日本ハムファイターズ 
ホーム用・ビジター用 1982年〜1992年
 
略年表
1982年《ホーム・ビジター共通》 前年のリーグ優勝のご褒美としてユニフォームを変更。
1988年《ホーム・ビジター共通》 東京ドーム開業に伴い帽子が変更。前面が白となる。スパイクシューズもオレンジ地から白ラインから白地にオレンジのラインに変更。1992年まで。
 
 
​​​​​ホーム用
  1981年のオールスターゲームにてミシンの縫い目がはっきりとわかるくらいの継ぎ接ぎだらけのユニフォームが公の場で露呈されました。優勝したご褒美としてユニフォームを変更することになりました。前年までの青から一転してバーニングカラーと呼ばれるオレンジ黄色の派手なユニフォームとなりました。赤とオレンジと黄を上手く使ってレインボーカラーと呼ばれ注目を浴びたヒューストン・アストロズをモデルにしてますが、バーニングカラーと言う割にはロゴと番号書体にを使っているからでしょうか、まとまりのあるデザインであり不思議と見飽きなかったです。私がプロ野球を見始めたのが1983年でしたので、日本ハムファイターズというとこのユニフォームをイメージしますし、日本ハムファイターズのチームカラーがオレンジというイメージも今でも持っています。

 1988年の東京ドーム開業時に帽子とスパイクシューズを変更しました。オレンジ一色の帽子は後楽園球場で、前面が白の帽子は東京ドームでの試合によく映えてました。筆記体のFightersに紺文字のTOKYOのマークもオレンジ一色の帽子も好きでしたが、前面が白の帽子も好きでした。マイナーチェンジはあっても派手さの割にまとまりのあるユニフォームでしたからガッカリすることなく見ていられました。

 このホーム用ユニフォームを現地観戦して見ていました。後楽園球場時代に近鉄バファローズ戦を父と兄と3人で、東京ドーム時代に独りで西武ライオンズ戦を観た記憶があります。前橋市の敷島公園野球場でのファイターズ主催試合を数試合観たことがありました。また、テレビ中継でははたまにテレビ朝日で近鉄バファローズ戦や西武ライオンズ戦中継していたことを思い出します。

 このユニフォームは2014年に復刻しました。大谷翔平選手や上沢直之選手あたりはよく似合ってました。大沢啓二監督、江夏豊選手、柏原純一選手など青のユニフォームの時代からの選手よりも当時の西崎幸広選手や白井一幸選手のような爽やかさが滲み出ている選手がしっくりとくるデザインでした。21世紀に入ってから野球ファンになった方はもちろん、ファイターズファンならずともこのユニフォームを知ってほしいと思います。

1982年〜1988年。上の画像はトミー・クルーズ選手、下の画像は江夏豊選手。
1988年〜1992年。上の画像は西崎幸広選手、下の画像は柴田保光選手。
1982年〜1992年背面。画像はトニー・ソレイタ選手。
 
ビジター用
 ビジターユニフォームのほうがより派手さが伝わるだけでなくまとまりのあるデザインだと伝わると感じるのは私だけではないと思います。オレンジ色は明るい色彩ということもあり、他球場でのビジターゲームで見事に映えてました。着用していた11シーズンで勝ち越したシーズンが少なかったのは残念でした。これはどうでもいい話ですが、前回までのビジター用ユニフォームにあった、丸っこいナール文字のNippon Hamのロゴが左袖に移ったことをアメブロを始める前まですっかり忘れてました。恥ずかしい話ですね(汗)。

 現地観戦ではこのビジター用ユニフォームを見た記憶が無かった気がします。テレビ中継では西武ライオンズ日本ハムファイターズ戦をTBSやテレビ朝日などで中継していたり、ごくまれにテレビ東京でロッテオリオンズ対日本ハムファイターズ戦を中継していたりして見ていたことを思い出します。

 1982年後期以外は優勝出来ずに苦しかった時代でしたが、1980年代から90年代前半にかけて華やかに彩ったことは間違いありません。ファイターズの職員の方、このブログを見ていたらこのユニフォームの復刻を検討していただけませんか?間違いなくヒットしますよ!

1982年〜1987年。上の画像は大沢啓二監督、下の画像はパット・パットナム選手。
1988年〜1992年。上の画像は大島康徳選手、下の画像は白井一幸選手。
1982年〜1992年背面。画像はマイク・イースラー選手。