かつて日本プロ野球では「勝利打点」という公式記録があり、シーズン通して最多の勝利打点を記録した選手には「勝利打点王(最多勝利打点)」として表彰されてました。アメリカメジャーリーグで1980年に採用され、日本でも1981年に採用されました。1989年に廃止されて公式野球規則も削除されました。1980年代に実在した公式タイトルである勝利打点を振り返ります。


 まずは勝利打点の定義から述べます。


勝利打点の定義  ※Wikipediaより抜粋。


 最後に勝ち越した時に記録した得点を得た時に安打四球死球スクイズプレイ犠牲フライ・凡打など、打者に打点が記録されれば、その打者に対して勝利打点を記録する。一方、得点がボーク失策本盗併殺打など、打者に打点が記録されないものであった場合には記録されず、その試合の勝利打点は「なし」となる。



 1981年1月10日、プロアマ合同の日本野球規則委員会が開かれ、今季からセ・パ両リーグで勝利打点を新設することが発表されました。同年3月1日発行の「公式野球規則」にも掲載されました。当時の公式野球規則10.04(e)に以下の条文が記されました。


規則10.04(e)

最終的にチームに勝ちをもたらすこととなった得点を記録した得点打に対して勝得点打(勝利打点)を記録する。

【付記】勝得点打(勝利打点)は、毎試合記録されるものとは限らない。また、10.04の規定に反するものであってはならない。


 因みに【付記】に記されている規則10.04(現在の公式野球規則では9.04)は打点の定義のことです。打点は以下のように記されてます。※横内野球少年クラブのサイトより抜粋。


  • 9.04 打   点
  •      打点の記録は、本条規定により、打者の打撃が得点の原因となった場合に、その打者に与えられる。
  •    (a) 次の場合には打点を記録する。
  •    (1) 打者が、失策によらず、安打、犠牲バント、犠牲フライまたは内野のアウトおよび野手選択によって走者を得点させた場合。ただし、本条(b)が適用された場合は除く。
  •    (2) 満塁で、四球、死球、妨害(インターフェア)および走塁妨害(オブストラクション)によって打者が走者となったために、走者に本塁が与えられて得点が記録された場合。
  •    (3) 0アウトまたは1アウトで、打者の打球に対して失策があったとき三塁走者が得点した場合は、その失策がなくても得点できたと認めれば、打者には打点を与える。
  •    (b) 次の場合には打点を記録しない。
  •    (1) 打者がフォースダブルプレイまたはリバースフォースダブルプレイとなったゴロを打って走者を本塁に迎え入れた場合。
  •    (2) 打者がフォースダブルプレイとなるようなゴロを打ち、第1アウトが成立した後、一塁(または一塁以外の塁)での第2アウトに対する送球を野手が捕らえ損じたために、その野手に失策が記録されたときに走者が得点した場合。
  •   (c) 野手がボールを持ちすぎたり、あるいは塁へ無用な送球をするようなミスプレイの間に走者が得点した場合に、記録員が打者に打点を与えるかどうかは、次の基準を参酌して決する。
  •      すなわち、このようなミスプレイにもかかわらず、この間走者が走り続けて得点した場合には、打者には打点を記録するが、いったん止まった走者が、このミスプレイを見た上で、走り直して得点した場合には、野手選択による得点と記録して、打者には打点は与えられない。

これだと分かりにくいですね😰これから勝利打点について私が以前投稿したTV観戦日誌から例を示したいと思います。


ケース①

2022年4月20日 埼玉西武ライオンズ対千葉ロッテマリーンズ


ライオンズ3-0マリーンズ


マリーンズ 0=000 000 000

ライオンズ 3=000 000 12X


 この試合は呉念庭が先制タイムリーヒットを放ち、それが決勝点となりライオンズが勝った試合。先制してそのままライオンズが逃げ切った為、呉念庭に勝利打点が与えられます。


ケース②

2023年3月21日 WBC準々決勝 日本代表メキシコ代表


日本代表6x-5メキシコ代表

 

メキシコ  5=000 300 020

日本代表6x=000 000 312x


 この試合は村上宗隆選手がサヨナラヒットを打って侍ジャパンが決勝進出を果たした試合でした。この試合、先制したのはメキシコ代表でした。4回表にウレアスが佐々木朗希から3ランホームランを放ちました。この段階ではウレアスに勝利打点が与えられます。しかし、7回裏に吉田正尚選手が同点3ランで試合は振り出しに。ウレアスに与えられた勝利打点はここで消滅。8回表にバデューゴ選手が逆転となるタイムリーヒットを打ち、バデューゴ選手に勝利打点を与えられます。このまま逃げきれればバデューゴ選手に勝利打点が与えられますが、9回裏に村上宗隆選手が2点サヨナラヒットで日本代表がサヨナラ勝ちし、結果的に村上宗隆選手に勝利打点が与えられることになります。


このように、勝利打点は最後に勝ち越し点を決定した打点であることがお分かりいただけたでしょうか。最終的にチームに勝ちをもたらすこととなった得点を記録した得点打に対し勝利打点を記録するのです。原則、現在の公式野球規則9.04(a)に該当しないと勝利打点は記録されません。しかし、【付記】にあるように毎試合記録されるわけではなく、公式野球規則9.04(b)に該当する場合には勝利打点は記録されません。公式野球規則9.04(b)の(1)は併殺打、(2)は併殺崩れによる得点のことを指しますが、併殺打による得点には勝利打点は記録されませんが併殺崩れによる得点なら勝利打点は記録されます。勝利投手の決定方法などの野球の記録にはこのような矛盾が起こるのです。勝利打点否定論の理由のひとつにも挙げられてました。




 これは昭和56年11月9日号の週刊ベースボール『記録の手帖』に「見直し論が後を絶たない"勝利打点"のタテマエと現実」という記事に勝利打点についてのことが記されてました。


要点をまとめると、


・決勝点が打点の付かないエラー、ワイルドピッチ、パスボールなどによって挙げられた場合には勝利打点は付かない。だが、併殺崩れによる得点なら勝利打点は付くと述べている。

先制点であろうと、1打点の選手と4打点の選手とでは勝利打点の価値は違うはずだと述べている。

・日本ハムファイターズのソレイタ選手を例に挙げ、前期は4だった勝利打点が後期になると13に大幅に増えた理由を述べている。ソレイタ選手の先制打で投手陣が気を楽にして好投して勝利に導いたといえるのではないかと述べている。

・いくら貴重な先制点をあげても投手が打たれて逆転されたらダメであることを、西武ライオンズの石毛宏典選手と広島東洋カープの山本浩二選手を例に解説。いくら打点を稼いでも巡り合わせが悪ければ勝利打点をあげることは出来ないと述べている。

・勝利打点に有利なのは、強いチームここ一番で起用される代打の選手。読売ジャイアンツの平田薫選手、横浜大洋ホエールズの清水宏悦選手を例に挙げ、共に5打点ながらも勝利打点が3を記録していることを述べている。

・さらに、初代勝利打点王のリーグ優勝した日本ハムファイターズのソレイタ選手が108打点で勝利打点17に対して、阪神タイガースの佐野仙好選手が48打点で勝利打点15だと首を傾げたくなる。しかし、佐野選手の勝負強さがあったから勝利打点王になれたと述べている。

・投手で勝利打点3のヤクルトスワローズの松岡弘選手などを例に挙げ、投手で勝利打点は12例あり、それらを高く評価したいと述べている。




 なぜ公式記録として勝利打点は廃止されたのでしょうか。これは推測ですが、勝利に貢献した得点が試合展開によっては必ずしも効果的だったかどうかが言い難いところがあったからではないでしょうか。例えば、1-0での1得点と10-0での先制点としての1点とでは勝利の重みが違いますよね?公式記録として採用されてからも度々議論されていたことではありましたが、改善されることなく廃止されました。また、評価基準があやふやだったこともあったようですね。




 このように1980年代に表彰されていた公式記録として勝利打点があったことを思い出していただけたかと思います。廃止された後でもセ・リーグでは独自に表彰していました。廃止された現在も一部スポーツ誌で見ることもある勝利打点、価値のある決勝打に勝利打点として評価してもいいのではないかと思います。