現在引っ越し準備中、旭川のライフオーガナイザー®仲村尚子です。
昨年9月、転勤族のわが家に辞令がでました
夫は一足先に単身赴任生活を始め
中3・小6の息子たちと私はまもなく新居へ向かいます
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私の実家は母の趣味のインテイリアで統一されています。
そこに片づけと掃除の習慣化で常に自分好みの空間を保ち、いつ帰っても整ったおうちでした。
そして、その母の最期の“片づけ”もまた整ったものでした。

ロンブー淳さんがお母様の終末期のことについて書かれた本
随分と前に図書館で予約していたのが、ちょうど母の一周忌直前という絶妙なタイミングで手元に来ました
私の母と重なるところもあって涙なしでは読めませんでしたが、母が亡くなって1年後の落ち着いた今、この本を読むことができてよかったなと思っています
母は60代になった頃からエンディングノートを書き始めており、大事な書類やお金関係も一か所にまとめ
「お母さんたちに何かあったらここをあけてね」と毎年私が帰省する度に念を押すように伝えていました。
病気がわかったのは2020年10月
病名を告げられた時にもう長くないと悟ったようで、直後から着々と身辺整理を始めていました。
お金のこと、銀行関係、娘たちに託したいもの、写真整理、葬儀のことなど、残される家族の為、自分の為にと片付け始め、体が動かせた3ヶ月という短い間に見事にやり切って旅立っていきました。
母は、葬儀に関しても細かく希望を残していました。
・遺影にしてほしい写真
・飾ってほしいもの
・棺の中に一緒にいれてほしいもの
・棺の中に入る時に着せてほしい洋服
・かけて欲しい音楽
飾りたい写真も遺影にしたい写真も飾ってほしいものも、全て一つの紙袋にまとめてくれていました。
病院から自宅に戻ってすぐに始まった葬儀屋さんとの打ち合わせでは、おかげさまで
探しものから始めることもなく、決断に迷うこともありませんでした。
母の希望した通りに準備した葬儀は、母らしい、母の好きな空間ができていました。
今思い返すと、1番母らしさが現れたのは服装だったなと思います。
実は母は、ウェディングドレスを着て棺の中に入りました。
妹が持っていたドレスを着たいと話していましたから。
病院で最後に着させてもらった浴衣?は、どう見ても母らしくなく違和感を感じいていたので、
帰宅してすぐ着替えに取り掛かりました。
ドレスを着させて(正確には着させてる風)
ネックレスをつけて
いつものメイクをしてあげたら
一気にいつもの母っぽくなりました。
希望の服装で、お気に入りのもの、お気に入りの写真、好きな音楽に囲まれた母の葬儀は、母そのものでした。
その空間に圧倒されていた私は、なんとも言い難いふわふわした気持ちでした。
母の自己プロデュース力のすごさを見せてもらえたワクワク感もあり、悲しい気持ちを通り越した自分でも不思議な感覚でした。
母の人生最期の時は、
母の好きなモノと一緒に
普段の母らしくキレイに『かたをつけて』
娘の私から見ても、見事でした。
それは、
モノを片づけること
自分の行動に片をつけること
これらが習慣化していたからだと気づかせてもらえました。
実際、父が暮らす実家には母の洋服や日用品、着物のタンスなど片づけるものはまだありますが、
大事なポイントをしっかり抑えていてくれたことが
私達家族をとてもラクにしてくれました。
お金関係、お墓のこと、遺影写真、ちょっと高価な装飾品の行き先
私にはココを決めてくれて準備していてくれたことが、大きな助けとなりました。

亡くなる直前に母は何も言っていなかったのですが、エンディングノートに書いてあった『宇宙バルーン葬』を父がみつけたので、
納骨前に遺灰の一部をお空に飛ばしてきました。
これもノートに書いていなかったらできなかったことです。
自分の最期をどんなものにしたいのか。
今まで深く考えてきませんでしたが、母がきっかけをくれました。
身の回りを整理しておくこと
準備すること
記しておくことももちろん大切ですが、
残された家族が自分の為に動いてくれるような関係性もとても大事だと気づかされました。