今回は比較的多めですが、ひとまとめにして紹介します。なお、埼玉ユニフォームは2015年~現在のビジター用に採用されましたので割愛させていただきます。
限定ユニフォーム。

2007年。サマーユニフォームとして夏季限定で1979年~1995年のビジター用と併用しました。背中の牙がアクセントになってましたがあまりカッコ良くなかったです。画像は中島裕之選手。

2008年。交流戦限定ホーム用ユニフォームでした。肩の星(というより十字)マークと背番号の下のメッセージがカッコいいですね。画像は中島裕之選手。

2012年。西武鉄道100周年記念で当時中学生がデザインしたユニフォーム。やはりライオンズはライトブルーに赤、緑なんだと感じました。画像は勝利を祝うナイン。

2014年。ジャングル大帝ユニフォーム。レオマークがパンジャをモデルにしたのがわかりました。ロゴと背番号が奇抜でした。画像は左から炭谷銀仁朗選手、木村文紀選手。

2015年。西武鉄道100周年記念に西武電車をモチーフにしました。西武線沿線在住の方には好評でしたが、それ以外の方には不評でした。13連敗中だったので5戦全敗でした。画像は左から牧田和久選手、高橋朋己選手。
復刻ユニフォーム。


2008年。西鉄ライオンズ黄金期のホーム用を復刻しました。福岡から埼玉へ移転したライオンズが福岡時代に目を向けたことが画期的でした。翌年から西鉄の黒と西武の青を混ぜて紺色にしました。上の画像は岸孝之選手、下の画像はG.G.佐藤選手。


2009年、2013年。1979年~2001年のホーム用を復刻しました。2009年はベルト周りが黄金期と同じでした。上の画像は岸孝之選手、下の画像は中村剛也選手。


2010年。1973年の太平洋クラブライオンズのホームセカンドユニフォームを復刻しました。赤い肩口は近鉄バファローズよりも先だったことを学んだ方が多かったです。また、鷹の祭典で赤だったので赤赤対決には笑えました。上の画像はは左から中島裕之選手、栗山巧選手。下の画像はサヨナラヒットで水を浴びせるナイン。


2011年。1951年のユニフォームを復刻しました。ロゴのモコモコ感に抵抗を感じましたが慣れてきたら良く感じました。また、茶色のベルトに味わいを感じました。上の画像は栗山巧選手、下の画像はストレッチをするナイン。

2012年。1961年のホーム用ユニフォームを復刻しました。稲尾和久さんの永久欠番イベントで監督・コーチ・選手全員が背番号24を着けました。画像は左から渡辺久信監督、岸孝之選手、牧田和久選手、中村剛也選手。

2013年。1936年の東京セネタースのユニフォームを復刻しました。西武鉄道→西鉄軍→一度解散→西鉄→西武へと輪廻天生を感じました。また、古臭さを感じさせないカッコ良さがありました。画像は左から栗山巧選手、秋山翔吾選手。


2007年、2014年。1979年~1995年のビジター用を復刻しました。ベルト周りが異なります。勝率が高いイメージそのままでした。上の画像は左から十亀剣選手、浅村栄斗選手。下の画像はマウンドに集まるナイン。
限定ユニフォーム。

2007年。サマーユニフォームとして夏季限定で1979年~1995年のビジター用と併用しました。背中の牙がアクセントになってましたがあまりカッコ良くなかったです。画像は中島裕之選手。

2008年。交流戦限定ホーム用ユニフォームでした。肩の星(というより十字)マークと背番号の下のメッセージがカッコいいですね。画像は中島裕之選手。

2012年。西武鉄道100周年記念で当時中学生がデザインしたユニフォーム。やはりライオンズはライトブルーに赤、緑なんだと感じました。画像は勝利を祝うナイン。

2014年。ジャングル大帝ユニフォーム。レオマークがパンジャをモデルにしたのがわかりました。ロゴと背番号が奇抜でした。画像は左から炭谷銀仁朗選手、木村文紀選手。

2015年。西武鉄道100周年記念に西武電車をモチーフにしました。西武線沿線在住の方には好評でしたが、それ以外の方には不評でした。13連敗中だったので5戦全敗でした。画像は左から牧田和久選手、高橋朋己選手。
復刻ユニフォーム。


2008年。西鉄ライオンズ黄金期のホーム用を復刻しました。福岡から埼玉へ移転したライオンズが福岡時代に目を向けたことが画期的でした。翌年から西鉄の黒と西武の青を混ぜて紺色にしました。上の画像は岸孝之選手、下の画像はG.G.佐藤選手。


2009年、2013年。1979年~2001年のホーム用を復刻しました。2009年はベルト周りが黄金期と同じでした。上の画像は岸孝之選手、下の画像は中村剛也選手。


2010年。1973年の太平洋クラブライオンズのホームセカンドユニフォームを復刻しました。赤い肩口は近鉄バファローズよりも先だったことを学んだ方が多かったです。また、鷹の祭典で赤だったので赤赤対決には笑えました。上の画像はは左から中島裕之選手、栗山巧選手。下の画像はサヨナラヒットで水を浴びせるナイン。


2011年。1951年のユニフォームを復刻しました。ロゴのモコモコ感に抵抗を感じましたが慣れてきたら良く感じました。また、茶色のベルトに味わいを感じました。上の画像は栗山巧選手、下の画像はストレッチをするナイン。

2012年。1961年のホーム用ユニフォームを復刻しました。稲尾和久さんの永久欠番イベントで監督・コーチ・選手全員が背番号24を着けました。画像は左から渡辺久信監督、岸孝之選手、牧田和久選手、中村剛也選手。

2013年。1936年の東京セネタースのユニフォームを復刻しました。西武鉄道→西鉄軍→一度解散→西鉄→西武へと輪廻天生を感じました。また、古臭さを感じさせないカッコ良さがありました。画像は左から栗山巧選手、秋山翔吾選手。


2007年、2014年。1979年~1995年のビジター用を復刻しました。ベルト周りが異なります。勝率が高いイメージそのままでした。上の画像は左から十亀剣選手、浅村栄斗選手。下の画像はマウンドに集まるナイン。