日本ハムファイターズ

ホーム用・ビジター用 1974年前期

 

略年表

1974年《ホーム・ビジター共通》日本ハムファイターズ創設に伴いユニフォーム変更。1月17日、新球団披露パーティーの席で発表。このユニフォームから背ネーム表記を廃止(1977年まで)。

 

ホーム用

 1973年11月19日、伝説の七色のユニフォームで話題をさらった日拓ホームフライヤーズから日本ハムファイターズに親会社とチーム名を変更しました。球団譲渡された日本ハムはチーム名変更を検討し公募して、力強く誰でも知っているという理由でファイターズと名付けました。ファイターズと名付けて、アメリカメジャーリーグのオールスターゲーム観戦の特賞を獲得したのが当時岡山県在住の女子高生だったのを覚えている方はほとんどいないと思います。「岡山県出身の大杉勝男選手がファイターなのでぴったりだと思った」ということを思い付いたわけです。ファイターズの名前のルーツが大杉勝男選手だったことをファイターズファンは知っていてほしいです!球団フロントはそんなことを忘れてしまったのか、大杉選手をわずか1年でヤクルトスワローズにトレードで放出しました。


 日本ハムファイターズ初年度のユニフォームは「ホーム用とビジター用で評価がはっきり分かれる」ものになりました。ホーム用は私はなかなかいいデザインだと思います。黒に近いネイビー、バーミリオン(朱色)と呼ばれる赤を使い、太いラインと番号書体が独特な斜体文字でこれはこれでいいのではないかと思います。さらにホーム用ユニフォームのストッキングにワンポイントのnhマークがいいです。このワンポイントのnhマークはユニフォーム変更後の1981年まで採用しました。

 このユニフォームは2016年に復刻しましたが、今の選手にもしっくりくるデザインだと感じました。爽やかな大谷翔平選手も、暴れん坊軍団の匂いが漂う中田翔選手も不思議と似合ってました。


 半期だけしか着用されなかったのは残念でしたが、ホーム用ユニフォームのデザインは今でも色褪せていないです。初代日本ハムファイターズのユニフォームをファイターズファンならずとも記憶してほしいと思います。


画像は新美敏選手。
画像は千藤三樹男選手。

背面。画像は大杉勝男選手。


ビジター用

 ビジター用はスカイブルー地に赤文字で白の縁取りでした。黄金時代の広島東洋カープでも採用されたようにスカイブルー地に赤は悪くないですが、Nippon Hamと丸いナール文字がダサくさせているとしか思えません。当時のメンバーは大杉勝男選手、張本勲選手、大下剛史選手、白仁天選手と暴れん坊軍団と言われていた猛者が君臨していたチームでした。スカイブルー地に赤の丸文字のユニフォームが当時の暴れん坊軍団を可愛らしい感じにさせました。 以前こちらにも投稿したように正に「こりゃ無いわ」という感じになりました。


 このユニフォームの心理的影響があったのか、前期シーズンは最下位に沈みました。これを受けて後期開幕した7月5日に新ユニフォームを発表しました。そちらについては次回語ります。

画像は張本勲選手。
画像は1974年のファンブックより。
背面。画像は大杉勝男選手。