こんにちは!
英文添削・英会話講師 鈴木めぐみです
10才と8才の2人を子育て中のママです^^
今日は、「鈴木めぐみってどんな人??」
プロフィール①をご紹介しますね
「繊細で自立心旺盛な子が、英語を話せるようになるまで」
① 性格、英語との出会い、留学の夢
② 夢叶い、高校留学のためアメリカへ~英語がわからない!!
③ 引っ越し~気力を失う
④ 訪れた転機~英語が話せるようになる!
⑤ 私の体験と気づき
⑥ 帰国
① 性格、英語との出会い、留学の夢
私はもともと、積極的なところと
繊細で内向的な部分の両方を持ち合わせて
いました。
学校の集団生活の中で
自分の意に反して、周りに合わせることが
苦手でした。
小学6年生の時に、学習塾で習い始めてから、英語は大好き
いつも辞書を見ては、単語や例文をノートに書き写していました。
中学生の頃、電車で、フレンドリーな外国人が手を振ってくれたのがとても嬉しかった
外国の方と話すために、ますます英語を勉強したくなりました。
ジャズやアメリカ映画が好きだった私は
アメリカへの憧れが強くなり
留学への夢がつのります。
♢♢♢
② 夢叶い、高校留学のためアメリカへ~英語がわからない!!
私は両親を説得し続け
ついに、高校2年生の夏
アメリカへ留学することとなります。
自立心旺盛だったので
「自分の可能性を試してみたい!」と思って渡米。
行き先は、ホストファミリーが住む
カリフォルニア州北部。
山奥にある小さく閉鎖的な町でした。
渡米前に、アメリカ人の先生から
英会話を習っていたので
少しは話せると自負していました。
でも、いざ留学してみると
周りの人が何を話しているのか全く理解できず
言いたいことがあっても、英語が出てこないのです。
声は聞こえているのに、全く言葉が理解できない。話せない。
それは不思議な感覚で、もどかしかったです。
学校のクラスメートは、言葉のわからない外国人に興味はない、と言う感じでした。
寂しかったですが、
私は前向きに学校へ通い
人に話しかけるように努めていました。
♢♢♢
③ 引っ越し~気力を失う
ある平日の朝、私は寝坊してスクールバスを逃してしまいます
寝ているホストファーザー起こすのには気が引けて
山道を7時間くらいかけて歩き
やっとの思いで学校へたどり着きました。
そこには激怒したホストマザーがいました。
説明しようとしても話を聞いてくれません。
「あなたは学校をさぼった!私の家から出て行ってほしい」と言われてしまい。。
ショックでした。
幸い、留学カウンセラーとご家族が
新しいホストファミリーになってくれたので
私は隣の町へ引っ越しすことになりました。
隣の町は、大学があり、開放的な土地柄。
人もフレンドリーでホッとしました
でもその頃、私は気力を失い
部屋に閉じこもりがちになります。
カルチャーショックと言葉の壁ゆえに
コミュニケーションがうまく取れない状態が何カ月も続いていたので
疲れが出たのだと思います。
心配したホストファミリーは
私をクリニックへ連れて行ってくれ
日本への帰国を勧めました。
♢♢♢
④ 訪れた転機~英語が話せるようになる!
これが私の転機でした。
弱っていた私に話しかけ
寄り添ってくれていたパナマ人、台湾人、マレーシア人の友達の
大切な存在に気づきます。
「帰らないで」と言ってくれました。
そして、「話せないまま帰りたくない!」という気持ちが私の内で湧いてきます。
クラスメートに片っ端から声をかけ
電話番号を交換し、遊びに行こうと誘いました。
ある日、学校のダンスの授業で
自分が振り付けしたダンスが認められ
クラスメートが話しかけてくれるようになって
嬉しかった
そこから急速に、英語がわかり
話せるようになったのです。
⑤ 私の体験と気づき
♢ 英語が話せるようになるためには
人とコミュニケーションを取ること
話す練習をすることが大切
♢ 聞く練習を続けると
そのうち単語がひとつ、またひとつ理解できるようになり
今まで自分の内に蓄積されてきた言葉があふれるように口から出てくる
♢ 聞いて理解できるようになると
話せることにつながる
ということを体験、実感します。
数ヶ月後に帰国する際には
日常英会話は問題ないくらいの英語力がつきました。
頭の中では英語で考え、日本語と同じように英語を自然に理解し
話せるようになります。
発音も、ネイティブのようだ、と言われ
⑥ 帰国
帰国前に、仲良くなった友達ひとりひとりに
その子の長所と、感謝の気持ちを手紙に書いて
渡しました。
中には、「こんなこと言ってもらえたの初めて」と泣いてハグしてくれた友達もいました。
たくさんの楽しい思い出と
大学でもアメリカに行きたいという思いを胸に
私は高校3年生の夏、日本へ帰国します。
♢♢♢
続きは次回、お話しますね
最近の記事↓