父を施設から出すことに決めました!

3ヶ月施設に預けてみて、

やっぱり自宅で私が最期まで介護したい

という思いが湧き上がりました。

25年目の在宅介護、

今年になってどんどん大変になる介護に

家族の負担が増えることに耐えられず

9月に施設に預けたのですが・・・

3ヶ月お休みもらったので

また復活!今月から継続します♪

 

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1991年10月母が倒れました。

当時53歳だった母。

私は二人目の子供を生んだばかりでした。

在宅勤務で仕事をし、子育てをしながら

両親の家へ介護に行くのは大変だったので

 

40歳の頃から怪我で松葉杖になった父を

母が介護していました。両親共引き取り

バリアフリーの家を建てて

それから20年、自宅で同居介護しました。

 

父が母を殴っているのを発見したため

(父は家族に暴力を振るう人でした)

母を施設に避難させ、亡くなるまでの

約2年は施設で過ごしてもらいました。

 

父ひとりになって5年。

今年に入って、デイサービスへの行き来も

松葉杖から車椅子になってしまいました。

(2度転んでしまったので、安全のため)

 

どんどんトイレの失敗が増えて

尿漏れが多くなり

着替えるのに立って行えていたのが

不安定になってきました。

 

私の海外出張や国内出張がある時は

ショートステイも利用していたのですが

一泊二日で出たり入ったりも大変なので

家族に負担が多くなってきて

出張先にSOSが届きました。

 

「じいちゃんが床で転んでそのまま寝てる」

「じいちゃんを起こしたらぎっくり腰になった」

「じいちゃんのおしっこ手で受け取りました」

 

とうとう

父を介護施設に預けようということに。

 

ありがたいことに自宅からすぐのところに

預かっていただけるところが見つかって

9月から入所ました。

 

しかし父が入ったところは

痴呆症が進んだ方々のいるところ。

 

見学させていただいときに見せていただいた

父が入る予定だったところとは違って

自分の荷物を一切置くことができません。

お部屋はベッドのみ。

家具は一切なし。

母の写真を置くことも

大好きだったラジオを聞くこともできません。

 

施設に行くとテレビが好きな父は

いつもテレビの前に車椅子で座っていました。

 

ずっとやるせない気持ちで通っていました。

入所の方にもそこで働くスタッフさんにも

笑顔の人はもちろんいません。

私は満面の笑みで通いました。

 

先日訪れたときに父が座っていた車椅子は

ブレーキが壊れていました。

サビが酷く、背中が当たっているところには

クッションもありませんでした。

 

痛くない?

と聞いても父は

大丈夫だよ。

心配しなくていいよ。

といいます。

でも、父の背中とその車椅子の間に

手を入れてみたら、痛かった。

 

いつも父の身体に触れてくるのですが

先週からどんどん足が硬くなっていました。

パンパンに張ってしまっていました。

自宅にいたら足湯をしてあげられるのに。

 

父に切って持ってきたりんごを食べさせていると

女性の声が聞こえてきました

 

「帰らせて〜」

「いや〜 帰らせて〜」

 

父は耳が遠いから

あの声は聞こえなくて

良かった。

 

そんなことを思っていたら

目の前で寝ている男性のところに

職員さんがやって来ました。

 

食事が終わったら

すぐに就寝時間なんですね

部屋に連れていかれています

 

何も声をかけず、ガタン ガタンと

ブレーキを外します、

 

男性は、びっくりして目を覚まします。

 

声をかけないんだ!

お部屋に行きましょうか?って

びっくりさせてごめんねって

声をかけないんだ。。。

 

父にされたことではないですが

目の前の光景に

とてもとても心が痛みました。

 

その方のご家族が見たら

どう思うでしょう。

 

あー、もうだめだ。

ここには父を預けておけない。

 

帰って家族に

自分の気持ちを話しました。

そうだね。と賛成してくれました。

 

すぐにケアマネさんに

父を施設から出したいと電話しました。

 

とてもびっくりされ

そして、

 

大丈夫ですか?

ご自宅で見るのは大変ですよ。

覚悟はありますか?

 

そう聞かれました。

 

覚悟。

正直わかりません。

 

でも

父が分からなくなっているなりに

感じているものがあるはず。

そんな思いをさせていることに

どうしても耐えられないのです。

 

食事を下げにきた職員さんに

「美味しかったよ、ありがとう」

と父は相手の顔を見て声をかけます。

職員さんはうなづくだけです。

 

一番症状の進んでいる方々ばかりなので

職員さんとの会話は成り立たないのかも

 

「聞きたいことがあるんだけど」

 

と話し掛けてる男性に

 

「何ですか!?何が聞きたいんですか!?」

 

と畳み掛けるように、通り過ぎながら

答えている職員さんには

話したいことも話せないですよ。

 

きっと何度も同じことをおっしゃていて

もう聞き飽きているんでしょうね。

 

でも悲しいです。

 

私が行く時間が夕方のことが多いから

かもしれませんが、20回くらい行って

他のご家族の方に会ったのは

たった1度だけでした。

 

娘さんらしい方が男性に

漢字ドリルを持ってきて

やってもらっていました。

 

みなさんどうされているんでしょうか。

知っているんでしょうか?

どんなふうに扱われているのか。

 

今日は学校帰りの息子を

連れていきました。

 

「じいちゃん家に帰ろう。」

 

息子は自分のインスタに

そうコメントをつけて

二人の写真をあげていました。

 

image

 

息子にも話しをしてくれていました。


「わざわざ来てくれてありがとう」

 

そう言って見送ってくれた父。

 

あと2週間で我が家に帰ってきます。

 

私の覚悟が試されます。

 

 


高千穂の朝。

母のふるさと。
母は今ここにいると思っています。
父も安心して還っていく日まで
娘としてできることをします。