母の臨終の時、一番感じたことは、表情が私がよく知っている母のそれに戻った、と言う事でした。
認知症になり、それまで一人で何とか生活してきた母でしたが、
ケア担当の方の助言で、グループホームに入所。
良いケアマネさんもついて、少しづつ症状が悪くなる中、
ホームでそれなりに元気で暮らしていた母でした。
あるとき、経口摂取がうまくゆかず、病院に入院治療し、1週間もしないうちに元のグループホームに戻れることになりました。
明日がその日、と言う朝方、「お母様が急変しました」と言う病院からの知らせに
駆けつけたときは、心電図がフラットになっていました。
その時の母の表情が、穏やかな、私がよく知っている母だったんです。
認知症が進み、顔面にゆがみが起こり、最後の方では、意思疎通も難しく
訳のわからないことも言って、という感じの母でした。
その顔を見て、「(それまでの表情は)認知症のせいだったんだ」と改めて悟りました。
母の臨終の7年前、父は【胆管癌】で命を落としました。
「最後の時を自宅で」と言う本人の意志でしたが、肝臓病末期の昏睡状態、夜入浴していたにもかかわらず、突然、お風呂を焚いて入る父を見て、一緒に生活していた母が、おびえ、翌日には入院。
そこからは、意識があったりなかったりで、私が行ったときには、父と会話もできなくなっていました。
そのまま数日後に、父は旅立ってゆきました。
病状が悪化して、父も母もさぞつらかっただろうと、娘として何もしてあげられなかったこと、
本当につらかったです。
私が飲食店やこれから始める菓子製造業のミッションは「健やかな生活を楽しむ」提案。
自ら食べるもの整える環境で、病気を作ってはいけない。
それを求めている方に、適した情報やサービスを提供し、役に立てれば、という想いがあります。
それが私がかつて、そしてこれからも《健やかにとこだわる意味》なのかもしれません。