南海ホークス 

ホーム用・ビジター用 1984年〜1988年

 

略年表

1984年《ホーム・ビジター共通》深緑を使ったユニフォームに変更。プルオーバーからボタン式に変更。この年のみヘルメットが前年までの明るい緑が使われる。また、ビジター用の帽子の天ボタンが白と深緑の2種類が存在する。

 

1988年《ホーム・ビジター共通》ダイエーへの球団売却により、本拠地・大阪球場を含めこの年限りとなる。

 

 

ホーム用

 明るい緑を廃止してダークグリーンと呼ばれる深緑と白で勝負したところにかつての栄光を取り戻したいという切実な思いが込められているように感じます。ホーム用は袖ライン、肩ライン、パンツサイドに太いダブルラインを使い、力強さを表現していました。また、1978年以降Bクラスに低迷していたチームを何とかしたい気持ちも表していた気がしました。結果的には優勝はおろかAクラスにも上がれなかったのですが、カッコいいデザインは私の記憶に残りました。
 
 この時期は、野手では門田博光選手、山本和範選手、佐々木誠選手など左打者に打線の核となる選手を揃え、河埜敬幸選手や定岡智秋選手といった強かった時期を知る選手や藤本博史選手、岸川勝也選手などの若手野手が躍動し、投手陣では山内孝徳選手、山内和宏選手に加えて井上祐二選手、西川佳明選手、加藤伸一選手、藤本修二選手などが躍動してました。福岡ソフトバンクホークスが強くなりライオンズファンでもホークスの悪口を言う輩が出てきてますが、この時期を見てきているのでホークスに対して悪口を言いません。むしろ強くなったことをスゴイと思うようにしてます。

 このホーム用ユニフォームで思い出すのは、昭和時代の天皇誕生日だった4月29日頃に南海ホークス西武ライオンズ戦がNHK総合で中継していたことです。なかなか対戦成績が振るわなかったにも関わらず毎年いい戦いを繰り広げていたからです。1986年のオールスターゲームでの西川佳明選手が先発投手としてマウンドに上がり、山本和範選手が活躍したこと、1987年には加藤英司選手と門田博光選手が2000本安打達成、さらに1988年10月15日の大阪球場ラストゲームも思い出します。
 
 なかなか勝てずに苦しかった時代でしたが、自身を磨く為に切磋琢磨しグラウンドで躍動していた選手達とともに、南海ホークス最後のユニフォームをホークスファンならずとも知ってほしいと思います。
 
上の画像は門田博光選手、下の画像は加藤伸一選手。
背面。画像は佐々木誠選手。
 
ビジター用

 このビジターユニフォームには肩ラインが無く、上着が深緑のシンプルデザインでした。また、首ライン、袖ライン、パンツサイドのラインが太めなので強そうに見えます。明るい緑から渋めの深緑になり最初は戸惑いましたが、慣れてくるにつれてカッコいいと思うようになりました。

 

 実はビジターユニフォームを生で見たことがあります。ともに当時小学生でしたが、西武球場での西武ライオンズ戦と群馬県営敷島公園野球場(現在の上毛新聞敷島公園野球場)での日本ハムファイターズ戦です。特に日本ハムファイターズ戦は敷島公園野球場に照明設備が設置されて初のプロ野球公式試合で、加藤英司選手のホームランなどで8点を挙げて最後1点差に迫られながらも8-7で勝ちました。

 

 昭和時代末期に渋めの深緑のユニフォームで若手選手が躍動していた姿を投稿しながら思い出したことにプロ野球を見続けて良かったと改めて思います。

 
上の画像は藤本修二選手、下の画像はトニー・バナザード選手。
背面。画像左が森脇浩司選手。
ホーム・ビジター共通で1984年のヘルメット。画像は山本和範選手。