阪神タイガース 

ホーム用 1979年~1981年

ビジター用 1979年~1983年 


略年表

1979年《ホーム・ビジター共通》ともにシーズン開幕戦より着用される。ホーム用は1981年まで。

1982年 ホーム用がデザイン変更。

1983年 ビジター用の左袖にあるTigersロゴが斜体がかった文字に変更。ビジター用はこの年限りとなる。

 

ホーム用 1979年~1981年
 現在のほうがラインが細めでボタン式であることに違いはありますが、現在のホーム用ユニフォームにどこか通じるものを感じます。阪神タイガースが2022年にユニフォームを変更しデザインを見た時に、このホーム用ユニフォームを思い出しました。このユニフォームは阪神タイガースが黄色ツバの黒帽子を着用した期間(1974年〜1983年、2007年〜2011年、2018年〜現在)の中でNo.1だと今でも思います。パンツサイドのラインを無くし、現在よりもストライプとラインがともに太く、黄色が濃いめでも黄色を多用しておらず全体的にまとまったデザインであるのが理由です。実はこのユニフォームには阪神タイガースのユニフォームで初の何かがあります。それはボタン無しVネックプルオーバーになったことです。次回投稿予定のユニフォームでもVネックプルオーバーになっていて、プルオーバーはひとまず1987年まで続きました。

 2004年から5シーズン在任していた岡田彰布監督が2005年と2006年のセ・パ交流戦で復刻してました。岡田彰布監督の現役時代、新人時代の1980年から2年間(ビジター用は4年間)着用していたユニフォームでしたから思い入れは相当あったんだと思います。2005年の時が好評だったこともあり、2006年はビジターゲームで復刻してました。私もその年インボイスSEIBUドームでこのユニフォーム目当てに兄と観に行きました。今となっては阪神タイガースで好きな丸文字の背番号書体が懐かしいです。

 このユニフォーム、黄色を使ったカッコいいユニフォームだったのに意外と着用期間が3年と短かったです。この3年間色々ございまして、1979年は掛布雅之選手が四番打者に定着し本塁打王を獲得、真弓明信選手と竹之内雅史選手と若菜嘉晴選手や小林繁選手が加入し、贅沢な補強をしたのに4位(笑)。1980年は岡田彰布選手が入団し起用方法をめぐりドン・ブレイザー監督が辞任。1981年は江本孟紀選手が「ベンチがアホやから」発言で電撃引退。などなど、ツッコミどころがたくさんありバタバタ感が強かった時期でした。リアルタイムでは見てなかったですが、濃いめな黄色が輝きを放っていたユニフォームをもう一度見直してもいいのではないかと思います。

上の画像は江本孟紀選手、掛布雅之選手。
背面。画像は左から掛布雅之選手、岡田彰布選手。


ビジター用 1979年~1983年
 ビジター用はブルーグレー地からパウダーブルー(水色地)に変わりました。こちらは5年間着用しました。水色地と濃いめの黄色が相性良く、上手く調和していたイメージがあります。リアルタイムでは微かに記憶しているだけでしたが覚えてました。しかし、このビジター用ユニフォームを着用していた5シーズンすべてで負け越しました。ホーム用ユニフォームでの3年間はトータルでわずかながら勝ち越していただけに何とも悲しいデータです。

 1983年当時、阪神タイガースは2種類の帽子を着用していたことになります。当時小学校低学年でした。今では2種類の帽子を使い分けるチームも珍しく無くなりましたが、同じチームで2種類の帽子なんて珍しいなと思ってました。そのことをずっと不思議に思ってましたが、綱島理友さんの著書『日本プロ野球ユニフォーム物語』を見て、ユニフォームのタイプが異なっていた為に2種類あったことが分かりました。

 このユニフォームは、掛布雅之選手や岡田彰布選手などの生え抜き選手はもちろんのこと、真弓明信選手や小林繁選手などの移籍してきた選手だけでなく、意外にもランディ・バース選手も1年だけ袖を通していました。1985年の日本一を支えた選手達の多く、例えば真弓明信選手、中田良弘選手などのハンサム選手や、バース選手、掛布雅之選手、岡田彰布選手のクリーンナップトリオや、福間収選手、山本和行選手などの中継ぎ・抑え投手などが袖を通していたこのユニフォームを知っていてほしいと思います。
 
1979年〜1982年。上の画像は山本和行選手、下の画像は真弓明信選手。
1983年。画像は野村収選手。
背面。画像は北村照文選手。