久しぶりのプロ野球ユニフォームをタイプ別に語るシリーズ。
第六弾は1970年代に一時期流行った、ベルトを無くした「ベルトレスユニフォーム」です。


今見るとパジャマみたいだが、1970年代には日米問わず大流行。
 1971年に来日したボルティモア・オリオールズのユニフォームがベルトレスユニフォームだったのをキッカケに日本プロ野球界にもベルトレスユニフォームを取り入れるようになったそうです。強かったことよりもベルトレスユニフォームで躍動するオリオールズの選手たちに感動を覚えたようです。
画像はマーク・ベランガー選手。

 翌年になり阪急ブレーブス、南海ホークス、東映フライヤーズが一斉にベルトレスユニフォームを採用し、瞬く間に他球団にも広がりました。歴代ユニフォームシリーズを作成している過程で見てきましたが、福本豊、野村克也、江本孟紀、門田博光、張本勲、大杉勝男、東尾修、竹之内雅史、鈴木啓示、江夏豊、山本浩二、衣笠祥雄、大下剛史、シピン(敬称略)などといった1970年代のスター選手や猛者がベルトレスユニフォームを着用していたんですよ。当時の選手たちはどう感じていたのでしょうか。

 ベルトレスユニフォームのタイプとしては大きく分けて2つありました。内側に紐があるもの外側にボタンを留めるものです。前者が多かったですが、東映フライヤーズ・日拓ホームフライヤーズ前期や1977年から1987年の広島東洋カープは後者でした。中には西武ライオンズのように、両者を併用するチームもありました。のちに阪急ブレーブス、近鉄バファローズ、西武ライオンズ、南海ホークスはベルトの部分だけカバー付きインナーベルトタイプを採用し、ベルトレス時代の名残を残してベルト式にしました。

 しかし、なぜ廃れたのが早かったのでしょうか。お腹に力が入らない、ヘッドスライディングしたときに砂が入るといった理由があったようです。日本プロ野球でも広島東洋カープが1988年にカバー付きインナーベルトタイプを採用したのを最後に採用されなくなりました。なお、カバー付きインナーベルトタイプについては、各球団ごとに「おいねのほんね。My favoriteユニフォーム2020年・2021年版」を御覧いただくようお願いいたします。二重山括弧内に投稿した日付を記しましたので参照してください。

 もう採用する球団も無ければ、復刻されることも無いベルトレスユニフォーム。おいねのほんねとしては、歴代ユニフォームとして取り上げることでしかスポットライトを当てる機会がありません。ユニフォームの一つの歴史としてベルトレスユニフォームがあったことを忘れないでほしいと思います。

阪急ブレーブス 1972年〜1979年
この時期に、リーグ優勝5回、日本一3回と黄金時代を築きました。1980年からはカバー付きインナーベルトタイプに変更しました(1988年まで)。画像は1975年の日本一をファンに報告する上田利治監督(右端)など。《2021年1月4日》

南海ホークス 1972年〜1982年
1972年〜1976年。画像は江本孟紀選手。《2021年1月26日投稿》
1977年。画像は野村克也選手兼任監督。《2021年1月26日投稿》
1978年〜1982年(ホーム用は1980年を除く)。1983年はホーム用のみカバー付きインナーベルトタイプになりました。画像は門田博光選手。《2021年1月7日投稿》
1980年ホーム用。画像は香川伸行選手。《2021年1月26日投稿》

東映フライヤーズ・日拓ホームフライヤーズ・日本ハムファイターズ 1972年〜1978年
東映フライヤーズ、日拓ホームフライヤーズ前期。ボタンを留めるタイプでした。画像は大杉勝男選手。《2021年1月27日》
日拓ホームフライヤーズ後期。七色のユニフォームにも採用されました。《2021年1月31日投稿》
日本ハムファイターズ。ベルト周りはオレンジ中心でしたが、初期の頃は紺とオレンジがあり、1979年にはベルト式に変更しました。画像は張本勲選手。《2021年1月10日、31日投稿》

太平洋クラブライオンズ・クラウンライターライオンズ・西武ライオンズ 1973年〜1979年
太平洋クラブライオンズ。ベルト周りが赤と青でしたが、ユニフォームによっては位置が変わりました。画像は東尾修選手。《2021年1月16日、29、31日投稿》
クラウンライターライオンズ。上着がプルオーバー式ではなくボタン式でしたが、ボタン式にベルトレスユニフォームは少し違和感を覚えます。画像は左から永射保選手、若菜嘉晴選手。《2021年1月29日》
西武ライオンズ。内側に紐があるタイプとボタンを留めるタイプがありました。翌年からはカバー付きインナーベルトタイプに変更しました(ホーム用は2001年まで、ビジター用は1995年まで)。画像は野村克也選手。《2021年1月16日投稿》

広島東洋カープ 1973年〜1987年
1973年〜1976年。濃紺帽子から赤帽子に変わる時期に採用されました。画像は左からホプキンス選手、山本浩二選手、衣笠祥雄選手。《2020年12月13日、23日投稿》
1977年〜1987年。ボタンを留めるタイプでした。1988年のみカバー付きインナーベルトタイプに変更しました。画像は江夏豊選手。《2020年12月13日投稿》

近鉄バファローズ 1974年〜1977年
赤袖ユニフォームの一時期だけ採用されました。1978年からはカバー付きインナーベルトタイプに変更しました(1996年まで)。画像は西本幸雄監督。《2021年1月19日投稿》

大洋ホエールズ 1974年〜1977年
伝説の湘南電車ユニフォーム時代だけ採用されました。上着がオレンジでも緑色でもベルト周りの色は同じでした。画像は平松政次選手。《2020年12月10日投稿》

ヤクルトスワローズ 1974年〜1976年
ビジター用のベルト周りは濃紺・白・濃紺でした。内側に紐があるタイプと画像のようにボタンを留めるタイプがありました。1977年にはベルト式に変更しました。画像は若松勉選手。《2020年12月16日、25日投稿》