幼い子が英語塾に通ったりするのは
もったいないことです。
そんな時間があれば、友だちと
どろんこ遊びに夢中になったり、
空や雲を見上げ、道ばたの草は花に見とれ、
小さな虫を見つめ、犬と遊ぶ。
そんな些細な、
しかしかけがえのないひとときが
どれだけ貴重なことかと思います。
(『危うし! 小学校英語』より 鳥飼玖美子著)
2020年から小学校での英語が
教科になり、点数化されます。
それを受けて10年以上前に
小学校への英語導入に異を唱えていることで
有名な鳥飼玖美子先生が
早期英語教育に苦言を呈しました。
上はその本からの抜粋です。
だいぶ前に読んだのですが、
英語の教科化を目前にし、
最近 また読み返しています。
鳥飼先生の主張には
賛同する部分も多いのですが、
早期英語教育も多様化している
という視点が抜けていると感じます。
確かに、上の抜粋のように
どろんこ遊びや、友達と遊んだり、
あるいは何もせず ぼーっとすることは
子どもにとって必要な時間。
そこはとても賛同します。
でも、「英語」という要素を
日々の生活に少しだけ取り入れるだけで
そんなかけがえのない時間を奪わず、
反対に、子どもの感受性を育て、
親子の繋がりを深める時間を増やすことも
可能なのではないかと思っています。
早期英語教育が多様化している今は、
「英語に慣れ親しむだけ」に留まらない
素晴らしい英会話スクールもあります。
家でバイリンガル育児(マルチリンガル育児)を
取り入れている家庭も増えています。
一概に、
「早期英語教育には弊害がある」とは
言い切れない側面もたくさんあります。
そして、
言語能力に限定して考えた場合、
幼児期に始めるからこそのメリットは、
もちろん発音、聞く力、会話力が
身に付きやすいこともあると思いますが、
わたしは言語使用の瞬発力を育てやすいことだと思っています。
例えば、従来の学校英語教育で
英語を学習した子の場合、
下の絵を見て、
"What's this?"と聞かれたら、
((リンゴは"apple"。答えるときは "It's 〜"。
appleは母音で始まってるから、"an"にしなきゃいけないから・・・))
→ → "It's an apple."
極端な例ですが、こういう思考経路で答えるケースが多いんじゃないでしょうか。
でも、日本語を介さずに英語を習得した子の場合は、
"What's this?"と聞かれた瞬間に
→ "(It's) an apple."が出てきます。
もちろん、きちんと日本語が入っていれば、
「これはなに?」と日本語で聞かれたら
「リンゴ」という答えが
自動的に出てきます。
これはモノリンガルの子よりも
言語システムに
言葉の選択肢がたくさんあるから出来ることです。
「英語」と「日本語」という、
2つの言語システムが独立して存在するのではなく、
一つの大きな言語システムの中に
英語と日本語が存在しているということ
(詳しくは Translanguagingに関する記事を参照ください)。
年齢が低ければ
その言語システムにアクセスする瞬発力が
それだけ身に付きやすいと思っています。
幼児期は 思春期以降に始めた子よりも、
より簡単に その状態に持って行くことが可能です。
日本語を介さずに答える瞬発力。
人によって差はあれど、
こういった瞬発力を身につけるのは、
年齢が上がるにつれて難しくなるのではないでしょうか。
もちろん、鳥飼先生の主張のように
思春期以降に英語を始めて
高い英語力を身につける人もたくさんいます。
でもそういった人には、
高いモチベーションだったり、
囲まれているインプットの質や量だったり
元々の言語能力だったり、
他言語に対する柔軟性だったり、
様々な要素が良い方向に
作用したから なのかなと。
もちろん、早期英語教育には、
ダブルリミテッド(両言語ともに年齢相応の言語能力に満たないこと)
という状態を生み出す危険性はあります。
でもこれは母国語である日本語の時間を
減らし、極端に英語だけに偏りすぎる場合。
2020年まであと2年。
小学校英語がどう変わるのか。
内容を伴わない英語の授業数だけが増え、
教科となり点数化され、
子どもの英語離れ あるいは英語嫌いが
助長されないことを祈るばかりです。