ありがとうを教えてくれた人~東京へ

前回のお話 いのちと向き合うこと~応援歌

最初から 私と歌のプロフィール①

今回は、看護師として働く中で、転機となった方とのお話です。

70代の男性で、がんの治療のため、ときどき入院されていました。

会社員時代はいわゆるお偉いさんだったとのことですが、それを感じさせない優しさと謙虚さをもった方でした。

どんなときも、なにかをすると『ありがとう。』と言われる方でした。

病状が進んでもなるべく家にいたいとの思いがありましたが、何度か体調不良で休みの日に緊急入院されていました。

それに毎回私が当たり、ご縁があるのだねと笑いながらお話していました。

家で過ごすことが難しくなり、入院生活が続いても、いつでも誰にでもその方の部屋をでるときは『ありがとう。』と言ってくれるのです。

痛みがあっても、『生きている証拠だから。』とにっこりほほ笑んでいました。

個人病院ということもあり、がんのペインコントロールについてはいまひとつでした。

最期の時間こそ、もっと患者さんに笑顔で過ごして欲しいとの思いから、個人的にペインコントロールの勉強会に参加していました。

そして、ドクターと話合い、ときにぶつかりながら試行錯誤していました。

そんなこともあり、だいぶ痛みはコントロールできていました。

また、下肢の浮腫があり、勤務の合間に時間をつくってはマッサージをさせていただいていました。

このころから人の体に触れることが好きで、アロマトリートメントにも繋がったのだなぁと思います。

いつものようにマッサージをして、部屋をでるときの『ありがとう。』が、私にとってのこの方の最期の言葉でした。

それが土曜の午後のこと。そして、日曜日出勤すると、待っていてくれていたのかのように、しばらくして旅立たれました。

本当にたくさんのことを教えてくれた方。

ありがとうの響きの美しさを教えてくれた方でした。

その方を思い偲んでつくったのが、『ありがとうの唄』です。

歌詞だけですが、よければ見てみてください→

この方との出逢い、関わりがきっかけで、もっとターミナルケアについて学びたい、患者さんが笑顔でいられる関わりがしたいと思い始めました。

そして、仙台を離れることを決めました。

次回は、そのへんのことを綴りたいと思います。

いつも読んでいただきありがとうございます
ぺこり

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