スティーヴン・グリーンブラット著『暴君 シェイクスピアの政治学』(岩波新書)を読みました。翻訳はシェイクスピア学者として有名な河合祥一郎さんです。

 

 シェイクスピアの劇には様々な暴君(tyrant)が登場します。最も有名なのは権力を握るために身内も殺した(とされる)リチャード3世ですが、他にもマクベス、コリオレイナス、タイタス・アンドロニカスらがいます。リア王もこれに該当するかもしれませんが、本書でもこれらの作品がメインに論じられています。

 

 シェイクスピアが生きたエリザベス時代も今と比べれば暴君と呼べるような君主がいたわけで、エリザベス女王の父ヘンリー8世なども典型的な暴君と呼べるでしょう。シェイクスピアは同時代の為政者を批判するようなことは決してせず、賢く振る舞ったようで、基本的にエリザベス女王をほめたたえるような作品をのこしているという印象をもっています。

 

 本書は暴君とその周囲の人々、民衆の関係をシェイクスピア劇を手掛かりに論じたものですが、それを当然現代の(本書の原書の出版は2018年)政治にも照射して考えようという意図をもった本です。

 

 具体的には暴君と党利党略、いんちきポピュリズム、暴君の性格、暴君を支援するもの、暴君を唆すもの、位高き者の狂気(もちろんリア王のことです)、暴君の没落と復活、などの視点で論じています。

 

 シェイクスピアは史劇、悲劇、ロマンス劇(『あらし』のプロスペローも考えてみれば暴君)などの作品で暴君を描いてきたわけで、そのことに改めて気づかされました。