南海ホークス
 ホーム用ビジター用 1970年〜1971年
 
略年表
1970年《ホーム・ビジター共通》野村克也選手兼任監督就任に伴いユニフォームを変更。1971年まで。
 
ホーム用
 鶴岡一人監督時代のユニフォームに、胸番号がついているが肩ラインが無いデザインでした。派手好きな野村克也監督が最初に採用したユニフォームは意外な程に地味でした。前年の1969年から採用されていましたが、結果的に肩ライン無しユニフォームは野村政権の象徴になりました。
 
 1967年には初のBクラスに転落、1969年には初の最下位を記録しました。外国人選手が上手く当たり、外国人選手をとっかえひっかえしながら戦っていった為に変わり映えしないレギュラー選手の年齢層の高くなったなどもあり、この2シーズンは若返りを求められ、若手選手の登用をせざるを得なかった事情がありました。投手陣では佐藤道郎選手、西岡三四郎選手など、野手では藤原満選手、富田勝選手、門田博光選手といった若手選手の台頭がありました。そんな中で佐藤道郎選手は抑えの切り札として1970年に新人王と最優秀防御率を、門田博光選手は早くから才能を見出だされ台頭し1971年に打点王を獲得しました。
 また、前年の不調から野村克也選手兼任監督も復調し、広瀬叔功選手やクラレンス・ジョーンズ選手も活躍してました。カープから移籍してきた古葉竹識選手は野村政権でドン・ブレイザーヘッドコーチの考える野球を学び、のちに広島東洋カープの黄金時代を築き上げました。
 
 肩ラインが入った南海ホークスの象徴となったユニフォームとベルトレスユニフォームとのはざまにあった、このユニフォームをプロ野球ファン、特にホークスファンは知っていてほしいと思います。
 
画像は島本講平選手。
 
ビジター用
 グレー地で胸ロゴが深緑に白の縁取りでNANKAIとあり、胸番号が入りました。2019年に復刻しましたが、肩ラインがないぐらいで、悪くはなかったと思います。不思議なくらいグレーと深緑が映えてました。
 
 ビジター用ユニフォームに少しだけ関係あるので、こちらでは野村克也選手兼任監督がのちに妻となる沙知代さんとの出会いをWikipediaから若干表現を変えて触れていきます。
 

 1970年8月18日から20日に後楽園球場で開催される対東映フライヤーズ戦のために上京。宿泊先の原宿のホテルに程近い行きつけの高級中華料理店を訪れた際に、野村監督は沙知代さん(当時、伊東芳枝)と相席になり一緒に食事を取りながら談笑した。これが二人の出会いであるという。

 

とあります。知り合ってから結婚までに至る経緯やその後沙知代さんが南海ホークスにもたらしたことについては触れませんが、当時既婚者だった二人はダブル不倫という形になり、後々お互いに離婚し夫婦になり、全国的に有名になっていきます。

 鶴岡一人監督とは違う野球をすると言いながら、ユニフォームは肩ラインが無いだけで基本的には踏襲した形になりました。当時の南海ホークスのファンはどんな思いでこのユニフォームを見ていたのでしょうか。
 
画像は佐藤道郎選手。