梱包にまつわることで、続きを書いていこうと思う。

 

 

 

 

 

 

 

やりたいこと。

私が心震わせてやりたいことってなんだろう?

 

仕事になることとか、仕事にならないこととか、

そういうのはどうでもよかった。

 

有難いことに、

生活していくことに何も心配がない環境にいる、

というのも大きな要因だろう。

 

 

頭の中が静かに、

自分のご機嫌は基本自分でなんとかできるようになったら、

 

平穏が訪れた。

 

でもやっぱり、そこに退屈を感じるのだ。

 

 

 

 

 

 

しばらく停滞していた私。

 

でも、少し動いてみようと

やり始めたのが、フリマアプリでの物販だった。

 

 

 

 

 

 

この数年、

ハンドメイドで何か作って売る、ということを目標にやってきたけど、

 

どうにも気分が乗らない。

 

 

 

 

 

コレはめっちゃ最高!!!

 

 

とテンションが上がる作品はいくつもできるものの、

 

どうにも売るテンションが保てない。

 

 

 

 

布は今でも眺めてるだけでも、

それはリアルでもWeb上だけでも

どちらでもテンションが上がる。

 

 

布は大好きだ。

 

 

 

 

 

 

じゃあ、布関連のところで仕事してみようか、とか考えたけど、

 

他の生地に興味があるわけではない。

 

 

 

昔の服の作りをみてはテンションが上がる。

でも、何か一歩が出るテンションではない。

 

 

 

 

困ったなぁと停滞気味から抜けたくて、

色々試しながら行動してきた。

行動しないと

わからないものが見えてくるはずないと思っているからだ。

 

 

私のエネルギーの滞りがどこにあるのか

色々探しては

試してきた。

 

 

 

 

他人の経験や

自分の過去の経験から考えると

 

 

私はモノを売る、という行為は

好きなようだ。

 

 

 

 

 

コレは、祖父母の影響が大きいと思う。

 

 

 

 

 

祖父母は、ずっと自営で、

飲食業から後、

今でいうコンビニを私が物心つくときには営んでいた。

コンビニよりももっと広範囲のちょっとしたスーパーマーケット。

婦人服もあった。

 

 

 

 

祖母は特にファッションが大好きで、

田舎から、フェリーを乗り継ぎ大阪の問屋に洋服を仕入れにきていた。

 

 

 

あの人にはこういうのが似合うな、とか、

電車の中で色んな人を観察しては、

こんな風なのが流行りなのか、と

 

見立てるのがものすごく楽しかった!

 

と、

 

祖母が認知症になって死ぬ間際でも、

目を輝かせてお話してくれたことが

忘れられない。

 

 

 

祖父のテンションはどうだったのかはわからないけど、

2人とも働くことが好きだったんだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

私も幼少期から、

 

お店に立たせてもらっていた。

 

 

祖父母が家族でお話している中、

 

私は一人でお店に立っていた。

 

 

 

一人で対応できるところはさせてもらって、

 

わからないところは

祖父母を呼んで、

 

一緒に

 

ありがとうございました!

 

をやってきた。

 

 

 

ガッシャンとシール値札を貼り付けたり、

 

レジ袋を何枚も使って祖父に注意されたり、

 

商店街の寄り合いについて行かせてもらったり、

 

 

お店に関わることを田舎に帰る度に

させてもらうという

リアルな体験をしてきた。

 

 

今思えば貴重すぎるよね。

 

 

 

デジタルで全部管理されているような今の感じではなくて、

 

ゆるーい空間だったからさせてもらえたことがあって、

 

そこに介在する沢山のコミュニケーション。

 

 

 

 

 

そういうものに媒介する「お金」だったから、

 

「お金」というものに対して

 

「お金」を稼ぐことに嫌な感情は全くなかった。

 

 

例えば、「お金を沢山稼ぐことがガメツイ」とか、そういう認識は全くなかったから、

 

純粋にお金を稼ぐことが楽しいと思えた。

 

 

だから、

「お金」に対してそんなにシビアには基本なってないんだと思う。

 

 

 

 

 

 

基本、と書いたのは、シビアにガツガツ考えてた青年期もあったからだ。

有難いことにお金に本当の意味で困ったことはない。

だけど、「ある けど ない」という感覚がしんどくてガツガツ思考になった時もあったのだ。

だから、「人生お金じゃないよね」と言われると

「それはお金で嫌な思いをしたことのない人のセリフだ」とものすごい反発感が生まれていた時期もあった。

とまぁ、

その感情が生まれていた根本は結局のところお金ではない。

これに関しては私の中で解決しているから、、、、、と

 

あ、だいぶ脱線する💦

 

 

 

 

 

 

戻します。

 

 

 

 

私の中に基本的にずっとあるスタンスは、

 

「自分でお金を稼ぎたい」だった。

 

 

「お金が欲しい」はウソではないけど、

 

 

何にもなく無条件でお金が手に入ることに対して

 

そんなにワクワクはしないってこと。

 

 

 

 

 

そして、最近気付いたのが、

 

「お金を稼ぎたい」ではなくて、

 

「お金をまわしたい」望みの方が強いことだった。

 

 

 

 

 

長くなってきたので、

続きは別記事で^ ^