阪神タイガース
ホーム用・ビジター用 1965年途中〜1973年
略年表
1965年《ホーム・ビジター共通》オールスターゲームあたりからユニフォームを変更。1973年まで。
1970年《ホーム・ビジター共通》選手名が入った背ネーム表記を採用。ビジター用のみ、左袖にある猛虎マークが刺繍に変わる。
1972年《ホーム・ビジター共通》帽子のマークの部分と空気穴部分に黄色が入る。
ホーム用
阪神タイガースの歴代ユニフォームの中で一番カッコ良くて強そうなユニフォームはどれか?と聞かれたら迷うこと無くこのユニフォームと答えます。そのくらいカッコいいですし、強そうなユニフォームです。そう見えるのは何かを考えてみたら、どうやら太めのラインがそうさせているとわかりました。チームが実際に強くなるかどうかは別として、その頃のプロ野球球団の中には、例えば鶴岡一人監督時代の南海ホークスのように、強そうに見せるために太めのラインを採り入れる球団があったようです。しかし、何故シーズン途中での採用になったのでしょうか?
このユニフォームよりも前のユニフォームでリーグ優勝2回を記録したことを以下の投稿で触れました。
このユニフォームを袖を通して活躍した選手を取り上げます。投手陣では村山実選手、ジーン・バッキー選手、江夏豊選手、上田二朗選手、古沢憲司選手、谷村智啓選手、捕手では辻佳紀選手、辻恭彦選手、田淵幸一選手、内野手では遠井吾郎選手、安藤統夫選手、藤田平選手、外野手ではウィリー・カークランド選手、池田純一(池田祥浩)選手、藤井栄治選手が挙げられます。さらに、吉田義男選手、鎌田実選手、小玉明利選手の現役生活晩年にこのユニフォームを着用してました。
読売ジャイアンツとの「伝統の一戦」シリーズで、V9ジャイアンツの復刻ユニフォームと阪神タイガースのこの復刻ユニフォームを対戦している姿を見てみたいです。やってほしいと願ってます!
ビジター用
ビジター用はグレー地でした。首周り、袖、パンツサイドのラインと猛虎マークだけのシンプルデザインでした。
この時代は読売ジャイアンツとの熾烈な戦いをしていました。特に1973年は優勝に最も近かったシーズンでした。11勝13敗2引き分けと負け越しましたが、話題に事欠かない試合が多かったです。
7月1日は上田二朗選手が9回裏ツーアウトまでノーヒットノーランしたものの、長嶋茂雄選手にヒットを打たれるも完封勝ち。
8月5日には黒江透修選手の打球を池田祥浩選手が芝生に足をとられて転倒し後逸し逆転負け。
10月10日には田淵幸一選手の逆転満塁ホームランで逆転勝利。
翌11日には7点リードをひっくり返され、10-10の時間切れ引き分け。
10月22日の最終戦では0-9で完封負けし、ジャイアンツのV9を許す結果になりました。
このシーズンは10月20日の中日ドラゴンズ戦で勝てば9年ぶりのリーグ優勝を成し遂げるはずでしたが、ドラゴンズの先発の星野仙一選手を打ち崩せず2-4と惜敗し、先述の最終戦にも負けてしまい、さらに12年後までリーグ優勝を待たなければいけなくなりました。そういう意味ではもったいないシーズンでした。因みに9連覇中にジャイアンツに勝ち越したシーズンは1970年だけ(13勝12敗1引き分け)でした。
リーグ優勝こそ出来ませんでしたが、カッコ良さではV9ジャイアンツには負けてません。だからこそホーム用・ビジター用とも復刻ユニフォームとしてもう一度見たいです。
1965年途中~1971年。画像は藤本定義監督。
1972年~1973年。画像は左から江夏豊選手、田淵幸一選手。
上の画像は安藤統夫選手、下の画像はウィリー・カークランド選手。








