阪神タイガース
ホーム用 1982年〜2000年
ビジター用 1984年〜2000年
略年表
1982年 ホーム用のみ採用。
1984年 ビジター用採用。ホーム用の背番号書体が丸文字から角文字に変更。
1984年《ホーム・ビジター共通》袖章の猛虎マークが付く。ビジター用には黒縁がつく。
1988年《ホーム・ビジター共通》ボタン式に変更。また、ビジター用の帽子のマークが銀糸に変更。
1991年《ホーム・ビジター共通》再度プルオーバーに変更。2000年まで。
2000年 ホーム用の帽子を黒に変更。帽子の後ろに甲子園球場とセ・リーグのマークをアレンジしたワッペンが貼られる。
ホーム用 1982年〜2000年
ビジター用よりも早くデザインを変更しました。帽子のツバやラインから黄色を無くし、袖やパンツサイドのラインも無くし、創設時や1950年代に採用されていた白地に縦縞の帽子を採用するなどシンプルデザインになりました。阪神タイガースファンの中でも好評なユニフォームだと聞いてますし、私もこのユニフォームのデザインをすごくいいなと思います。同時に束の間の天国と長らく続いた地獄を味わったユニフォームだとも感じてます。1985年の伝説のバックスクリーン3連発や日本一、1992年の亀山努選手・新庄剛志選手の活躍で優勝争いをしたシーズンもありましたが、1987年からの暗黒時代のイメージも付きまとっているのも事実です。それだけ長く着用されていたことでもあります。
長く着用されていた分だけマイナーチェンジも多々ありました。1982年からの2年間は丸文字の背番号とこのユニフォームの中でも縦縞が比較的細いところが大きなポイントです。私が最初に見たのは丸文字の背番号書体でした。胸番号書体と背番号書体が異なるのは珍しいので、すごく印象に残りました。また、帽子の縦縞が気持ち細かったのも特徴でした。阪神タイガースの背番号の丸文字は今でも気に入ってます。
1984年からは背番号書体がビジター用と同じ書体になり、縦縞が気持ち太くなりました。また、1985年頃のホーム用限定でウインドブレーカーが白だったのも記憶に残ってます。ホームランを打った選手を白のウインドブレーカーを着た選手が出迎えるシーンはよく見かけましたね。
1988年からの3年間はボタン式になりましたが、あまり見てなかったのか記憶に無かったです。しかし、1991年からプルオーバーに戻したことを考えると、村山実監督の意向が反映されたとしか言えないです。
1991年からのプルオーバー時代は、1992年の大躍進の時に八木裕選手の幻のサヨナラホームラン(試合時間6時間26分!)、『甲子園の織田裕二』と呼ばれた藪恵壹(当時の登録名は藪恵市)選手の力投、『神のお告げ』で突如退団したグリーンウェル選手の一時的な活躍などが印象に残りました。
1982年〜1987年。上の画像は小林繁選手、下の画像はランディ・バース選手。
1984年〜2000年背面。画像は掛布雅之選手。
1982年〜1983年。画像は球団の月刊誌の表紙より。左から小林繁選手、山本和行選手。
ビジター用
1984年に採用されたグレー地の縦縞が特徴のビジター用ユニフォームは天国と地獄を味わった時期でもあったこともあり、チームが強い時には光沢感があるシルバーグレーに見え、逆に弱いときには何となく貧相に見えるような気がしました。それでも余計なラインや柄が無いシンプルデザインなのでとてもいいユニフォームだと思います。この時からホーム用・ビジター用ともに左袖に猛虎マークが復活しました。猛虎マークに黒縁が入るようになりました、さらにプルオーバーからボタン式になった1988年からは帽子のマークが銀糸になりました。ボタン式になったことよりも銀糸になったことにはなぜか気付いてました。それだけボタン式のイメージが無かったのかな思います。1991年に再度プルオーバーに戻り、2000年まで着用されました。
このユニフォームでは、1985年のリーグ優勝と日本シリーズ第1戦の池田親興選手の完封勝利と日本一の瞬間、翌年のオールスターゲームで川藤幸三選手の全力疾走(笑)、1992年の神宮球場でのヤクルトスワローズとの激しい優勝争いなど悪いことばかりでなく輝かしい場面もきちんと彩ってました。
2009年に復刻してましたが、今の選手が着用してもサマになるデザインだと思います。たとえ縦縞が無くてもホーム用・ビジター用ともに「ウル虎の夏」でこのユニフォームをモチーフにしたデザインを期待したいです。カッコいいユニフォームになりそうな予感がします。
1984年〜1987年。画像は1985年日本一の瞬間。