循環型社会への切り札☆麻(大麻草)について〈保存版〉 | イマココニアルしあわせ~人生を創造するココロと宇宙法則~

イマココニアルしあわせ~人生を創造するココロと宇宙法則~

書道家 鷺游(ろゆう)による、自然界と調和しつつ、にこやかにすこやかに生活するおはなし( ´ ▽ ` )



はじめてこの『イマココニアルしあわせ』にお越しになられた方、ナンカウマについて、神様の奇跡アファメーションご案内は、目次をご参照ください。

【二十四節気/七十二候】

新暦 二月廿一日
旧暦 一月(睦月)十四日


雨水

初候 土脉潤起-うおこおりをいずる-

冷たい雪が暖かい春の雨に代わり、
大地に潤いをあたえる頃。
寒さもゆるみ、眠っていた動物も目覚めます。

暦生活より

〇〇〇カタカムナ四十八音思念表〇〇〇


今日もお越し下さりありがとうござゐます(*'▽')♪



衣食住、医療、資源エネルギーとしての

その効能の素晴らしさと、循環型社会確立の為には、

今、わたしたち日本人が、その真実をみつめ直す必要がある、

麻(大麻草)



宇宙というモノは、本当に面白く、

わたしたちひとりひとりが意識を注いだ途端、

その人にとって必要なコト、情報などは、

ちゃんと入ってくるものですね(*^▽^*)



なにげなく、麻に関する動画を検索して観ていたところ、

日本麻振興会という団体があることを知りました。



会長さんである大森由久さんは、

栃木県鹿沼市で麻栽培の七代目の方。



鹿沼市は日本の中でも指折りの

麻栽培の地だったですね。



野州大麻(やしゅうおおぬさ)として、

神事にも広く使われているとのこと。



国内の90%麻栽培を占めるという栃木での麻栽培のお話に絡めて、

麻のことがとてもよくわかる記事がありました。

ちょい長いですが、ぜひ保存版にされてみてください(笑)



今から始める大麻栽培 無毒大麻を産業に活かす
(2012年記事)より抜粋


大麻を正しく知る6つの基礎知識

1.大麻とは?
 中央アジア原産とされるアサ科アサ属の一年草(学名は麻、Cannabis L)。種まきから約110日の短期間で高さ2.5mの背丈に育つ。縄文時代の貝塚から麻の縄や編物が出土しており、古くから衣、装身具、食、生活用具、漁業、狩猟、神事など日常生活の多様な用途に使用されていた。江戸時代には藍・紅花とともに「三草」と呼ばれ実生活に有用な作物として全国で栽培された。

2. 麻の種類
 麻には、大麻以外にも苧麻(カラムシ)・黄麻(ジュート)・亜麻など20種類あるが(表1)、植物学上の分類は異なる。これらの作物に麻という名前がついた理由は、麻が「長くて強い繊維」を総称しているからで、麻という漢字は屋根の下で茎をこすって繊維を取り出している様子を表している。明治以降に亜麻、黄麻、マニラ麻などの作物が日本に入ってきた際、従来からあった麻を区別するために「大麻」という名前が定着したが植物の名前ではない。

3. 大麻取締法による規制
 1948年に公布・施行された大麻取締法は、大麻(種子は対象外)について以下のような制限を設けている。

 大麻取扱者は都道府県知事の免許を受けなければならない。その条件は、「麻薬、大麻又はあへんの中毒者」「禁錮以上の刑に処せられた者」「成年被後見人、被保佐人又は未成年者」以外と定められているが、実際には都道府県ごとに審査基準があり許可を出さない方針の地域もあるようだ。大麻栽培者の数は2009年 12月31日時点で全国56人。

4. 大麻の薬理作用
 大麻は、麻酔性の強い「薬用型」と麻酔性が少ない「繊維型」のものに大別される。大麻の花や葉に含まれる化学物質テトラヒドロカンナビノール(THC)には薬理作用があり、いわゆる大麻(マリファナ)の主成分となる。「薬用型」のTHC含量は重量比3~6%だが、日本で古来栽培されていた在来種の含量は1%前後、現在国内で許可されて栽培されている改良品種(とちぎしろ)は0.2~0.3%である。

5. 大麻の様々な用途
 大麻は茎からとれる繊維の他にも茎の芯やその炭、種子が活用でき、2万5000種類の生活用品ができるという。



■ cace2 栃木県鹿沼市 農産物として麻生産の復権を(大森由久)

【神事用で生き残った栃木】

 ウチは江戸時代から麻を作っていた。栃木は昔から日本一の産地で野州麻はブランドだったから、自分が農家を継ぎに帰ってきた1972年でも麻農家は100軒あった。既存の産地は戦前、戦後のある時期まではそんなに規制は厳しくなかった。戦後しばらくすると立川から米軍が夜中に車で来て麻を取りに来るようになった。その頃栽培していたのは無毒品種が開発される前の在来種だったが、ほとんどTHC成分が無かったのにね(笑)。それでも全国的にだんだん規制が厳しくなり、長野県でも60年まで麻を作っていたが突然生産者が逮捕されたりした。

 もう一つ、栃木県が産地として残れたのは神事と結びついていたから。第二位の生産地だった広島県は漁網が多かった。大麻は強いが糸としては重いから、軽い合成繊維が普及すると衰退していった。長野県は畳糸が多かった。は糸の加工技術が全国でも一番高いが、今では畳の糸に大麻を使っているところなんて全くない。繊維としては滋賀県の近江上布や岩手県の、が伝統工芸としてわずかに残っている。手績みの麻織物は一年にたった二反(二着分)しかできない。このような加工技術を復活させなければならない。


【大麻の需要はまだ増える】

 小売販売を始めてから自分で営業に行ったことはあまりない。神社のしめ縄にしても大麻を使っていないところも多いが、神社が自分で注文するのではなく誰かが奉納するもの。しかし大麻以外のしめ縄も価格は変わらないので、大麻がもっと広がる余地はある。変わったところでは、フランスのブランドメーカーがカバンの試作に使いたいからと精麻を24kg買っていった。もし話が決まれば240kgの精麻が必要になり圃場4反分の収穫量にあたる。

 このように、伝統的な用途を掘り起こすだけでも需要は増えるし、新たな需要も期待できる。建材や麻炭の新たな用途もこれからは増えるだろう。特に麻炭は可能性が大きい。昔はこの辺りの人はおがらから自分で炭を作っていた。ふかふかして細かい麻炭は練り込んで食品としても使える。
 加工技術についても、各地でそれぞれ特徴がある。例えば、奈良晒では精麻した状態で米ぬかにつけて色を白くし、長野県では麻を発酵させずに強度を出している。用途に応じて加工技術を使い分けていければ需要はもっと広がる。


【栽培が全国に広がるのが目標】

 大麻栽培は10a80万円と高収入のためこの辺りでは75歳、80歳になっても栽培している。しかしさすがに麻づくりをやめる人もでてきた。ウチが面積をもっと広げようと思えばできるが、ウチだけが残っても仕方がない。既存産地からすれば、もともと麻は農産物。北海道のように柵で囲わないと作れなくなったら、自分は作りたくない。各県で思いは違うだろうが、農産物として認めさせ、全国で栽培ができるようにしたい。いくら需要があっても生産量がない今の状況では産業用に広がらないからだ。もっとも、農産物といっても守るべきところは守り、管理を徹底するのは当たり前。種は農水省が管轄し、THCは厚労省が管轄すれば良いと思っている。

 現在、栽培で各産地が困っているのは種の入手だ。各地を回って麻の栽培の魅力について話をする機会があるが、せっかく興味を持った生産者が麻を作ろうとしても栃木県が種を出さない。これでは他の産地への嫌がらせと受け取られても仕方がない。きちんと管理して栽培できる生産者には種が出せるよう国が変わるべきであり、日本麻振興会としてはそうした方向で国に要望していく。規制が厳しいから簡単に変わるとは思っていないが、2、3年のうちに状況を変えたいと思っている。そうしないと日本から麻の産業は消えてしまう。


大麻をめぐる日本史縄文時代

―縄文時代
12000年前の鳥浜貝塚から大麻の縄が出土する。
縄文土器の模様は大麻の縄でつけた。

―弥生時代
静岡市の登呂遺跡から出土した大半が大麻製の織物。

―3~4世紀
阿波忌部族が畿内に進出しヤマト王権成立の立役者となった。同時に阿波から全国に麻の技術を伝えた。

―古代~
阿部忌部直系の氏が天皇陛下が即位後大嘗祭でのみ使用する「あらたえ」(麻の織物)を製作した。
古代~1466年で中断、1687年に一時復活し、1735年以降継続している。

―奈良時代
『常陸風土記』『播磨風土記』『出雲風土記』『大日本史』などには日本各地で麻が栽培されていたことが記されている。

―平安時代
『延喜式』では、17~20歳以下の男子が納める郷土の産物を貢納する国として、伊勢・尾張・三河・武蔵・上総・下総・常陸・上野・下野・越前・筑前・肥後・日向・信濃から麻が入っている。

―平安末期から鎌倉時代
伊勢神宮に仕えていた祠官が全国各地へと赴き祈祷をしてその「しるし」として御祓大麻を授与するようになった。江戸中期には全国世帯の約9割に頒布された。
武家政治は質素を旨としたところから麻の生産量が増えた。

―江戸時代
木綿が一般庶民にも普及し麻の地位が低下したが、農民の衣服はほとんどが大麻の布であり、武士の裃は大麻の布で作った。一方で高級麻織物が普及し、近江上布(縦糸に苧麻、横糸に大麻を使った麻織物)は彦根藩の保護を受けて発達した。

―明治時代
明治政府が大麻と亜麻の栽培を北海道で奨励したが、軍服、艦船用ロープなどの需要が第二次世界大戦後になくなり、そのまま野生大麻となった。
1886年、日本薬局方(第一局)に印度大麻草と印度大麻草エキスの2つが収載された。明治政府はドイツ医学を手本とした薬局方を採用、1951年の第6局改正まで65年間、大麻は医薬品登録され、鎮痛剤や喘息薬などに使われた。

―大正時代
1921年、大幅に改定された日本薬局方(第四局)に印度大麻草チンキを追加して収載され、 内服で鎮痛薬や催眠剤に用い、外服で巻煙草にして喘息薬として用いた。

―昭和
1930年、アヘン条約の批准に伴い「麻薬取締規則」(昭和5年5月19日内務省令第17号)を制定。大麻草に関しては印度大麻草の樹脂とこれを含むものを麻薬に指定し、輸出入が内務大臣の許可制、製造等が届出制となった。日本で縄や布用に栽培されていた大麻草は、印度大麻草とは違ったため規制対象外であった。

1939年、戦時中に艦船用ロープや軍服などの軍需用に大麻の増産が奨励された。

1940年、農務省から大麻繊維の売買価格が国家統制品となった(終戦とともに廃止)。

1945年、占領軍(GHQ公衆衛生福祉局)により発行された覚書で大麻草が全面禁止とされる。しかし、当時の繊維原料として重要であったため、再三の交渉の結果、栽培には免許許可を必要とする制度として1948年7月に「大麻取締法」が制定され、同年8月に「指定農林物資検査法施行規則農林省令第64号」により、栽培地に17県が指定された。

1978年、栃木県は大麻の種子を他県に配布することを禁止した。

1981年、九州大学薬学部の協力により栃木県農業試験場は、薬理成分THCが極めて低い 「とちぎしろ」を開発し、農家への普及を図った。

―平成
1996年、民間で初めて新規に大麻取扱者免許が許可された。

2001年、厚労省は、大麻栽培者免許の交付は、伝統工芸の継承もしくは生活必需品として生活に密着した必要不可欠な場合という2つの基準を示した。

2003年、「構造改革特別区域法」(平成14年法律第189号)の第4次提案で、長野県美麻村が産業用大麻特区を申請したが、特区しては認められなかった。

2004年、構造改革特区の第5次提案および第6次提案で、岩手県紫波町が「麻による農業6 次産業化構想」をまとめ、麻栽培免許の交付要件の緩和(産業用利用を目的とする麻栽培を追加)の特区を申請したが、特区としては認められなかった。

2007年、構造改革特区の第12次提案で、全国16地域・会社で21件分を「産業用大麻の種子の輸入規制緩和」特区として申請。
これは栃木県で開発された低THC品種の「とちぎしろ」が県外不出としているため、新規に大麻栽培者免許を取った方が、種子の確保ができないという問題に起因する。低THC品種は、EUやカナダの種子会社が保有しており、そこからの輸入が可能となるような規制緩和を厚労省と経済省に求めたが、すべて特区としては認められなかった。

2008年、北海道北見市が国の構造改革の北海道版のチャレンジパートナー特区に8月8日付で「産業用大麻栽培特区」に認定され、大規模栽培に向けた種子確保やTHC検査体制などの環境整備の議論が始まった。

2012年、麻に関する伝統文化、生活の中で伝えられてきた技術の伝承と産業振興のため、日本麻振興会が設立される。




一面に広がる麻畑はキラキラとした独特な緑色、

その輝きの美しさは目を見張りますね・・・(((o(*゚▽゚*)o)))



ナンカウマ大特集『引き寄せ、る』3号(1/23号)のご購入はコチラ⇒


カタカムナのLINE@配信
ご登録者募集中◎


友だち追加数

友だち検索で、@katakamunaを検索の上、友だち追加すると登録できます♪


カタカムナ 言霊の超法則: 言葉の力を知れば、人生がわかる・未来が変わる!/徳間書店

¥1,728
Amazon.co.jp


ブログランキング《エッセイ・随筆》/ブログ村《潜在意識》、皆様のお蔭様で上位キープ☆大感謝☆
引き続き一日二回ポチポチッと応援して戴けましたらうれしいデス☆ありがとうございます~☆



当ブログ『イマココニアルしあわせ』のテーマソングが誕生しました~♪
ダウンダウンダウン
祝◎『今ここにある幸せ』ソングを創って戴きました!!

ナンカウマ公式バナーのダウンロード先はコチラ
ナンカウマ瞑想専用バナーダウンロードはコチラ

アメブロカスタマイズへのご相談は
ダウンダウンダウン
(株)新井さんへGO~!!すりゃナンカウマ~(ノ´▽`)ノ~◎
ビバ! 宇宙なる潜在意識&陰陽の法則☆



また、ご縁がありましたらうれしいですドキドキ