アメブロ「おいねのほんね」を始めてから6年経つ。今の時期、駅伝競走🎽、サッカー⚽、ラクビーラグビー、バレーボール🏐など学生スポーツの全国大会が行われ全国ネットでテレビでも中継される。私のブログを御覧になっている方は気付かれていると思うが、実は学生スポーツの投稿を未だにしたことがない。今回はその理由を投稿させていただく。

 最大の理由として、学生スポーツの全国大会は負けたら終わりがほとんど。投稿すれば負けた学校の関係者をひどく傷つけてしまう。さらに、学校関係者だけでなく、選手本人が誰よりも傷ついてしまうと考えるからだ。
学生に限らずプロスポーツ選手に言えることだが、勝負に勝つ為に競技をしている。負けたくて競技をするわけではない。しかし、リーグ戦ではなくトーナメント戦で戦う学生スポーツは勝つか負けるかを決めるものである。全国大会に勝ち上がる学校があるその裏側には涙を流した学校関係者がいる。それより何より、学生選手には限りない未来があるから、たった一つのミスで選手を傷つけることはあってはならないと考えているのだ。

 私がこの題名を投稿するにあたって、どうしても切り離せない出来事がある。それは1991年(平成3年)の箱根駅伝で華の2区を走っていた櫛部静二選手(当時早稲田大学1年生)の大ブレーキである。1位で襷を受けた櫛部選手が体調不良で特に後半フラフラになりながら走り、もがき苦しみながらも何とか14位で襷を渡した出来事である。当時中学3年生であったが、テレビに映った櫛部選手を見ていて辛くなり可哀想になった記憶がある。本来なら1年生でエース区間を任されること自体素晴らしいことであるのに、もがき苦しむ櫛部選手をテレビはこれでもかと映し出す。当時テレビを見ていた視聴者の心を揺さぶり胸をアツくさせたのは言うまでもないが、櫛部選手にとっては残酷で辛かったに違いない。また、言い方は悪いが全国ネットで恥をかいたと思ったに違いない。それでも翌年1区で区間賞を獲るなど屈辱をバネにして活躍した櫛部選手は本当に凄い選手であると私は素直に思う。

 おそらく今後も負けたら終わりの学生スポーツの投稿はするつもりはない。せいぜい光り輝いていた選手を紹介するだけにとどめておくことにしておく。学生さんの未来を私の拙い投稿で潰したくないから。