思春期に入ると、誰しも異性の目を意識する。
モテないよりもモテる方が良い。
モテたいと思って、モテる人は親に感謝するべきだ。
今はあまり雑誌のインタビューでも見かけないけれど、
音楽活動を始める理由として「モテたい」という不純な動機があったミュージシャンはいる。

プロとして活躍している彼らも初心者の時期があり、
最初の一本として手に入れた楽器から時代背景が垣間見える。

70年代に日本のメーカーはフェンダーやギブソンなどのコピー機種の生産を始めると、安価で品質も良いことに本家は危機感を募らせ、訴訟沙汰になる。この時期のコピーモデルは、海外ではLawsuitsとも呼ばれる。
その後、80年代中頃くらいから、オリジナルを意識した品揃えになっていくのが基本的な流れだ。

プラザ合意の前であれば、為替の威力が凄まじかったので、そりゃぁ太刀打ちしようとしても無理ポ。
裏を返せば、高校生が一本目に海外ブランドを買えるなんて殆どなかった時代ということだ。

ちょうどアメリカの製造業の力が弱まり、日本の国力が増していくのと同様に、本家のクオリティーは下がっていく。
中韓で、日本車をたたき壊したりするのを覚えておられる方は多いだろうが、アメリカ人も同じように日本を目の敵にしていた。戦争で勝ったのに、経済では負けた。そんな気分だったのだろうな。
技術支援やOEMなど、結果的にアジアでナンバーワン「だった」日本の技術力に、フェンダーやギブソンも頼ることとなる。

意匠権に関しては、↓の動画でも語られるように、楽器業界では甘い。
厳密に取り締まるとアコギもエレキも老舗が牛耳ることとなり、業界自体が発展しないと、抗弁できるからだろう。

もし、マーチンが世界中のアコギメーカーを訴えたらどうなるだろうか。金は稼げるが、いずれ自分たちが困るのは目に見えている。
継続して商売を続けるためには、ユーザーが増え、市場のパイが広がることが必要なのだ。それにはローエンドからハイエンドまでの価格帯で、ちゃんと供給できるメーカーの存在は不可欠だから、訴訟にしてもどこかで線引きせざるを得ない。
フェンダーが、安価なコピーモデルを作っていた日本(フジゲン)を仲間に引き入れ、フェンダージャパンを創業したのは賢い。この流れがあったので、本家の工場が新たに立ち上がる迄に生産の一部を肩代わりしてもらったり、フェンダーメキシコの立ち上げを共同で行うのも可能になった。

ギブソンが以前ポール・リード・スミスを訴えたのは、正直なところイミフ。元々ダブル・カッタウェイのデザインに影響はされていても、ちゃんと敬意を払っていると思うし、嫌がらせっぽいな。



ギターのオリジナルかつトラッドになり得るデザインをするのは難しく、日本はパクってばかりだという印象の人もいるかもしれない。
個人的には、日本の60~70年代のビザールギターはオリジナル度は高くて、フェンダーの新機種でも昔のアリアのパクり認定したいモデルさえある。だからといって、安易に諦めてしまうのは勿体ない。
伝統的な機種に使われていた木材の使用制限が増えた昨今、いつまでも50~60年代の遺産に頼るのは進歩がない。昔、ギブソンがやったように、別の業界のデザイナーと組んでみたら面白いのではないかと思う。