近鉄バファローズ
ホーム用ビジター用 1966年〜1973年前期、1973年後期
 
略年表
1966年《ホーム・ビジター共通》 ロサンゼルス・ドジャースを参考にしたユニフォームに変更。濃紺をベースに、ストッキングに柿色(白と紺もラインとして)を使用する。また、後半から左袖に猛牛マークが入る。1973年前期まで。
1968年 ホーム用のみ。番号書体が若干丸みを持った書体になる。
1969年《ホーム・ビジター共通》ヘルメットのマークが猛牛マークになる。1971年まで。
1972年《ホーム・ビジター共通》帽子のツバ、ベルトの色、左袖の猛牛マーク、ストッキングの色が柿色に変更。1973年まで。
1973年後期《ホーム・ビジター共通》襟、袖、ベルト通し、パンツサイドに濃紺と柿色のラインが入る。この年限り。
 
 
ホーム用
 近鉄バファローズというと、両袖が赤のユニフォームを思い出す方がほとんどかと思います。その前がセットインスリーブでラインがない、ロサンゼルス・ドジャース風のシンプルなユニフォームだったことを信じるプロ野球ファンはあまりいないのではないでしょうか。地味なシンプルユニフォームから派手派手な赤のラグランスリーブのユニフォームに変わるとはこの当時のプロ野球ファンは思わなかったはずです。個人的にはこのユニフォームを悪く捉えていません。高校野球の様なユニフォームという感じではなくて、普通のラインなしのユニフォームという認識です。ただし、猛牛マークが無ければ、高校野球のユニフォームよりも練習着みたいな感じになりますが。

 1966年、岩本義行監督時代にロサンゼルス・ドジャース風にユニフォームを変更しました。胸ロゴがBuffaloesに変更し、左袖には猛牛マークが復活しました。この胸ロゴと左袖の猛牛マークは、ビジター用もそうですが、1996年まで30年使われることになりました。ストッキングが柿色一色ではなく、柿色に白と紺のラインが入ったものになりました(ただし、1972年に柿色一色に変更しました)。ストッキングだけはボストン・レッドソックスを参考にしたそうです。ドジャースとレッドソックスのいいところ取りと言ったら近鉄バファローズファンに怒られそうですね。
 また、これはカルビープロ野球チップスの本で初めて知ったことですが、1973年後期になると、ホーム用・ビジター用ともに襟、袖、パンツサイドに柿色と紺のラインが入りました。緊急措置的にカラフル化に乗り遅れまいとする気持ちが表れてました。何もないよりはマシといった感じになるのでしょうか。それでも上手くまとまっていました。

 この時代の選手を取り上げると、三原脩監督時代は投手王国だったこともあり、投手陣は充実してました。鈴木啓示選手、佐々木宏一郎選手、板東里視選手、清俊彦選手、岡田光雄選手などが、野手陣も土井正博選手、永淵洋三選手、小川亨選手、安井俊規選手、一枝修平選手、辻佳紀選手などが活躍してました。
 中でも太田幸司選手、仲根正広選手といった甲子園で人気があった選手が入団したことにより、近鉄バファローズの知名度や人気が出てきました。特に太田幸司選手の場合は凄まじい人気ぶりで、初めて読売ジャイアンツとのオープン戦を組んでもらったり、日生球場に女子トイレが増設することになったりと、太田幸司選手の入団は万年弱小チームに新たな風を送り込むことになりました。

 両袖が赤のラグランスリーブのユニフォームが世に出る前に、近鉄バファローズのイメージを決定づける下地がこの時に出来ていたことを忘れないでほしいと思います。

1966年〜1971年。画像は太田幸司選手。
1969年〜1971年、猛牛ヘルメット。画像は土井正博選手。
1972年〜1973年前期。画像は左から太田幸司選手、仲根正広選手。
1973年後期。画像は鈴木啓示選手。

ビジター用
 ビジター用はグレー地(1972年からブルーグレー地っぽくなりました)で、胸ロゴがゴシック体でKINTETSUになりました。高校野球のユニフォームみたいだと揶揄されていたようですが、特にKINTETSUロゴは近鉄バファローズのビジター用の象徴として30年使われることになります。

 このビジター用ユニフォームで思い出すのは、1969年5月18日の西宮球場での阪急ブレーブス戦でのジムタイル(本名はジム・ジェンタイル)選手がホームランを打ったものの、一塁に向かう途中で左足に肉離れを起こし代走が送られました。普通ホームランを打てばホームベースを踏むことになるので得点が記録されますが、肉離れを起こし歩けない状態だったので、代走に伊勢孝夫選手が送られ、伊勢選手がホームベースを踏みました。本塁打を打った選手に代走が送られることは史上初でした。なお、本塁打と打点はジムタイル選手に、得点は伊勢孝夫選手に記録されました。このシーズンのジムタイル選手は塁に出た時点で即代走が送られていたので、本塁打でしか得点が記録されなかった為、本塁打が8で得点が7という極めて珍しい記録の持ち主になりました。
 因みに、代走に出た伊勢孝夫選手はその試合の8回に正真正銘の決勝ホームランを打ったこともこちらで記しておきます。何だかドラマチック・バファローズらしいですね。

 三原脩監督時代の1969年には初優勝まであと一歩まで来ていました。それでも1972年までの4シーズンはAクラスにとどまっていました。初優勝まではまだまだ道のりは遠かったですが、チーム力は間違いなく身に付いてきていた時代のユニフォームをプロ野球ファンなら知っていてほしいとも思います。

1966年〜1971年。画像は土井正博選手。
1972年〜1973年前期。画像は鈴木啓示選手。
1973年後期。画像は土井正博選手。