太陽晴れの産褥シッター彩香ですヒマワリ


今日はちょっと私の話・・・


私の人生は波乱万丈。


結婚も今回で3回目。


専業主婦も経験したし、夜の世界に身を置いたこともある。


谷底に突き落とされたこともあるし、


DVの夫に向かって包丁を持ったこともある。


全部話せば昼ドラのネタにはなると思う。


そんな私は「女性」が経験できることはたぶん全部やったと思う。


とくに妊娠におけることは様々な経験をした。


わたしには今一緒には暮らしていないけど16歳になる息子と、


今年10歳になる娘がいる。


息子は普通分娩・病院・バルーン投与・診察台の上での出産だった。


娘は24週のころDVの夫から蹴られたことによる破水をし、そのまま帝王切開。


640gの娘が生まれた。


さかのぼれば最初の結婚の時流産を3回経験した。


すべて初期の流産だったけど妊娠してもうれしいと思えなくなっていた。


そのうち子供を授かることもなくなり、ホルモン治療をし、結果双子を妊娠した。


悪阻がひどく妊娠がわかった時からずっと入院し、水さえも飲めない日が続いた。


吐くものもなく胃液を吐き過ぎて口の中は爛れて。


そんな妊娠生活は24週で終わった・・・双子は一緒に天に帰っていった。


お医者さんの判断で陣痛促進剤を使い、産声を聞くことの無いお産をした。


退院して猫の鳴き声でおっぱいがハリ、もう涙が出ないんじゃないかってほど泣いた。


心無い言葉も言われた。


「何度も流産したのに子供作るからこんなことになったんよ」


あの言葉も言った人のことも忘れない。


その後息子を無事産むことができた。


でも結局今でいう「産後クライシス」だったんだと思う。


最初の旦那とうまくいかなくなり、専業主婦だった私は


「経済力のなさ」を理由に息子を引き取ることができなかった・・・


いや・・・私が1人で育てていく自信がなかったんだ。


2度目の旦那はひどいDVだった。


でも息子を手放した私は「幸せになってはいけない」と呪文のように思ってた。


だからこんな男といるのが似合ってるんだと。


妊娠がわかった時、正直怖かった・・・


でももしかしたらこれがきっかけで変わってくれるのかもしれないと思った。


結局変わるはずはなかったんだけど・・・


24週で早産した娘はたった640gしかない小さな体で私に


この男と離れる強さをくれた。



今すべての経験が「糧になってる」といえるまでになってきた。


この糧が誰かのためになるかもしれない。


妊娠するということ


出産するということ。


すべては奇跡で尊い。


私だからわかる痛みがある。


私だから伝えられる言葉がある。


私だからわかる喜びがある。


大切なわが子のためにママが笑顔でいること。


それを伝えていくのがこんな私だからできることだと思うのです。