのカラフル化の波に乗ったユニフォームでした。画像は平松政次選手。

ゴールド(山吹色)
 黄色のユニフォームは日拓ホームフライヤーズの七色のユニフォームが最初ですが、私はどうしても阪神タイガースの「ウル虎の夏」を想像してしまいます。また、ゴールドのユニフォームが出てくるなんてプロ野球を見始めたときには想像できませんでした。
北海道日本ハムファイターズ 2011年〜現在。
 ハーベストゴールドと呼ばれる金色(山吹色)を使っているのにダサく感じないのは絶妙な色加減にあると私は思います。画像は杉谷拳士選手。

緑色のユニフォームといえば南海ホークスが真っ先に出てきます。1974年に初めて緑色の上着を採用しました。1988年まで明るい緑から深緑に変わっても緑色のユニフォーム=南海ホークスは変わることはありませんでした。今では緑色のチームカラーが無くなり寂しさも感じてしまいます。
南海ホークス 1978年〜1983年。
 もともとは1974年野村克也監督が派手なデザインが好きで明るい緑色のビジター用ユニフォームが採用されたそうです。今回は上着が緑色のユニフォームの中で着用期間が長いこのユニフォームを載せます。画像は新井宏昌選手。
大洋ホエールズ 1974年〜1977年。
 ビジター用はお茶とみかんよりもメロンの皮と果肉をイメージしてしまいます。ホーム用と同様、カラフル化の波に乗ったユニフォームでした。画像は松原誠選手。


 青いユニフォームというと西武ライオンズのビジター用(1979年〜1995年)が真っ先に出てきますが、ツートンカラーでは無いので今回は割愛します。紺色の採用が多くて一時期は絶滅の危機に瀕してましたが、ベイスターズとドラゴンズが再び採用してくれたのは嬉しかったです。現在では横浜DeNAベイスターズ、中日ドラゴンズが採用しています。
オリックスブレーブス 1989年〜1990年。
 紺に近い感じも否めませんが、オリックスブルーウェーブよりもオリックスブレーブスのときには青が強かったのでこちらに載せます。画像は星野伸之選手。
横浜ベイスターズ 1993年〜2008年。
 横浜大洋ホエールズよりも明るい青を採用。若いチームには明るい青がよく似合います。DeNAベイスターズになった現在でも青のユニフォームを採用しています。画像は三浦大輔選手。
中日ドラゴンズ 2019年〜現在。
 ドラゴンズブルー=ロイヤルブルーは山田久志監督が初めて採用し、落合博満監督がイメージを強めてくれた感じがします。鉄紺に戻した時期がありましたが、ドラゴンズブルーのほうが私は好きです。画像は梅津晃大選手。

紺(濃紺)
 野球日本代表のユニフォームにも勝ち色として採用されているのを見ると紺色は日本人が好む色なんだなと思います。1990年代後半あたりから少しずつ増えてきた感じがします。現在では東京ヤクルトスワローズ、オリックスバファローズ、埼玉西武ライオンズが採用しています。
横浜大洋ホエールズ 1978年〜1992年。
 横浜大洋ホエールズのユニフォームは今見ても飽きない素晴らしいデザインですね。横浜大洋ホエールズがもう少し長く続いていたら20年以上は着用されていたに違いないでしょう。画像は左から屋鋪要選手、加藤博一選手、高木豊選手。
ヤクルトスワローズ 1999年〜2005年。
 クリーブランド・インディアンズをモチーフにしたユニフォームでした。濃紺地に赤文字が不思議と映えました。このユニフォームを境にチームカラーが濃紺になりました。画像は左から池山隆寛選手、古田敦也選手。
中日ドラゴンズ 2012年〜2013年。
 ドラゴンズブルーの中日ドラゴンズがまさかの鉄紺の上着を採用するなんて思いませんでした。ユニフォーム自体は良かったですが、一時期のヤクルトスワローズみたいな感じは否めませんでした。画像は大野雄大選手。
埼玉西武ライオンズ 2013年〜2020年。
 左袖に埼玉県章を採用するなど埼玉にこだわりを見せたユニフォーム。私も紺色ライオンズの中でも好きなデザインでした。長く着用してほしかったと改めて思います。画像は左から栗山巧選手、中村剛也選手。

 日拓ホームフライヤーズの七色のユニフォームが黒の上着のユニフォームを初めて採用しましたが、1993年に福岡ダイエーホークスが黒の上着を採用してから少しずつ増えてきた感じがします。夏場暑そうな心配をよそにチームとしての強さを身に着けたあたりは黒色のパワーがなせる業でしょうか。現在では福岡ソフトバンクホークス、千葉ロッテマリーンズが採用しています。
福岡ダイエーホークス 1993年〜2004年。
 後のソフトバンクホークスにつながる黒の上着のユニフォーム。福岡の野球チームは黒であることを示した感じがします。画像は篠原貴行選手。
千葉ロッテマリーンズ 2000年〜2004年。
 意外なことにオリオンズ・マリーンズで初の上下セパレートユニフォームを採用しました。このユニフォームをきっかけに黒とグレーがカマリーンズのイメージカラーになりました。画像は黒木知宏選手。
阪神タイガース 2018年〜2019年。
 阪神タイガースが2012年に初めて採用されて、近鉄バファローズを含めて13球団が上下セパレートタイプのユニフォームを採用することになりました。今回は着用期間が短かったですが、黄色が映えたこのユニフォームを載せます。画像は西勇輝選手。
読売ジャイアンツ 2006年〜2008年途中。
 2002年に濃紺地の上着のユニフォームを採用してましたが、公式戦では着用されてないので実質初めての採用でした。このユニフォーム以降は採用してないので貴重なユニフォームだと思います。画像は高橋由伸選手。

その他
太平洋クラブライオンズ 1976年ホーム用。
 胸番号のみの前期、筆記体のLionsロゴ入りの後期に共通してパンツがピンクのツートンカラーを採用しています。画像は1976年太平洋クラブライオンズのファンブックより。