(筆者撮影)

 

 
持って生まれたものは
強力です。


初めから
備わっているのですか。


環境や習慣で
染み付いたものもまた
とても強力です。


考える必要もなく、
無意識に
そうしてしまうのですから。


同じものを見ても
人によって
印象が違うのも
湧き出す感情が異なるのも、


人はそれぞれに
独自の思考の癖を持っているからです。



私たちは
想像以上に
自分のやり方や癖をもっていて、
その範囲の中で考え、
その価値基準の中で判断し、
その枠組みの中で優良を決めたりしています。


たとえそれが
どんなに偏っていても
どんなに偏狭でも
どんなにどんなに、奇妙でも。


それを
奇妙奇天烈と疑うことも
偏りがあると認めることすらなく、


むしろ
心地良く感じてしまいます。。。


しかし一方で、、、


その癖だらけの思考で
描いた理想通りに過ごせているのなら、
その枠組みを
矯正する必要はないのかも知れませんね。


ところが、、、
そうではないと思いませんか?


いまある枠組みが
越えられない壁が出来、
近づいている感覚が持てない……
その原因になっている可能性は
考えられないでしょうか?



例えばゴールを
非現実的だと思ってしまうくらい
遥か遠くに描いてみせて、
そちらこそ
コンフォートとすることが出来るなら、


あなたは
その枠組みを客観視することができて、
いまの枠組みを
奇妙奇天烈だと認識できるかも知れません。


いつまで
自分の思考の枠組みに
疑問を持たないのでしょう?


叶えられない夢、
近づかない理想、
その原因が
実は思考の枠組みにあるということに
疑いを投げかけることから
逃れようとするのでしょう?



変えることができるのは、
変えていくべきは、
私たちの考え方です。