山田五郎著『アルケミスト双書 闇の西洋絵画史(7) 美童』を読みました。行きつけの図書館でこのシリーズを時々借りて読んでいます。

 

 今回のテーマは「美童」。日本でもそうですが、西洋でも美童を愛でる文化がありました。キリスト教以前のギリシア文化は少年愛を抜きにしては考えられないほどです。キリスト教以降でも様々な形で美しい少年を美術に描きこむことが行われてきました。

 

 1章はギリシア神話の美童。主神ゼウスは美少年でも美少女でも手あたり次第という感じですが、ゼウスが鷲に変身して美少年をさらうシーンを描いたコレッジョの『ガニュメデスの誘拐』などを紹介しています。美少年の代名詞、ナルキッソスについては、カラバッジョの『ナルキッソス』その他を紹介しています。クピドは愛の神として知られていますが、本書に収録された作品を観ると、誘うような、少々淫靡な感じがします。

 

 2章は聖書の美童です。ギリシアの表現のような露骨さはありませんが、レオナルド・ダ・ヴィンチの『洗礼者ヨハネ』を観ると、ダ・ヴィンチ自身が同性愛者だったと想像させるに十分です。『最後の晩餐』のヨハネは美青年すぎて、女性ではないかと疑われるほどです。そして、三島由紀夫が愛したことで有名なグイド・レーニの『聖セバスチャンの殉教』はマゾヒズムの絵だと思います。

 

 後半では画家の自画像が取り上げられています。ルーベンスも自画像を多く描いたようですが、その弟子のヴァン・ダイクはそれを凌ぐ量の自画像を描いたようです。自分をイケメンに描いており、ナルシスト的性質がうかがえます。ラファエル前派のロセッティの自画像もイケメン(実際モテたと聞いたことがあります)です。自画像を描く心理はよく理解できないのですが、現代人も自分の写真をSNSにアップする人は多いので、それほどナルシスティックな行為でもないのかもしれません。