4月から娘の学校のために移住計画をしていた。
私はもう41歳、高齢もいいとこだが
どうしても2人目が諦められなかった。
育児が大変なのも身をもって分かっているし
両親は高齢で頼れないし、
姉は関西だし子供も受験で大変だ、
でも諦められず自然妊娠を望んでいた。
医師からは40過ぎて3ヶ月自然妊娠しないなら
不妊治療してくださいと言われていたが
そこまでする気はなく、期限を決めて
移住する3月いっぱいまで妊活することにした。
これまで4回流産した。
そのうちの1回は親友が亡くなった時だった。
その時は自分でも分かるくらい気持ちがやられていて
流れてしまったことになんら不思議な気持ちは
無かった。親友の命が消えかかり、
妊娠初期に関西と関東を弾丸行き来していた。
ぐずる娘を抱っこしながら新幹線ではずっと
立っていた。身体にはかなり負担をかけていたと
思う。
親友を亡くし、赤ちゃんを亡くし、
もう2人目はいいかなと、しばらく妊活はやめた。
1人目の娘はいま2歳8ヶ月。
幼稚園受験を控えてお勉強中だ。
親の役割としたら塾の参加、送り迎え、規則正しい生活、食生活、塾の復習予習だろうか。
新しい移住先では引っ越し早々に新しい塾に通いだし
毎回楽しそうに頑張っている。
私の妊娠が分かったのは先月終わりころ。
(マジで?うそん?)
それが第一声。ラストチャンスだったので
奇跡やなと思ったけど何度も流れてるから
全然安心はしていない。今でも。
前月には旦那としょーもないことで喧嘩して
もう2人目はいらない!私には無理やー!
旦那なんて嫌いやー!と吠えていたのに
旦那が几帳面であるが故に、(決めたことは
最後までやりきろう)と、サクッと言われ、
残り一回を頑張ったという流れだった。
なんとしてもしがみついて来てくれたのだな
この赤ちゃんは。。と
検査薬を見ながら旦那とびっくりしたものだ。
話は戻るが
現在妊娠7周目入ったところ。
1人目で分かっていたけど
悪阻がつらい、、
1人目の時は食べ悪阻で、妊娠後期になるまで
吐くことはなかったのに
2人目のいまは
吐く、便秘、下痢、匂い、
気持ち悪さで立ってられない。
上から下から大変で。。
朝はまだマシで何か食べないと気持ち悪くなるから
イチゴ食べます。今は甘いものが食べたくて
コンビニの小さいケーキとかで満たされてます。
そのあと犬のごはんやら目薬やら娘のごはんを
作り、布団にぶっ倒れます。
昼までは布団で娘とおままごとします。
昼からはオエオエしながら娘の昼ごはん
うどんとかそーめんとかおにぎり定食みたいな。
簡単なものしか作れない。
犬にごはんあげて目薬して。
それが昼の限界でまた布団へ倒れ込む。
私は昼からがつらくなる。
息切れがしてハアハア言いながら眠れない中で
布団にいる。一分一秒がこんなに長いの?と
感じながら。。
でも、だけど、
この気持ち悪さの中でいつも思い出すのは
親友のこと、彼女は癌の気持ち悪さと
悪阻の気持ち悪さは似ているらしいと
言っていた。
たしかに悪阻の気持ち悪さはつらい。けれど
病気の彼女の気持ち悪さはどんな言葉にも変えられない
つらさだっただろうと思う。
だから私は感謝して感謝して
今を暮らさないといけないんだと思う。
とにかく悪阻が終わる時まで
ジッと耐えていかなくては。。