広島東洋カープ 

ホーム用・ビジター用 1977年〜1988年


略年表

1977年《ホーム・ビジター共通》 この年のみ背ネーム表記無し。

1978年《ホーム・ビジター共通》 この年から背ネーム表記が採用され、選手名が表記される。

1988年《ホーム・ビジター共通》 この年のみベルトレスからカバー付きインナーベルトに変更となる。

 

ホーム用

 赤ヘル軍団と呼ばれリーグ優勝を果たした1975年から2年後、ついに赤をメインカラーとしたユニフォームを着用することになりました。このユニフォームを境に赤がメインカラーになり、広島東洋カープ=赤を決定付けるようになりました。実は1975年に赤い帽子を採用する際に、赤を前面に押し出したユニフォームにしたかったようですが、予算の都合で持ち越されました。これはかなり無理矢理な感じで述べますが、割合を示すと濃紺の比率がおよそ3:7(1975年)からおよそ8:2(1977年)になりました。また、濃紺の使い方が上手くて、濃紺が赤を引き立たせていて素晴らしいデザインだと思います。濃紺は2009年からのユニフォームでも採用され、2016年からの3連覇につながる縁起の良いカラーとなりました。私は広島東洋カープのユニフォームは赤濃紺があるユニフォームが好きですし、赤ヘル軍団のベストカラーだと思います。


 このユニフォームで印象に残るのはベルト周りの色合いでしょうか。前のユニフォームは赤に濃紺をはさむ感じでしたが、このユニフォームは赤に濃紺を真ん中に入れた感じでした。ただ、ベルトレスユニフォームが終焉を迎えていた時代、時代には逆らえず1988年にはカバー付きのインナーベルトが入るようになりました。詳しくはホーム用は高橋慶彦選手、ビジター用は北別府学選手の画像を御覧ください。


 古葉竹識監督、阿南準郎(あなん じゅんろう)監督の時代でしたが、このユニフォームでリーグ優勝4回、日本一3回を記録するなど、常にAクラスにいたほど広島東洋カープが強かった時期でした。記事を投稿しながら、広島市民球場で選手達がこのユニフォームで躍動していた姿を思い浮かべています。1978年のようにチーム本塁打205本を叩き出して打力にモノを言わせていた時代もありましたが、私が見ていた広島東洋カープは強力投手陣を前面に押し出し、機動力を上手く絡めて得点を挙げ、わずかな点差を守り抜いていた野球でした。実は西武ライオンズを応援しつづけてますが、黄金時代の西武ライオンズに似た野球をしていたこともあり、広島東洋カープも好きな球団です。


 もし2009年〜2022年までのユニフォームが無ければ、このホーム用ユニフォームがNo.1だったと思います(ビジター用がNo.2でした)。1980年代の広島東洋カープ黄金時代を彩ったユニフォームをカープ女子はもちろん、最近カープファンになった方やファンならずとも知ってほしいと思います。



1977年〜1987年。上の画像は山根和夫選手、下の画像は山本浩二選手。
1988年。画像は高橋慶彦選手。
1978年〜1988年背面。画像は長嶋清幸選手。

1977年背面。画像は衣笠祥雄選手。

 

 

ビジター用

 スカイブルー地に赤文字がとても似合ってました。このビジター用ユニフォームはカープファンならずとも人気が高く、ビジター用ならこのユニフォームが好きと言う方が私の周りでも多いです。私もこのビジター用ユニフォームも好きです。色合いだけでなく、スパイクもスカイブルー地に赤ラインで統一されていたこともポイントが高いです。


 このユニフォームが着用された時期は山本浩二選手、衣笠祥雄選手、水谷実雄選手などなかなか勝てなかった時代から主力選手として活躍した選手が円熟期に入り、北別府学選手、山根和夫選手、大野豊選手、高橋慶彦選手などが台頭して黄金時代に入った時期でした。様々なスター選手が台頭して活躍しましたが、このビジターユニフォームで印象に残っている選手は津田恒実選手でしょうか。1986年だったと記憶してますが、甲子園球場での阪神タイガース戦でイニングの途中から津田恒実選手がマウンドに上がり、すべてストレートでバース選手、掛布雅之選手を連続三振に抑えたシーンが目に浮かびました。


 今年採用されたビジター用ユニフォームのロゴと番号書体が見辛いと以前投稿しました。2009年〜2022年の上着が赤のユニフォームもカープらしさがあってカッコいいと思いますが、スカイブルー地のユニフォームでもカープらしさを出せる意味でもいいのではないかと思います。



1977年〜1987年。上の画像は津田恒実選手、下の画像は左から山本浩二選手、藤田浩雅選手(阪急ブレーブス)、衣笠祥雄選手。

 1988年。画像は北別府学選手。

1978年〜1988年背面。画像は古葉竹識監督を胴上げする選手達。
1977年背面。画像はエイドリアン・ギャレット選手。