風の時代のヒーラー
桃紅(とうこう)です

潜在意識を整えて願いを叶える
サポートをしています


杉浦日向子さんの名エッセイ。

日向子さんが身体を脱いでからハヤ20年近く。

新しく文庫化されて読めるなんて嬉しいな。

いまだにファンが多いんだろうね。


日向子さんは未来志向の太陽射手座で、

射手座の人が古い過去である江戸に退行して惹かれるのは何となく不思議な感じでしたが

曰く、


「大正や昭和だと古さを感じるけど、江戸まで遡るとまるっきり違う世界ですから外国みたいで“新しい”感じがする」


と。

なるほど。



江戸の町は、歴史ある京都や大阪とはだいぶ気質が違います。

王朝文化の京都、豪商の大阪とは違って、江戸では庶民が先導してその文化を築きました。

これって世界的にも稀なのでは?

一番エラかったのはもちろん武士ですが、武士が表立って庶民階級の文化に口出しすることはなく、きっちり「棲み分け」していたのです。

江戸八百八町と言いますが町内の役割が大きく、政府は4割くらいのガイドラインを引いて、残りの6割は町内で何とかしてね、って感じだったようです。


孤児や寝たきり老人がいれば、町全体でお世話します。

お腹を空かせた子供がいれば誰かが飯を食わせるし、お年寄りは生き字引のようなものですから町の財産として大切にされました。

今考えると信じられないくらいの成熟した市民意識ですね。

町全体が我が家ですから、衣食住はとにかくコンパクトに、必要以上にものを持たず、貧しいのは皆一緒なのでコンプレックスも持たず、マイペースに暮らしていました、

なんせ、一日3時間×3日くらい働いたら家賃が賄えるほどでしたから。

夏の暑い時期には借金して1ヶ月仕事を休んじゃうそうな(笑)


庶民が暮らす裏長屋は、屋根も壁もうすくプライバシーもへったくれもありませんが、

江戸の長屋というのは今でいう都心のシェアハウスのようなものでしょうか?

現代と違うのは、江戸の人たちには、一線超えて立ち入らない、無遠慮に土足で他人の生活に踏み入ることを何より恥じる都市の美学があった。

それが太平の世を謳歌した、長屋の処世術でした。


カカァ(女性)が大切にされたというのも、平和に一役買っていたと思う。

江戸の町というのは女性人口が圧倒的に少なくて、つねに男余りだったから、

裏長屋10軒あったら、その内所帯持ちは2軒てところ。

女が貴重だった。

夫婦喧嘩したらすぐ離縁されちゃうから、男は戦々兢々だったろうな。

大工や左官屋さんなどの出職でやきもち焼きの亭主はかみさんの浮気が心配で、下駄作りとかの居職に職変えしてしまうそうな。

とはいえ、女も亭主の目を盗んで、それなりに楽しんでいただろうね。

バレたって、じゃあ別れると言えば、次も引く手あまたなわけだし。

江戸では、性は食欲となんら変わりなく人間の自然な欲求として扱われていた。

それがいつからか、何となく後ろ暗い、汚れた隠すべきものだと印象操作されてしまいましたね。



女の人は山の神として大切にされていたものの、家でのんべんだらりと暮らしていたわけではないのが面白い。

働くのはむしろ女の方で、亭主はかみさんと子供の食い扶持だけ稼いでたらそれでよかった。

衣食住の食以外はすべて女が持つ。

むしろ、女は外でバリバリ働いて稼ぐのが当たり前で、男の方は日に2〜3時間も働けば家族を食わしていけるから、あとは好きなことをして暮らしていた。


女性が満たされていたらその家は豊かなのは現代も同じ。

江戸では町全体が「我が家」だったから、町全体に豊かさのエネルギーが流れていたわけですね。

男が女を喜ばせて、喜びに溢れた女を通して創造のエネルギーは補給されるんです。

これは、エネルギー循環の鉄則。


男に余裕がなければ女を喜ばせられないし、

女の側も喜びを受け取る器が壊れてたら、循環が起こらない。

そして現代は、そのシステムを破壊させるようなことばかりが横行している。


男も女も忙しくて、心も身体もいつも貧しくて、常にエネルギー不足を起こしてる。

……何とかならんのかな、これ、と

江戸に思いを馳せながら、頭を抱えるのでした。





ところで、杉浦日向子さんの本を読むと、お蕎麦が食べたくなります。

久々に、藪蕎麦へ。

藪の蕎麦つゆはいっち辛くて、好み。

隅田川より東に住んでて良いことは特に無いけど、唯一良いのは、薮・更科・砂場の江戸前蕎麦が全部近場にあって思い立ったらすぐに食べられること。











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