中日ドラゴンズ 

ホーム用・ビジター用 1974年~1986年

 

略年表

1974年 《ホーム・ビジター共通》ユニフォーム変更。この年のみスパイクが黒地。

1974年 《ホーム・ビジター共通》スパイクがスカイブルー地に白ラインに変更。

1977年 《ホーム・ビジター共通》選手名の背ネーム表記を採用。

1981年 《ホーム・ビジター共通》第二ボタンまでのヘンリーネックのボタン式に変更。

1984年 《ホーム・ビジター共通》Vネックのプルオーバー式に変更。

1985年 《ホーム・ビジター共通》帽子のボタン穴が白から水色に変更。

1986年 ホーム用のみスパイクが白地にスカイブルーのラインに変更。

 

ホーム用

 ユニフォーム変更に関して詳しいことはわかりませんが、1974年に肩ラインが入ったユニフォームに変更しました。1969年から採用されたスカイブルーを引き続きメインカラーにして、それまでは赤はホーム用の縁取りしか見当たらなかったのですが、Dragonsロゴと番号書体、袖口に赤を採用しました。後に紹介する機会があると思いますが、赤はよく使われてます。 ニット素材ベルトレスユニフォーム全盛期だった頃にベルトレスユニフォームにせずにボタン式ユニフォームを継続したことに、老舗球団のひとつである中日ドラゴンズのプライドを感じました。肩ラインが袖口にかけて末広がりになっていて明るい青だけでなく赤を上手く使うことにより少しカラフルさを表現していると思いました。
 
 このユニフォームを採用した1974年と近藤貞雄監督時代の1982年にリーグ優勝するなど中日ドラゴンズファンには馴染み深いユニフォームですが、他球団のファンからはダサいという話を聞きショックを受けました。私はこのユニフォームがダサいとは思いません。なぜならこのユニフォームは中日ドラゴンズのイメージだと思ってますし、このユニフォームを見て育ったきたからです。ドラゴンズは一時期鉄紺のユニフォームを採用してましたが、中日ドラゴンズらしさが感じられず悲しい気持ちになりました。それだけドラゴンズブルー(スカイブルーあるいはロイヤルブルー)に親しんでいたんだと思います。
 
 このユニフォームも13シーズンにわたって着用されてきただけに細かいマイナーチェンジがありました。帽子のボタン穴が変更されたり、上着もボタン式からヘンリーネック式、最後にはプルオーバー式になったり、選手名の背ネーム表記が途中から採用されたり、ベルトのバックルが大きくなりDをかたどるようになったり、さらにはスパイクシューズの色が変更されたりと多々ありました。採用初年度にリーグ優勝するなど2回もリーグ優勝しているユニフォームであり、後に17シーズンにわたって着用されてきたロサンゼルス・ドジャース型のユニフォームとともに長寿ユニフォームへとつながったユニフォームでもあります。中日ドラゴンズファンに限らず、スカイブルーのカラーを含めてこのユニフォームを見直してほしいと思います。
 
1974年〜1980年。画像は高木守道選手。
1981〜1983年。画像は谷沢健一選手。
1984年〜1986年。画像は小松辰雄選手。
 1974年〜1976年背面。画像は左から谷沢健一選手、高木守道選手。
1977年〜1986年背面。画像は大島康徳選手を祝福する選手達。
 
 
ビジター用
 ビジター用ユニフォームに関して言えば、ライトブルーと赤は相性抜群だと思います。後の広島東洋カープのビジター用ユニフォームにも同じことが言えますが、水色と赤が際立っていたイメージがあります。ホーム用ユニフォームにも言えることかもしれませんが、赤を取り入れることによりカラフル化の波に乗り遅れないようにしたい球団の思惑がユニフォームに現れているように思えます。
 
 ここでは肩ラインのこだわりについて触れていきます。肩口よりも袖口にかけて太くなっているのはお分かりになると思います。実は袖口のところは8㌢にしているそうです。8は末広がりを表していることから採用されたものと思われます。デザインコンセプトをはっきりさせるようになった現在につながる、このこだわりぶりは評価出来ます。太いラインは今では流行らないと思います。ラインを太くすることで強く見せようとする姿勢は見直されてもいいと、このユニフォームを見ると改めて感じます。
 
1974年〜1980年。画像はマーチン選手。
1981年〜1983年。画像はケン・モッカ選手。
1984年〜1986年。画像は鈴木孝政選手。
1974年〜1976年背面。画像は木俣達彦選手。
1977年〜1986年背面。画像は左から中尾孝義選手、小松辰雄選手。