みなさん、こんにちは。今週担当のやしきちです。

緊急事態宣言が解除されてから、人の動きが活発になりましたね。
僕は出張が多いんですが、特急や新幹線に乗っていると明らかに観光客が増えました。ワクチンもある程度普及したので、第6波とかにならなければいいなぁと思います。
僕はモデルナのワクチンを接種したのですが、39度前後の熱が1日半続きました。「これ、もう完全に病気やん」というくらいひどい副反応だったので、3回目接種はなるべく遠慮したいのですが、そうも言ってられなさそうですね。。。

さて、今週紹介する本ですが、下記になります。
「ビジネスの未来  エコノミーにヒューマニティを取り戻す」
著:山口周

https://presidentstore.jp/category/BOOKS/002393.html

この本との出会いは、近所のショッピングモールでした。
書店に併設されているカフェがあるのですが、書店と提携していて本を2冊まで持ち込んでもいいというシステムで、立ち読みならぬ座り読みができます。少し気になっていた著者ということもあり本書を手に取ってみたところ、面白くて熟読したくなり、結局購入しました。ちゃちゃっと目を通して概要の理解でいいかなと思っていたのですが、書店の狙い通りですね(笑)

本書の概要は下記の通りです。
「資本主義は十分に発達していて(先進国では)既に物質的な基盤は満たしており、経済成長が完了した「高原社会」に辿り着いている。そのため、むやみやたらにGDPに代表されるような経済発展を追うのではなく、人間性に根ざした経済社会を構築していくべきである」

本書の前半では、現在の社会を「経済が低成長に陥っているのではなく、経済成長が完了した高原社会である」という、経済社会に対する解釈の変更に主眼を置いています。
著者は哲学科出身のようで、そこかしこに哲学者の引用も含めた哲学的な知見が散りばめられています。それに加えて経済指標などの事実データも用い、現在の社会が「祝福の高原」と形容されている物質的な充足を満たした社会であると述べています。マーケティングやイノベーションは今までの経済成長路線を前提としており、飽和している需要を延命しているだけであると喝破しています。

自分自身、「企業の永続性は必要なのか?」という疑問を常々持っていたので、本書の論旨には共感する部分がありました。
診断士試験の勉強をすると、ゴーイングコンサーン(継続企業の前提)ということを学びます。企業が将来にわたり存続していくということを大前提としてとらえており、診断士としては押さえるべき基本的な事項です。
しかし、試験勉強をしていた当時、この前提に強い違和感を持ちました。企業経営では理念が大事なのですが、もし仮にその理念が達成されたとすると、その企業が存続する社会的意義はないと考えたからです。
理念が達成されても企業が永続するとするならば、それは。利益を増大し続けるという「資本の論理」が勝っているということになります。であるならば、結局は「お金儲けが全て」ということになり、社会的な課題を解決するというような崇高な理念を掲げること自体が意味をなさないことになるからです。
このような、自分の中でモヤっとしていた概念が明確に言語化されていることに本書の価値があると考えています。

本書の後半では、この世界を「便利で快適な(だけの)世界」から「真に豊かで生きるに値する世界」へと変えていくために、著者なりの解決策が提示されています。

「高原社会」では、経済合理性だけでは解決することのできない、対象者が少なくかつ難易度の高い課題(経済合理性限界曲線の外側にある課題)をいかに解決するかが求められます。そこには、「なんか分らんけど、これは絶対にやるべき」「自分はこれをやるために生まれてきたんだ」というような、合理性はないものの人間が本来持つ「無垢な衝動」を活用する必要があります。
そのためには個々人が衝動に素直に従って色々試して遊ぶことで、真にやりたいことを見つける必要があり、安心して夢中になれる仕事を取り組むためには経済的な安定が必要です。それをベーシックインカムで担保するという主張が述べられていました。

「未来のために今を手段化する経済から、今この瞬間の充実を追求する経済に変えていく」ためには、既存の社会システムを外から壊すのではなく、社会の内側から人間性の原理をインストールしていってハックする必要がある。そのためには、個々人の自覚が必要であり、そういう人たちが増えることで社会を静かに変えていくことができる、とい主旨が展開されています。

経済合理性と人間性を対立項とするのではなく、両者を統合していくという弁証法的な解の導き方だとは思うのですが、後半の解決策に関しては抽象度が高く、あまり煮詰まっていないという印象を受けました。それだけ、精度の高い解を見出すことが難しい命題であり、現代を生きる自分たちが長い年月をかけて対処していく課題だと感じました。

本書は、抽象的で難しい話題をできる限り一般の読者にも理解できるように書かれています。知的好奇心をくすぐられる内容なので、一読することをおすすめします。

こんにちは、今週担当エイジです。

 

先日、ようやく2回目のワクチンを接種してきました。

ある程度覚悟していましたが、発熱・頭痛・筋肉痛の3点セット…

せっかく打ってもらったのだから、“これは効いている証拠だ”とか、“若者の方が副反応が出やすいということは、若者認定された”とか非科学的な思い込みでポジティブに捉えようと努めたものの、やはりしんどかったです。

この辛さ、経験したことある方は共感頂けると思います。

 

さて、今回私が紹介する本は、ブレイディみかこさんの『他者の靴を履く』です。

ブレイディみかこさんと言えば、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』がすぐに思い浮かびますが、この『他者の靴を履く』は『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』のスピンオフというか、その本の中のたった4ページだけ登場する言葉が話題になり、ついには本になったという経緯があります。

 

 

この本を一言でいうと、エンパシー本です。

エンパシーとはなんぞや。シンパシーなら聞いたことがある。

というのが私の最初の印象です。

英英辞書を著者が和訳したエンパシーとシンパシーの定義は、

エンパシー:他者の感情や経験などを理解する能力

シンパシー:

①誰かをかわいそうだと思う感情、誰かの問題を理解して気にかけていることを示すこと

②ある考え、理念、組織などへの支持や同意を示す行為

③同じような意見や関心を持っている人々の間の友情や理解

 

つまり、エンパシーは能力、シンパシーは内側から湧いてくるものということになるそうです。

日本語にすると両者とも“共感”となってしまいがちですが、エンパシーを日本語で言うところの“共感”でいいのかという著者の問題提起に私も共感しました。

著者の息子さんは、エンパシーのことを『他者の靴を履く』と言ったそうで、なるほどわかりやすい。

 

著者が英国在住ということもあり、ヨーロッパにおける話の展開が多いのですが、新型コロナウイルスに関することや多様性に関することは日本においても同じ問題を抱えている(むしろ日本の方が喫緊の課題でもある)ことから、非常に読みやすくなっています。

帯に「多様性の時代のカオスを生き抜くための本」とあるので、私がこの本を読んでどのように活かすかという点に絞って見ていくと、以下の2点に興味を持ちました。

 

①外して、広げろ

識者の間でも考えは様々で、エンパシーは各人が心に持つ認知的バイアスを外すことであり、それこそが多様性を共に認め合うことのできる社会に繋がるという考えと、エンパシーという名の“気持ちの分かち合い”は特定の個人に焦点を当てすぎて、社会全体がいい方向に向かう改革を実現するにあたっての障害にしかならないという考え。

前者(エンパシーだいじ論)は、認知的バイアスを外して考え方を広げろと言い、後者(エンパシーはダメ論)は、対象のスポットライトを絞らずに外して、視野を広げろと言っている。つまりどちらにせよ「外して、広げる」ことがエンパシーについて考える上で重要

 

②利他的になれば利己的になる

トイレットペーパーやマスク、うがい薬、最近では解熱剤(アセトアミノフェン系)といったところでしょうか。

パニック買いとも言えるこうした行動は、一見利己的な行いのように思えますが、コミュニティ全体のためにはなっておらず、感染症のようにコミュニティ全体が改善される必要がある場合においては、まったく自分のためになっておらず、自らのミクロな行動がマクロにどういう影響を与えるかという想像力を持って行動する必要があります。

他者の靴を履き、自分以外の人々のことも慮って行動した方が、結果的には自らのためにもなる。

 

 

他者の靴を履き続けることで自分を他者に譲り渡してしまうような毒性もエンパシーにはあるそうなので、やはりバランスが大事ですね。

ダークサイドに堕ちないようにしましょう。

私の個人的な印象として、エンパシーという聞きなれない言葉の登場で何か特別なことを始めなければならないと思う必要はなく、言動の前に、“相手の立場を想う”というワンクッションを挟めればそれでいいのかなと。

 

そのレベルであれば、日常生活にも取り入れることも可能ですよね。

会社で言えば、社長と若手社員の立場を1日入れ替えてみるなんてどうでしょう。

社長は来客があれば率先して挨拶し、自らお茶を出して対応する。

若手社員は分刻みの社長スケジュールをこなしてみる。

分かりやすいイメージを書いただけですが、何かしらやってみることで見える景色が変わり相手の気持ちも少しは理解できるようになるかもしれません。

「俺たちの若いころは…」「これだからおじさんは…」というマイ価値観を通した共感よりは良さそうですよね。

 

家庭では、時代とともに多少改善されてきていますが、やはり家事育児の問題を抱えているケースは多いと思います。

いまこそ他者の靴を履くときではないでしょうか。

もう少し互いを尊重しあえるのではないかと思います(そんな私は一人暮らし)。

 

 

エンパシー:他者の感情や経験などを理解する能力

 

自分らしく生き抜くために必要な分だけでも身に付けておきたいものです。

 

 

皆さんこんにちは

今回ブログを担当をさせて頂く、すけさんです。

私は前職で新入社員の人材育成を担っていたわけですが、その時に感じたこととして、昔の言葉で、読み書きそろばんという言葉が非常に理に適っていると感じました。
子供の基礎学力が低い状態では、大人になっても大きな影響が残ります。それは社会問題でもある貧困につながります。貧困から抜け出したくても抜け出せないということが肌で感じた次第です。

その問題にどうすればいいかと考えた時に、微力ながら子ども達が自力で生活できる力をつけさせるためにどうすればと、子どもでもできる経営ゲームを考えたりしたこともありました。

そして先日、アメリカのシリコンバレーで行われている、子供向け起業プログラム【Bizworld】が日本に入ってきて、そのBizworld認定フェローになるべく、必要カリキュラムを受講しました。

そこのカリキュラムの中でグローバルティーチャー賞というものがあると初めて知り、その2019年にそのトップ10に入られた先生に、子供への接し方などを教えて頂き、非常に刺激を受けました。

グローバルティーチャー賞とは、皆さんご存知でしょうか?
グローバルティーチャー賞=教育界のノーベル賞 とも言われるもので、2019年世界150ケ国から、およそ3万人の教育者がエントリーされた非常に由緒ある賞です。

今回紹介する本は、「子どもの未来が変わる英語の教科書」で著者は立命館小学校で英語を教えている「正頭英和(しょうとうひでかず)」さんです。



正頭先生は、2019年にグローバルティーチャー賞トップ10に入られた方です。


著者はこれからのAI時代に、世界で求められている教育というものはどのようなものなかのか?英語の習得は今後役に立つのか? そこに親はどのように対応していけばいいのか?

読んでいく中で、変わりゆく未来に、親が今からできることは何かというものを非常に意識させられました。


この書籍の構成は

プロローグ:AI時代に、世界で求められている教育とは
第一章  :AI時代に英語は必要か?
第二章  :「英語教育」のイメージをアップデートする
第三章  :家庭でできる新時代の英語学習法
第四章  :AI時代に輝く子どもの育て方
第五章  :AI時代に求められる親の対応力を磨く
エピローグ:AI時代、子育てに一番大切なこと

となっています。

本の内容は非常に濃く、どの章も重要だと感じていますが、特に3つ印象に残っているのを下記で
あげるとすると

プロローグ:AI時代に、世界で求められている教育とは

小学校教育で今後大事になっていくと考えられているのが「カリキュラムマネジメント」×「プログラミング教育」×「英語教育」の3本柱が重要とおっしゃています。カリキュラムマネジメントとは、国語、社会、算数、などそれぞれの壁を取っ払い、横断的な視点での授業の組立です。

グローバル化する未来を生き抜く子どもたちの力を育むためには、この3本柱をバラバラに行うのではなく、一体化させることが理想だとおっしゃっています。

その取組のひとつが、マイクロソフトの「マインクラフト」です。その授業はすべて英語で行っているそうです。
著者の英語の授業は英語を学ぶのではなく英語で何を学ぶかということを大事にしており、「カリキュラムマネジメント」×「プログラミング教育」×「英語教育」の一体化した教育の手法が評価され、グローバルティーチャー賞トップ10につながったということです。

世界では、ICT教育が当たり前になりつつある中で、日本は新型コロナウイルスの蔓延により、オンライン授業へ切り替えが必要になり、タブレットを使った教育がようやく進み始めましたが、世界からは大きく遅れをとっていることをこの書籍で初めて認識しました。


第一章:AI時代に英語は必要か?
レベルの高い翻訳機が出てきています。実際に翻訳機があれば近い将来、ビジネスや観光には問題なくなると考えられていますが、英語を習得することにより、自信がつき経験につながる行動力が格段に上がると言っています。
確かに、違う言語を話す人との会話やコミュニケーションには、新たな経験が得られますし、英語を習得することで話してみたいと思うようになると思います。実践に移すことにより、失敗してもその経験がAI時代に必要だということだと思います。そして著者はAIが発達すれば問題を解くのはAIがやってくれるため、「問題を解く力」→「問題を見つける力」が必要になってくるとも言っています。英語力を身に着けることは、視野を広げその力を養うことにもつながるということです。


エピローグ:AI時代、子育てに一番大切なこと
 そして最後に、著者がこの本を通して伝えたいことは、「大人が変われば、子どもは変わる」この本を通して裏側では一貫して「ハードルを下げよう」というものがあり、「挑戦」というもの自体のハードルを下げようというメッセージもあります。子どもを強引に変えようとしても、なかなかうまくいきません。少しの勇気と少しの挑戦で、人は変わることができる。その姿を身見て、子どもは変わり始めるのだと著者は言っています。つまり、大人が作る「空気」が、子どもが育つ「環境」になるということです。

この書籍では、他にも重要なことがいっぱい記載されています。特に子育て世代の親、教育関係者の方には読んでもらいたいと思います。

 
 最後に「子育てのハードル」を下げませんか! 親がイメージする子育てのハードルを下げることによって、色々なチャレンジにつながると思います。チャレンジして『体験』×『知識』=経験を積み上げて、来るべきAI時代に対応できる大人になってほしいと思います。
 

オリンピック、パラリンピックも終わり、朝晩が涼しく感じられる日も増えてきました。

そろそろランニング再開しようかな、と思いつつも、重い腰が上がらないたかまつです。

今年はスポーツの秋より食欲の秋が優先かも。

 

さて、今回ご紹介する本はこちら!

最近耳にする機会が増えた「FIRE(Financial Independence, Retire Early)」。

経済的な自立を達成して、早期リタイアをめざす考え方、生き方です。

 

私自身、仕事は楽しくやりたいし、学卒時の就職活動では「もし手元に3億あったら就活をやめるか?」と自問して「NO」の結論が出た。なので、「FIRE」とかあんまり関係ないかなー。

と思っていたのですが、就活してたのももう20年近く前だし、今はまた違う発想が出てくるかもしれない。

あと、私もギリでミレニアル世代だし。(←FIREはミレニアル世代を中心に話題になっているらしい)

ひとまず読んでみるかな、くらいの気持ちで手に取ってみました。

 

この本自体は、1992年にアメリカで出版されたものを、時代の変化に合わせて改訂されたものです。

本書のキーワードは、「十分」と「経済的な自立」。

「十分」は、自分にとって「十分」と思える水準がどこなのかを見極めること、としています。

「みんなが持っているから」モノを買うのではなく、自分にとって本当に必要なのか?を考えて買う。

昔から言われる「足るを知る」でしょうか。

「経済的な自立」は、究極には「雇われ仕事以外の不労所得で基本的なニーズや快適な生活を十分にまかなうことができるため、自分の時間を好きに使う選択肢がある状態」。そこまでいかなくても、例えば「借金がない」も経済的な自立の第一歩であるとしています。

この二つを達成することができると、自分の時間をもっと好きなように使える、というのが本書の趣旨かと思います。

 

早期リタイアをめざすためのノウハウ、というよりも、自分自身のお金に対する意識、お金の使い方について振り返る内容が多くを占めています。

まず、お金とは「生命エネルギーを差し出して手に入れるもの」と著者は言います。

つまり、自分の時間と引き換えにお金を得ているわけです。

では、自分の時間と引き換えに得たお金を使うとき、どんな風に使っているか?

これを徹底的に洗い出す。費やした時間と同等の価値のあるモノを手に入れられたか?を考える。

…といった内容からスタートします。

 

経済的な自立を達成するまでの9つのステップがあるのですが、その工程はまさに「見える化」。

今まで「なんとなく」で使っていたお金を、書き出したり、グラフにしたり、とにかく「目に見える形にする」。

FIREも、ダイエットも、経営も、目に見える形にしないと続かない、ということのようです。

 

改めて、自分を振り返ってみて。

現在40歳、人生多分折り返し地点くらい。

仕事は楽しくさせていただいているし、自分の時間を使ってやりたいこと言われれば、世界遺産巡りか(今はコロナで行けませんが)

FIREはおそらくしないけど、「自分のやりたい仕事を選べる」くらいにはなりたいかな、なんて改めて思いました。

こんにちは。いわもんです。

まだまだ不自由な生活が続きますねあせる
昨年のマラソン大会の中止ラッシュの頃は、「今年はダメでも来年こそは…」となんて希望を抱いていましたが、今年も年内の大会はなかなか難しそうですね。

この原稿を書いているのは2021年の9月上旬ですが、ここ数日のニュースは新型コロナウイルス関連を除くと、自民党総裁選についての記事が紙面を賑わしています。
一方で、今回のテーマである「銀行」についてのニュースも2つほどありました。

1つは、某メガバンクの障害ですね。金融機関は社会インフラの一部で、数年に1回発生するだけでも大問題なのに、今年に入ってからでも6回目で、一体をやっているんだろうと呆れてしまいますね。プンプン

もう1つは、住信SBI銀行やSBI証券を運営するSBIホールディングスが新生銀行に対し、TOBを始めるというニュースです。このSBIは「第4のメガバンク」構想というものを掲げ、地方銀行(地銀)への投資を活発化させています。アップ

 

菅総理が以前、「地方銀行は多すぎる」とコメントをしましたね。地銀の事業はその地域での寡占となるので、本来は独占の有無など厳しくチェックされるのですが、政府は独占禁止法の特例法を制定し、地銀の再編を後押しする姿勢を示しています。
このように、近年地銀の再編が注目されており、前述のSBIの動きもこの再編の動きの一つとして注目されています。

なぜ、再編が必要なのかはてなマーク
それは、地銀に限らずメガバンクも当てはまるのですが、収益性や今後の事業環境が厳しいからです。
少子高齢化による人口減少、そして人口の都心集中によって、そもそもπが少なくなっています。
また、預かったお金をより高い金利で貸し付ける金利差の利ざやを得ることが銀行の本来のビジネスモデルの核ですが、長年の金融緩和による低金利で利ざやが稼げません。そもそも、金利が下がったところで、企業の投資意欲が乏しく、貸付ニーズがない状況にあります。
そんなπが少ない中、同じ地域で複数の地銀がより低金利で客を取り合う過当競争を続ているため、地銀の体力がどんどん損なわれているのです。

また、『フィンテック』という単語が出てくるように、他業種から銀行の一部機能を脅かす流れも出てきています。

企業体力が弱くなれば支店を統廃合せざるをえなくなるなど、社会インフラとしての役目を果たせなくなることを金融庁は危惧しているのです。びっくり

世の中の評価はどうかというと、株価指標の一つであるPBR(株価純資産倍率)は軒並み1倍を下回っています。
1倍を下回ると、帳簿価額よりも市場価格の方が低い状態であり、解散価値より低いいわゆる「割安株」という状況です。低PBRの企業を見ると、ほとんどが地銀です。何と0.2倍台という地銀もあるんですね…。昔、IR(投資家向け広報)をやっていましたが、IRに積極的な企業とあまり重視していない企業は二分割されるものです。IR活動の現場で地銀はほとんど見かけなかったですね。上場している以上、もっと企業価値向上に努めるべきだと思いますが。キョロキョロ
また、少し前まで新卒の人気業種トップは銀行でしたが、既に敬遠されているという報道もあり、就活生の人気も落ちてきています。

このような状況に対し、地銀の現状、そして今後起こり得る再編の可能性について解説している本が今日ご紹介する本です。

 

 

著者は、銀行の勤務経験があり、銀行業界を分析するアナリストを長年務めていた方です。
なかなか過激なタイトルですが、その内容は悲観的なものではなく、また著者の主観の偏りもなく、今後起こり得るであろう流れを正確に分析されています。

目次は次の通り。
第1章 適者生存の時代
第2章 悩み多き地銀
第3章 3つの道
第4章 持続可能な地域金融
今後再編の展開(頭の体操)
地銀64行の独自分析

 

第1章では、これまでの金融業界の歴史を振り返っています。スルガ銀行の問題もありましたが、この環境下での銀行の収益源のあり方の解説は勉強になりました。

 

第2章では、地銀の現状と現在のビジネスモデルの限界について触れられています。この章で腑に落ちたことは、そりゃそうだろと言われればその通りですが、日本の銀行法では銀行は「株式会社」であることを求められているということです。よく銀行は「銀行は雨の日に傘を取り上げ、晴れの日に傘を貸す」と揶揄気味に言われますが、株式会社であれば他のステークホルダーがいて、しかもほとんどが上場企業であれば企業価値向上が求められるわけですから、社会インフラがどうこうは置いておくとすれば、危険なところには投資をしない、より収益性のあるところに投資をすることは、企業経営にとっては至って当たり前のことなんですね。だからこそ、小説やドラマで描かれるジレンマみたいなものが生まれざるを得ないんですね。

 

第3章では、第2章での課題を踏まえ、「持株会社への移行」や「業務提携」等のメリットやデメリットについて著者独自の視点で考察されています。前述のSBIの動きについても細かく解説されています。

 

第4章では、第3章で紹介された3つの道の先にある展望について述べられています。

その後にも、さまざまな見解が述べられており、付録の地銀64行すべてについて現状の評価と今後の課題等のまとめはなかなかの読み応えです。身近な地銀の分析を読むと面白いのではないでしょうか。

 

このような事業環境下だけではなく、近々、東証の市場再編とコーポレートガバナンス・コードの改訂も控えており、上場企業としての地銀のあり方にも厳しい目が向けられることとなります。

 

私自身、経理をやっているので、金融機関の担当者とそれなりに接触しています。それもあり、この本の客観的な分析はとても勉強になり、より興味深く今後の再編について注視できるようになりました。

興味を持った方はぜひ読んでみてくださいウインク

 

こんにちは、今週の当番M.ナカニシです。

前回の登板から、約3ヶ月。この間に大きなことがありました!
なんと50歳の誕生日を迎えたのです。
ひっぱったわりには、皆さんにはあまり関係のないお話でしたね。ゴメンナサイ

 

知らず知らずに年ばかりとってしまったのですが、幸いなことに、社外でも年下の方といっしょに活動させていただくことが多いです。

そりゃ年とれば、出会う人は年下の可能性は高くなる、当たり前っちゃ当たり前の話ではあるのですが。

 

で、思うのですよ。
「めちゃ優秀やん...」

ある意味、嫉妬と言ってもいいかもしれません。

これからまだまだ時間がある。その能力をどこまで伸ばしていくのだろうと。

 

とまぁ、こんなことも思ったりすることもあるのですが、ある意味、危機感をもてるだけマシなのかなぁと自分を甘やかしてみたり。

ほら、会社(とくに従来型の)みたいな縦社会では、組織の立場だけで、発言の重みもかわってしまい、そのことに自分自身も居心地良くなってしまったり。こういうのは、私的にはだめなんですよね。

おそらくこのような状態だと、組織も硬直し、業績なんかも伸び悩みそうなので、社会的にもよろしくないと言えそうです。

 

で、その人たちのなかでふんぞりかえってなにもやらない人は論外として、(この文脈での)多くのイマイチな人が年下たちに勝てるもの。

それは「経験」ではないでしょうか。

 

社内を想定していただくとわかりやすいと思いますが、入社数年の若手と中堅、ベテランではやっぱり経験値が違いますよね。

 

ところが、このように書くと

「いやいや、個人の経験もあるし、使えない(使えなくなった)経験あっても仕方ないやん」との声も聞こえてきそうです。

「伸びがちがう、おっさんは(なぜかできない上司は男性のイメージ)頭打ちやから」というような声も聞こえてきます。

 

会社勤めの方ならご経験あるかもしれませんが、最初はありがたかった経験に基づくアドバイスなどが、いつしか当たり前に理解でき、だんだんその先輩上司にすごさを感じなくなった経験はありませんか?

あげくには「昔の自慢話は聞き飽きた」と、悪者扱いまでされたり。

 

でも、ここですごすごと取り下げるような流れで、「経験」を強みとして上げたりしません。

そう、「その経験をもっとすごいものにできるぞ」とアイデアをくれたのが今回の本

 

 

 

なにやら難しいメタ思考と銘打っていますが、これがおじさんの救世主となるかもしれません。

 

詳しくは、本著をとっていただきたいのですが、
メタ思考とは、「物事を一つ上の視点から考える」こと。上から全体を見渡す感じです。
抽象度を上げることとニアリーイコールです。

では、メタ思考を使えばなぜ発想力を飛躍的にアップするのか?

その一つとしてアナロジー思考が紹介されています。
抽象度を上げる際に、複数の事柄の類似性や関係性に注目し、経験したことから未知のことへ転用(類推)する思考法です、

 

ほら、経験が何倍にも活かせるではありませんか!

そもそも何もしらなければ(既知のものがなければ)ほかに転用のしようがない

とはいうものの、そのまま転用する(できる)ケースはさほどないか、価値があまりない

 

例えば、「ありがた迷惑な昔の成功体験」

これは、状況の変化や違いを考慮せずに、そのまま転用しよう、させようとした失敗例とも言えます。

ただしくは、過去の成功例と今置かれている状況との共通点などを抽出し、転用することを推奨しているのです。

 

サラリと書きましたが、これめちゃくちゃむずかしいですよね。
簡単なら、「ありがた迷惑な昔の成功体験」は横行しないはずですし。

そこで、そのトレーニングとなる例題が提示され、考えてみようとの趣向の本です。

 

考え方を知ったからすぐにできるわけではなく、これも新たな「経験」が必要なようで…

やっぱり、昔の経験だけでなんとかなるほど、甘くはありません。

さて、節目の50歳も無事無かられましたし、あらたなスタートですね。

 こんにちは、まさかずです。

 

 新型コロナウイルスの猛威はなかなか治まりませんね。しばらくはマシになっていた大阪の医療状況もだんだんと厳しくなってきました。東京ではパラリンピックが開かれています。実はパラリンピックの閉会式のチケットが当選していました。しかし、皆さんもご存じのとおり基本パラリンピックは全て無観客になり、私も生で見ることが出来なくなりました。ワクチン接種も2回済まして準備していたのですが、諦めて家で応援しようと思います。

 

 ところで、潮の満ち引きは1日に2度あることはご存じだと思います。気象庁によると大阪での2021年8月29日の満潮時刻は11:15, 22:12、干潮時刻は5:36, 15:45であり、1日の間に満潮は2回、同様に干潮も2回あります。

 

 潮の満ち引きは、GakkenのHPでは以下のように説明されています。

 潮が満ちたり引いたりする現象(げんしょう)は、月の引力が海水を引っぱるためにおこります。

 月に近い海では、月に引きよせられて海水がもり上がり、満ち潮(みちしお)となります。また、ちょうど反対側にある海は、引きよせられる力が弱くなるために、海水がとり残され、こちら側も満ち潮になるのです。こうして地球の両側に海水が集まって満ち潮になるというわけです。その中間にある海は、海水がへるので引き潮(ひきしお)となります。

引用:Gakken キッズネット

 

 1日に2回、満潮があるのは、月に近い海で海水が引き寄せられるのと、反対側の海水が取り残されるからだと言うわけです。

 でもこれって、不思議な感じがしませんか? 突然に月が現れたのなら、取り残されている海水があるのも分かるのですが、月が地球の周りを回り始めてから40億年以上は経っています。人間の足でも地球を1周するのに10年もかかりません。取り残されるのが原因なら100年もすれば月の側に海水は集まるのではないでしょうか。

 

 結論からいうと、月の反対側も満潮になるのは、月の重力により時空が歪んでいるから、だそうです。びっくりですね。

 

 時空と言えばアインシュタインで、アインシュタインの功績で有名なのは特殊相対性理論と一般相対性理論です。

 特殊相対性理論は、重力が無い場合における光の速度が一定であることから導きだされる現象を調べる学問です。特殊相対性理論で有名な現象は、速度が速くなればなるほど時間の進みが遅くなり、光速に近づくと歳を取らない、という現象ですね。

 

 一般相対性理論で有名な現象としては、加速による見かけの力は、重力による力と区別はほとんどつかない、というものがあります。

 

 例えば、密室に居る人は、次の2つのどちらが起こっているか区別がつきません。

  1. 部屋は地上にあり、物体は重力により引き下げられているため、物体が床に落ちている。
  2. 部屋は宇宙空間のロケットの中にあり、ロケットは加速しているので、慣性力のため床に引っ張られる。

引用:Wikipedia 一般相対性理論の概説

 

 慣性力というと何や?と思われるかもしれませんが、エレベーターに乗っている時の事を考えると分かり易いと思います。上の階にいくエレベーターが動きだそうとするときに、何となく体が靴の方に押しつけられるような気がすると思います。またエレベーターが止まろうとするときに、何となく体が軽くなったような気がすると思います。動きだそうとするとき(加速するとき)に、押しつけられたり、引き上げられたりする力が慣性力です。

 

 「加速による見かけの力」と「重力による力」は、ほとんど区別がつかないのですが、ほとんどというのがポイントでして、区別をつける方法もあります。

 

 エレベーターの中に上下左右と4つのボールが浮かんでいる状態を考えます。

 もし、エレベーターが加速していて力が生み出されているとすると、4つのボールには全て同じ力がかかります。そのため、4つのボールは位置関係を保ったまま下に落ちて行きます。

 

 重力は、地球の中心に向かって力が働きます。また、地球から近いほど重力は強く、遠いほど弱くなります。

 エレベーターが止まっていて、重力による力がかかっている場合、上下のボールは地球の中心からの距離が若干違いますから、ボールにかかる重力が違います。そのため、下のボールの方が上のボールに比べて大きな力がかかります。下のボールの方が大きな力で引っ張られるため、上下のボールの間隔はだんだんと開いていくように見えます。

 左右のボールを考えてみると、それぞれ地球の中心に向かって重力がかかりますから、重力の方向が違います。中心に向かって力が働いているので、左右のボールはだんだんと近づいてくることになります。

 

 

 エレベーターの中の4つのボールの関係を、地球の海面の状態に当てはめてみます。そうすると、月に近い側と反対の遠い側は引っ張られて膨らみます(満潮)。左右の側は縮まります(干潮)。つまり、潮の満ち引きは、月の重力による時空の歪みから起こっているのですね。

 

 

 長々と書いてきましたが、この潮の満ち引きは時空の歪みから起こることを教えてくれたのはこの本です。

 

アインシュタイン方程式を読んだら「宇宙」が見えた ガチンコ相対性理論 (ブルーバックス)

 

 数々のサイエンス書籍の編集に携わった文系の作者が、「オレだって数式が読めるかっこいい男になりたい! 」とアインシュタイン方程式を目指していく、という顛末を書いた本です。ですので、物理の教科書ほどではないのですが、数式がバンバンでてきます。作者も途中でかなり諦めた状態で、良く分からないところは「分かったこと」にしてすっ飛ばすという箇所がよくありました。

 私も、特殊相対性理論のあたりまではついていけたのですが、一般相対性理論にはいってテンソルぐらいからさっぱりでした。で、この本で一番しっくりきたのが、数式を使わないで説明されていた潮の満ち引き(潮汐力)の部分です。

 

 数式で理解するのはやっぱり難しいですね〜。

長引くコロナ、おそろしい長雨、ワケワカラン政治家たち・・・

石器時代でしたら、生贄の儀式とかして神様にご祈祷してしまいそうな昨今ですが、

皆様におかれましてはいかがお過ごしでしょうか。

今回担当は、そんな中でも夏痩せすらしないさわさわです。

 

県をまたいだ移動は良くないのですが、

先日来お仕事などで奈良・島根・和歌山などを訪れる機会があり

それぞれの地で有名神社にお参りしてきました。

奈良・大神神社、島根・出雲大社、和歌山・那智大社などです。

 

特に出雲大社は、行こう行こうと思いながら今回が初めて。

伊勢神宮とはまた違って、男性的で豪壮な感じでとってもかっこいいなと思いました。

不勉強で、帰阪してから聞いたことには

ここにはびっくりするような巨大神殿があったそうで(イメージ写真参照)

大きな柱跡が出土したのだそうですね。

 

大昔に、そんな宗教・強権国家が存在してたのかー

そーいえば日本の古代史って、ちらっと学校で勉強したままなんもしらんなー

神様と人間はどこで別れたんだったけな??

 

ということで、ふと頭に浮かんだのが

手塚治虫氏の『火の鳥』シリーズ。

 

 

なぜ「まんが日本の歴史」じゃないのかとのツッコミはすいません。

単に読みたくなったからです爆  笑

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『火の鳥』は古代のみならず

いろんな時代・・・それこそ宇宙に飛び出す未来までを舞台に、

登場人物たちがいろいろな苦難を乗り越え生きる姿を描いた

言わずと知れた名作なのですが、

この歳で改めて読むと、子どものころ読んだイメージとかなり違いました。

 

本当にいろんな要素が含まれていて

「ひとはどう生きるべきか」みたいな深~いテーマが

1954年から連載開始というだいぶ前の作品にもかかわらず

いまこの令和の時代となっても普遍的に迫ってきます。

 

生と死、生き物の命とは何か、人間を超えた存在=神様や精霊、自然・・・

私自身、子どもの頃とは生活環境が一変していることを改めて今回認識したり

科学技術で寿命がどんどん延びたり、遺伝子操作で人間を作ってしまいさえする時代。

 

「人間てなんだろう~」「幸せってなんだろう~」などと、

哲学的な疑問をふと抱いてしまいました。

 

コロナ以降、世の中どんどん変わっており

いままでなら信じられないようなことも、今後当たり前になっていくのかも

とひしひしと感じる今ですが

それほど人間てものの本質は変わらないような気もしますし、

昭和感満載でちょっとほっとする『火の鳥』を読んで

生命について、考えてみる時間を持つのもよろしいのではないでしょうか。

 

そして、古代史については、火の鳥に歴史上のエピソードや人物が

あちらこちら散りばめられているそうですが、

肝心のコチラの知識が不足しておるため読み飛ばしている可能性大。

やはり『まんが日本の歴史』を読まないといけなさそうです~~。チャンチャン。

よっしーです。

 

私はIT企業で営業をしています。

商談の中で、取引先と契約交渉をする機会が多く、契約書の内容確認にはいつも神経を使います。

 

会社には法務部門があり、リーガルチェックは専門家にゆだねるのですが、取引先とどのような条件で契約したいかは営業が主体的に決める必要があり、取引先から提示された契約書案が、こちらの意図に沿った内容なのかチェックする必要があります。

 

しかし法律を勉強された方には当たり前のことでも、法律用語や色々な作法を知らない人にとっては、どういうところに気を付けなければならないかが、なかなか分かりません。

 

契約書が意図する効力を発揮するために、何をどのように取り決めておかなければならないかは、そもそもの法律を理解しておかなければ表現ができませんが、職場の営業部署には必ずしも法律に明るい人ばかりではないので、そんな状態で年間多数の契約交渉を行っていることに不安を感じていました。

 

そんな職場で若手に対して、「契約書の読み方」のような教育を行おうとすると、どうしても表面的なテクニックに終始してしまいます。かといって法律からきちんと理解させるために、例えば契約法務関連の資格を取得させようとなると一気にハードルが高くなり、なかなかその隙間を埋めるのが難しいです。

 

そんな時、法務部門の人から紹介してもらった本が、その隙間を埋めるのに非常に役に立ちました。

 

今回紹介する本は「先生!バナナはおやつに含まれますか?」中野友貴著

 

タイトルはふざけていますが、著者は弁護士です。

誰もが知っているこの命題。これを法解釈の観点で解説しています。

 


 

§§§

 

とある小学校での遠足での一コマ。

おやつは400円までと決められているのに、A君は400円分のおやつとは別に、バナナひと房(200円)を遠足に持ってきました。それを見つけたBさんは、ルール違反だと咎めます。このだれでも記憶にあるワンシーンに法解釈を当てはめていきます。

 

A君は、お弁当にもバナナやリンゴが入っている人がいるので、バナナはおやつじゃないと主張すると、

Bさんは、A君のバナナは弁当箱に入っていないから、おやつだと主張します。

するとA君は、お弁当箱に入っていないおにぎりはおやつなのか?という反論します。

 

この問題を解くために、おやつの定義を法律の考え方で整理していきます。

そして、解釈(法解釈)と事実確認に分けて結論を導き出します。

 

解釈については、言葉そのものを解釈する「文理解釈」、主旨や目的を根拠とする「目的論的解釈」、そのほか「反対解釈」、「類推解釈」、「拡張解釈」、「縮小解釈」など解釈の考え方をバナナはおやつか?などの身近なテーマを使ってわかりやすく説明しています。

 

また事実確認では、バナナを持ってきたという行動に対して、バナナがひと房なのか1本なのか、加工したものか、加工していないのか、バナナの他にどのような食べ物を持ってきたかなどによっても、その確認結果も変わってきます。

 

最終的におやつの定義は、弁当でない食べ物として定義され

①   食べ物の運搬方法

②   食べ物の性質

③   持ってきている他の食べ物との関係

で判断されます。

巻末には実際の契約書の解説などもあり、契約初心者にはとてもよい1冊です。

 

お調子者の生徒が「先生!バナナはおやつに含まれますか?」と聞いてきたら、こんな授業で切り返しても面白いかもしれませんね。

 

今週は よっしーでした。

ではまた。

はい、みなさんこんにちわ。
日本一怪しい診断士の胴乱幸助です。

ええと、今年はこういう怪しいことの勉強を本格的に初めて、
10年の節目となるんですが、最近だいぶ考えが整理されてきた感がありまして、

それだけ知識量が増えてきた、ある臨界点を超えたような気がしています。

それでも、やっぱりまだまだ口では説明できずに、
感覚に頼るところはあると言えばあるんですが、
最近、その隙間を埋めてくれる一冊に出会いまして。
隙間と言っちゃあなんなんですが、ここんとこ非常に重要でして。
「なんとなく」では片付けられない部分を量子力学を使って説明してくれる、

今日はその本をご紹介したいと思います。
 

 

 



著書の村松さんは一般社団法人開華GPE(https://kaika.jp/)という団体を立ち上げ、
量子力学の考え方を応用した生き方や能力向上方法を説いている方。
というか、もとは学習塾を開いていて、
「どうも成績が良くなる子にはこんな共通点があるぞ」
というものを徐々に言葉に、メソッドにしていったら、
いろいろと応用できるものになった、というほうが正しいでしょうか。

大量に発信をされていまして、
Youtubeチャンネル、メルマガなどもございます。


この開華では「量子力学」をベースとして居ます。
量子力学という言葉は、ノーベル賞で取り上げられていることなどもあり、
今でこそある程度普及したかなと思っていまして、
一度は聞いたことのある単語となっているんじゃないでしょうか。

量子力学の対比言葉は、「古典力学」。
いわゆるニュートン力学のことです。

古典力学は物質=「目に見えるもの」を対象とした力学でして、
これは物質の世界では非常に正しい。これはこれで有用なわけです。
ですが、かといってすべてを説明できるわけではない。

で、それらを解明する糸口は
目に見えないもの=量子の世界にあるんじゃないか、
とその世界の法則を研究しているのが量子力学です。


ヒトの身体を例に取ってみると
目に見えるものからだんだん小さくしていくと・・・


肉体→器官→細胞→分子→原子→原子核→陽子・中性子
→(ここから先が量子)素粒子→ヒモ→ゼロポイントフィールド


となっている中の、
素粒子以降の話が量子力学なわけです。
(超ひも理論とかもこの領域)

 

ちょっとセミナー資料から図を拝借・・・

 



そしてここからが面白い。

最初はモノ(物質)を対象としていたんです。
それをどんどん小さくしていった。
分子→原子とどんどん物質を特定していったわけです。
すると素粒子ぐらいから、物質ではなくなるわけです。

素粒子は、「粒子の素」と書くぐらいですから、
粒子=物質の素なんですが、どうも質量を持たないものがある。
光子(フォトン)なんかは光=波長(周波数)だったりする。

その波を作っているのはヒモというきっけであり、
ヒモというきっかけを作るのはゼロポイントフィールドという


 何も無いけど、情報はある”場”


というところまで(理論上は)行き着いているのが量子力学、
だそうです。
ちなみにゼロポイントフィールドは、何かの拍子にフッとヒモといううねりを作る。

それが物質になっていくというところまで理論上はできてきているようです。


この考え方を応用とい言いますか、転用して、
「何もないところから、何かが生まれる」という意識を解明していきます。
ヒトがなにかを考える時には、意識は何もない場にうねりを作り、

それがフォトンやらの素粒子を作るそうです。
だから素粒子は「人間の意識」によって生成されるモノだそうです。
(モノと読んで良いのか微妙だけど)

これらはコペンハーゲン解釈にて定説となっていましてね、
それだからこそ今の製薬会社は実験プロセスでは、
人間の意識(意図)が入らないように設計されております。
要するに、実験者が意図してしまうと、意図が欲する結果となってしまう。
意識が反映されてしまうので、それができないように実験の目的や、
何を実験しているか等の情報を遮断しているということです。


また意識=考えたことによって生成される素粒子は、
波長でもあるので、周波数を持っている。
周波数ということは共鳴性があり、同じ波長のものと重なり合ってしまう。
他の波長とはまったく重なり合わない。
これが同調性。

そして、量子というのは実は存在確率の問題であって、
同時に量子がぶんぶん飛びまわっている中で、

最も存在しやすい確率のところで物質化しているだけ、

という波動関数の考え方(シュレーディンガーの猫)。
量子がいろいろな物質になりうる確率を持っていて、
でも量子にヒモから与えられている周波数によって物質化が決まっているなら、
これこそ「思考は現実化する」じゃないかとも思うわけです。

・・・というわけで、こんなの1日話をしても足りない-!
となってきてしまいましたが、
これらを著者の見た目どおり、スッキリとまとめてくれていて
短時間で理解できるようになっているのが、この一冊でございます。

今まで「なんとなく」で理由を説明できなかったような
「良きこと」(あいさつをする、お礼を言う、前向きに考える)ということさえも

量子力学をもって、なぜ良いのかが腹落ちするので、自分の行動指針や判断軸をも作ってくれます。
嗜みとして、教養としてもオススメの一冊でございます。