今日は12月28日。
TVなど、どこもかしこも「今年はどんな年だった?」、「来年はどんな年にしたいか?」番組が花盛り。

変っていないなー。
40、50年前、日本の経営幹部は、特に金融機関に向けられた言葉であるが、人畜無害、無能、サイレントデレゲーション、意思を持っていない、、、、、、。

そんな事は無い。
氏素性が尊くて、名門の出身で、心のバランスが取れていて、、、少なくとも大学時代までは、、、。

今日の民放TVを見て、無責任で、表面的に見ることが出来る、ほんの一つか二つの事例をもって、いかにもそれで全てであるかのように前提を決め付けて、持論を展開していく評論家魂、日本の義務教育の教師魂を遺憾なく発揮しているようにしか、私には見えない。

30年前、自分の意見を披露してみようと、HPを幾つも立ち上げたが、いつの間にか、私の人格をそのまま示すお茶ら毛になり、何時の間にか放ったらかしになり、、、、。
それでも2年前までは、ほんの少しはやる気が残っていた。

2年前、体が水膨れのようになり、丁度、膨張した漫画のような体になり、歩く事も立っている事もできなくなり、家族が呼んだ救急車で病院に運ばれてしまった。
1週間あまりの間に、病院で20kgほども『水』を抜かれてしまった。

そのまま札幌市立病院に転院させられそうになったが、『自分は病気になるはずは無い。この後、劇的に回復するはずだ』という強い信念のもとに入院を拒否、通院に切り替えた。
しかし半年後、歩いたり、立っていたりすることは勿論、呼吸さえもゼイゼイと苦しくなり、仕方なく、緊急入院する羽目になった。

レントゲンを撮ると、何と肺の下半分は写っていない。
肺が体積にして2/3位が『水浸し』になって、まともに呼吸が出来ない状態になっていた。
結果、手の動脈と静脈を繋ぐ『シャント手術』とやらを受け、即、人工透析患者になってしまった。

医師や看護婦が私を励まし続ける入院だった。
が、それにも拘らず『絶望』の底に落ちてしまった時期であった。
それから半年間、5分以上は立っていられない、30m以上は連続して歩けない、歩く時も、踏ん張りが効かず、下り坂では、おとっとっととばかり前のめりに突っ走り、止まっているバスに体当たりしそうになったり、20分以上座っていると、立ち上がれなくなったり、歩く時も左や右にフラフラ、ヨロヨロ、時々バックしたり。

階段も、1階から2階へは途中で休まないと上り下りできない。
そんな状態から、心臓血管手術を受ける羽目になった。
もう、絶望の淵に立っているから、何でも好いやとばかり受けたが、体の太い静脈血管を4本ほど切り取って、詰まりそうに老化している動脈と入れ替える、1日がかりの大手術だった。

お陰で、心臓血管ほどの太い血管が体から4本ほど少なくなってしまった。
最近になって、漸く少し体調が戻りつつある。
まだ、走ったりジャンプしたりは出来ないが、人の流れにはついていけないが、100m位は連続して歩けるようになった。

右にフラフラ、左のヨロヨロ、時々バックは、それほど顕著にはならなくなった。
同時に、精神的にも少しずつ元気を取り戻しつつある。

先日受けた、心臓カテーテル検査で、前回の心臓手術で残っていた、血管の詰まっている箇所の検査を受けると、見事に回復していたらしい。

日本はどうあるべきか?
政府のWEBから公表されている国家予算書をダウンロードしつつある。
まだ、展開して、日本の像を描く作業には入れていないが、準備はしようというところまで、うぬぼれ心は回復しつつある。

来年は、HPを再開できるところまでいけるだろうか。
その前に日本は沈没してしまうのだろうか。

日本のマスコミ、TV番組、政治家連中を見ていると、沈没して当然と思えるが、しかし経験から言えば、日本の平均的サラリーマンの水準は、かなり高い、尊敬すべき水準であるから、評論家連中が誰も予想しなかった姿で復活しているかもしれないが、その時も足を引っ張るのは政治家であり民放のジャーナリズムであり、、、、、であろうか

大言壮語、少なきかな仁
巧言令色、少なきかな仁

その『仁』
それが日本のサラリーマン社会の『いい人」像だった
それを突き抜けて、力、構成力、判断力、スピードを持ったサラリーマンが日本に増えつつあるのではないか、と思っているボク。