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CAFE‐HOME MEMO

コーヒーとデザインと思ったことについて書き留めておくアイデア帳

『頑張って努力した結果でもなく、特別な体験をしたわけでもないが、ふとした何気ない瞬間に幸せを感じることがある。経験してもすぐ忘れてしまいそうな幸せが、繊細な感性を作る一要素』

って話を聞いたことがある。


例えば、ケータイをみていたら電話がきた、偶然ラジオをつけたら好きな曲が流れた、レジでの会計がゾロ目だった、など。



幸せを感じる、って言葉だけじゃ大雑把だけど、つまりは、なんか運がいいんじゃねえか?って気持ちになったり、テンションがあがったり、得した気分になったり、少し嬉しくなったり、そんなところだろう。


落ち込んでる時でも、すごく気分がいいときでも、そんな偶然の嬉しい瞬間に出くわすと、気持ちはプラスに動く。


これって、買った商品に思いがけない機能がついていた、買うときにはよく確認しなかったけどTシャツの裏生地に面白いデザインが施されていた、とか。

つまり軽いサプライズであり、デザインを考えるうえでも、会社で仕事する上でも使えると思う。

ってかどんな仕事でもポジションでも人間関係でも使える。


そして、意図的に偶然のサプライズを感じるように仕掛けることもできるだろう。


おせっかいでもないし、うるさくないし、些細だけど嬉しいこと。

いろいろあるよな。


新しいノートを使うとき。

晴天の天気雨に出くわしたとき。

偶然いいショップを発見したとき。

起きたら鳥の声が聞こえたとき。

次の日に何も予定がなくてゆっくり寝ようと決めたとき。

布団に入ったあとの読書。

コンビニに入ったら好きな雑誌や漫画の最新刊をみつけたとき。

仕事終わりの一服。

いつものスーパーに入ったら安売りをしてたとき。

雨上がりにすごい晴れて水たまりに青空がうつってたとき。

ビールのタブを開ける音。

卵パックの最初の一つを使うとき。

駅のトイレがきれいだったとき。

電車に乗ったら終点が目的地でゆっくり寝れるとき。


うーん、あげたらきりがない。


これは是非カフェで取り入れたいこと。

コーヒーと一緒に出されたシュガーを手に取る瞬間、トイレの鏡を見た瞬間、フードが香る瞬間、カップを触った瞬間。


雨上がりの晴天はトイレの内装で使いたいし、すごく気持ちのいい触感はカップに取り入れたいし、シュガーの袋にはちょっとしたデザインをオリジナルに取り入れたいし、パンの香りコーヒーの香りはできたてのものにしたい。


時間あれば、幸せを感じる些細な瞬間を大雑把にパターン化して、マニュアルとして応用したいな☆

ちょっとした幸せは、誰でも嬉しいはず☆





てつそん」見てきた。


デザイン系の学生の卒業制作を展示したイベントで、場所は横浜☆


いやいや、すごかったね、ホントにタメかよ?って思うくらい。

去年のデザイナーズウィークで、学生展見たけど、てつそんはそれ以上のレベル。デザイナーズウィークでは、インテリアだけだったけど、てつそんはファッションから建築からグラフィック、プロダクトまで多岐にわたる。さすが卒業制作☆


時間がなくてじっくり見ることはできなかったけど、充分刺激をうけました。

直接参考になった作品もあれば、反面教師的に学んだ作品もある。


デザインにはしっただけとか、無理やりこじつけた感のあるデザインってのは宙に浮いてる。日常生活でも環境でも意識でも、ある部分と深く結びついたデザインであると、どっしりとした重みのある印象を受ける。


個人的には、何もないところからポンと生まれたようなデザインよりも、流れの中に自然に現れたようなデザインが好き。深沢さんの、行為に溶けるようなデザインが今はすごく気に入っている。


自然な流れか、無理やり流れに割り込んだこじつけのデザインか、すごく難しい。

作ってる側は、こじつけ感はないんだよなー、多分。

かっこいいとか、おしゃれなだけ、ってのは薄っぺらくて、共感は受けない。


意味があって、深みがあって、流れに収まって、かつ新しいデザインってのが、今は理想。


感性をみがきたいなー。パッと見、変な柄だなー、って思うTシャツも、ハイブランドのタグがついてたりすれば、洗練されてんのかなー、って思う。

完全に否定するのでもなく、完全に認めるのでもなく、中間のスタンスで考えること。

考えれば、そのデザインの正体が自分なりに見つかる。見えてきた正体には正解も不正解もなく、自分の感性で行った判断だと思うので、大切にとっておく。


経験積んで、磨き上げた感性で作ったデザインが認められればプロだし、ダメならダメ。ダメでも趣味なら問題ないが、さらに上を目指そうとしても無理だと思うな。










オブジェを完成させた。

縦15センチ、横16.5センチ、幅5.1センチ。


インパクトのフォントから曲線をなくして作った形。


これをどう使うのかだけど、オブジェだけじゃなく、ブックエンドや、組み合わせて棚にしたり、縦に試験管大の穴を開けて花瓶にしたり・・・。


いずれ他の数字と、アルファベットを作りたい。

数字やアルファベットは、クセがない普遍的なものとしての意味と、誕生日や記念日、名前など限りなく個人的なものとしての意味を持つ。


それだけ幅広く誰でも使えるものだから、応用がきくし、作って失敗もないかなー☆


ナンバーブロック


ナンバーブロック2

モノ(プロダクト)は、それぞれ目的を持って作られている。

しかし、目的以外の用途しか持たないモノは、ほとんどない。


例えば、身の回りをみてみると、アルミのバケツがある。バケツの目的とは水を入れて運ぶため、というのが一般的なものだとする。

しかし、俺の家のバケツは取っ手をなくし、ゴミ箱になっている。

また、底に何箇所か穴を開け、土を詰めれば、観葉植物を植える鉢にもなる。


木のデスクを最近買ったが、これは台にもなるし、もっと言えば、細かく切って今すぐ薪を作ることも可能だ。


あるモノの用途を考えることは、大事なことなんじゃないかな、と思えてきた。


バイクに乗り始めてから、ヘルメットが小物入れになると気付いた。

多分バイクに乗る人ならやってるはず。バイクを降りたら、手袋はヘルメットの中に入る。


しかし、ヘルメットで、ポケットがついていたり、何かを引っ掛けるストラップがついていたりする製品を見たことがない。俺が知らないだけかもしれないし、安全性の規格から不可能なのかもしれない。


ポケットつきヘルメットが存在しないと仮定すると、(優れた製品ではないにしても)そこに新しい製品が誕生する。(すごく短絡的でしょーもない考えだけど。でも、言いたいのはそういうことだ)


あるモノの用途を考えるとしたら、それを活用した上でないと、新しい用途は思いつかない。

経験も大事だ。


細かいところまでみてみると、デザイナーの深沢氏の作品で、傘の柄に窪みがついたものや、ちょうどコーヒーカップの形の円形に窪ませたブックカバー(カバーなのかはよく知らないが)などがある。


これも傘と、本の用途を洗練したものだと思う。

傘はいつのまにかカバンを引っ掛けるためのハンガーになっているし、机の上の単行本は、コースターになっている。


誰のデザインかは知らないが試験管をまとめたインテリア小物がある。俺の部屋にある花瓶は、その試験管だ。

水を入れて、小さい竹をさしている。


経験から、そのモノの目的とはかけ離れた、自分だけの活用法で利用しているモノは、誰にでもあるはず。



また、小説に使われる比喩も、すごくアーティスティックなものがある。

有名な作家では、石田衣良、村上春樹の作品に、印象的な比喩が登場する。


用途とはまた違うが、ある風景が、全く関係のない言葉で表現されている。しかし、ただ「青い空」と表現されるよりも、よっぽどイメージしやすい。


用途も比喩も出発点は同じだと思う。

モノや風景を、多角的にみるというか、創造するというか。

いずれにしても、クリエイティブで斬新な製品を生み出すのには欠かせないと思う。


いずれにしても経験だな。経験の大切さが見に染みる☆経験のための行動には時間がかかるけど(笑)







今日は何の変哲もない日というか、少々金を使いすぎた日でした。

でも、今日はまったんだよな、ギアが


昼に起きて、オブジェとブックエンドと、棚の要素を持つインテリアってないかなー、しゃーねえ作るか、って思い立ち、ハンズの木工場で板切りを頼んだら、10000円。。

そのノリで、テーブルを無印で買って、6000円。

じゃヘルメットも新しく・・だけど、安いの売り切れで断念。

ストップかかってよかったぜー・・・


でその後、横浜の本屋で、社会人のマナーとか業界の仕組みとか、その辺いろいろと調べてた。


そん時に、ギアがはまった感覚があった。

4月から社会人という、俺にとっては劇的な変化に対応した、新しいギアにチェンジした感じ。

「社会人」という現実(リアル)へ近づいてってる。昨日までは、社会人なんてまだまだ遠い事実で、なんというか、「まだいっか」的な感覚だった。


今の時期はすごい微妙で、分厚く着込んでいた学生というステータスを、少しづつ引っ剥がして、4月には、社会人というステータスを身につけてなきゃならない。

今は素っ裸の状態。ようやく、社会人になるための衣替えの準備ができたって感じ。


この、ギアがはまった感覚を初めて感じたのが、高校3年と大学一年になる間。4年前のちょうどこの時期。

見知らぬ土地での一人暮らし、友達なんていねえ。

新生活のワクワク感と、地元を離れる寂しさがあって、寂しさのほうがでかかった。

でも、あるときにギアがはまり、新生活への心構えっていうか、吹っ切れた感というか、リアリティがリアルに限りなく近づいた。けじめがついた


今もそんな感じ。

ぼやけて、どっか遠くにいた、「社会人になること」がいよいよ現実味を帯びてきた。





「はまる」感覚は絵を描いたり、デザインしてるときにも感じられる。

その「はまる」は、ギアが入るのとは違う。デジャブとかとも違う。

しかるべき穴にすっぽり収まったというか、そんな感じ。


この感覚は非常に重要だと思う。


すごい人のアートやデザインに触れた時、言葉じゃ表現できないけど、何かしらの感覚が芽生える。

どんな人の作品をみても、その感覚が生まれるわけではない。

無意識に選択してるもので、自分の目指すもの、理想とかとマッチしたときに起こるんじゃないかと思ってる。他人とは同じにならないから、自分だけの感覚だ。


そのよくわからない感覚が、絵を描いてるときとかに起こる。

したら、すごい早いスピードで仕上がるし、自分的にいいものができる。

雰囲気とかオーラとか、よくわからないものを、自分のアイデアに感じるときがある。


他人からみたら、しけた絵だし、なんの評価もされないかもしれないけど、この感覚をもっと頻繁に作り出し、より鮮明に作ったものに取り入れていけたら、自分にしか作れない作品が出来上がると思う。


自分も納得のいく、自分の感覚にはまった作品は、真似できないもんだ。

いろんな人の作品をみて、感覚の幅を増やせば、その幅の分、「はまった」作品が生まれる。


文章力がないから、よく理解できないことばっか書いてるけど、文を書くときに使った表現に、「はまる」感覚を覚えたり、ジャケットとTシャツとパンツを合わせたときに覚えるときもある。


過去に、いいな、って思ったことと、感覚の面で一致したんだよな、多分。

無意識の感覚だから、本気で「いい」と思ったことが現れてくる。

過去に感じた、「本気のいい」が頭ん中でフュージョンして、あるときに「はまる」感覚として出てくるんじゃないかな。


「はまる」感覚はいろんな場面で起こる。絶対に自分への嘘はない、一番純粋で正直な感覚だと思う。もっともっと洗練させて、レベルアップしてきてえな☆




感じたこと」は、言葉で具体化できないと思う。「感じたこと」は、「記憶」置き換えてもいい。


言葉にすることで、「感じたこと(記憶)」は、第3者にも伝わるように一般化させる性格と、未来の自分に、現在感じたことを思い出させる性格が付与されるが、絶対に「あるときに自分が感じたこと」とは一致しない。第3者にとっても、自分にとっても。

ずれる感覚、違和感を持つ。


言葉を具体化すればするほど、違和感は大きくなる。

結局、感動的だった、すごかった、辛かった、悲しかったと抽象的な言葉が一番しっくりくる。


言葉は、どれだけ多くの単語で表現しても、記憶を具体化することはできない。


しかし、具体化できない性格だからこそ、ある普遍的言葉から引き起こされる記憶は、個人的な部分に収束する。

つまり、「感じたこと」に対しては、言葉は広義的なもの、大衆的なものといえる。


例えば、「夜、海でみた星」、と聞いて思い浮かべる景色はある。

実際自分が海にいった経験でも、映画でみた景色でも、何かしらは浮かぶ。

それは、限りなく個人的なもので、自分が思い浮かべた景色と、他人の情景とは一致しない。

知多半島師崎岬、午後10時23分北北西にみえる、五等星、と聞いても何も浮かばない。

もちろん、夜更けに知多半島でみた星、とある程度の具体化までは問題ないが、更に具体化をすすめることで、記憶はぼやけてしまう。そこで違和感が生まれる。


言葉は、具体化、つまり個人化すればするほど、違和感は大きくなるが、抽象化することである特定の記憶を引き出すことができる。




狭義的なもの、個人的なものは、直に感覚を引き起こすもの、つまり、写真や、絵や、音楽などだ。

言葉のように、頭で一度意味を考えるプロセスを通らず、五感に直接訴えかけ、記憶に直結するものだ。


旅行した記録を、どれだけ精密に書き表したとしても、一枚の写真には及ばない。

一枚の写真からの情報は、頭の中のあらゆる記憶を鮮明に呼び覚ます。

言葉とは逆に、具体化すればするほど、つまり、多くの写真を取り出せば取り出すほど、そのときの記憶、感覚に近づいていく。

逆に、ピントがずれた、よくわからない抽象的な写真であるほど、特定の記憶とはかけはなれていく。

もちろん、例えば「海」、と認識できる程度のピントのずれなら問題ないが、ただ青いだけでは、すぐに海に結びつくことはない。


写真などは、言葉とは逆のプロセスを通る。



しかし、言葉でも写真でも、最終的に行き着く先、呼び起こされるものは、自身の経験、過去の蓄積である。

言葉という広義的な媒体でも、写真や絵などの狭義的な媒体でも、それによって引き起こされる感覚、記憶が、個性じゃないかと思う。


個性的な人、とかの意味で用いられる個性とは、また別物だ。



個性は生きた経験であり、その人自身。否定することはできないし、改竄することなんて不可能だ。

個性が多様で特殊ものであるほど、その人にしか実現できない芸術が生まれたりする。

個性がその人を形づくっている。


うーん、なんかわけのわからないことを書いてしまった。。
















いつも手こずっているものに、ビジュアライズがある。


例えば、いい映像やアイデアが浮かんだとき、実際紙に書いてみると、頭の中のもんとはどっか違う。

なんか違和感があり、違ったものが出来上がる。


で、なんでこうなるんだ?って考えて、具体的なビジュアライズができてないから、だと気づく。

頭の中で具体的に組み立て、しっかり軸や筋の通ったものなら、紙におこすことも簡単。


・・・そう思ってたけど、やっぱりどっか違う。

そもそも、具体的にビジュアライズをするってのはすごく難しい。経験と知識が大いに必要。

加えて、頭のイメージを実物化する力も必要。

この二つがないと、どーしょーもない。


ってなわけで、今はいろいろなものを見て、それを描くことをやってます。

で、いろんなデザインアワードに挑戦中です。まだ受賞ありません(笑)


こんなふうに、実際に行動しまくって、ようやくビジュアライズってのや、考え方、アイデアの出し方ってのが自分なりにまとまってきたみたいに思える。

でも、それを表現したり、他人に見える形にする、って作業は難しい。

ってか、「こんなんどうやって作ればいいんだ?」ってのばっかだ。電気を使う製品のつくりかたなんて、しらねえし。。まだまだ修行がたりねえ。。

難しいからすげえ楽しいし、やりがいも感じてる。



そんなことやってて、似てるな、と思ったのが、「口だけじゃなんとでも言える」「本を読んだだけで、勉強した気になる」ってこと。

俺も経験大有りなんだが(ってか今でもそうだが)、何にもためになる具体的な行動なんかしてないのに、経験がついた気になってる。


本を読めば知識はたまるが、実際に行動するとなると、そんな知識はクソの役にも立たないことがある。

仕事でも趣味でもそう。

有名デザイナーの本をたくさん読んで、デザインにたくさん触れて、知識がある人が、「デザイナーになれる」とはならない。

野球の本読んで野球ができるようにならないし、株の本読んで、大もうけできるわけがない。

当たり前のことだけど。

知識なんて、経験と比べりゃ屁みたいなもんだ、って知ってる。

就活やバイトや、その他もろもろで、みんな経験してることなのにな。

でも、知識だけで、勉強しちゃった気になるんだよな。


「勉強しちゃった気」は、満足で、足を感じるとそれ以上行動しない。本読んでおしまいってわけだ。

これは人間の心理的なもんだ。



俺って、特にカフェ作るとかいって、何も行動してないなーって思う。

カフェ経営の本読んだり、いろんなカフェ回ったり、友達と語り合ってるだけで、具体的なことはやってない。。しいて言えば、スタバのバイトくらいかなー。コーヒーについては知識も経験も一般人よりはあがったけど、経営に関しては何もない。



口じゃなんでも言えるし、本ばっか読んでても、しょうがないんだよな。。

それに本に書いてあることなんて、他人の考えじゃん。

それをまるで自分の知識のように、完全に正しいことのように思っちゃう。

本なんて、いいかげんだし、正しいことをいつも言ってるわけないのにな。

本に書いてあることを「正しい知識」として鵜呑みにしてるやつに、本当の知識はついてない。

読むってのは受身だし、そもそも内容自体正しくないかもしれないし。


俺が語ってることは誰もが反論しても、えらい大学教授が語ってることには素直にうなずく。

同じことを言ってたとしても。


そんなもんだ。えらい人、すごい人が言うことには、人を信じさせる力がある。


本に書かれてる内容にすべて突っ込みを入れながら読めば、本当の知識が身につくんじゃないかな?




一番効率よく、知識も経験もつくのは、やっぱ自分で実際に行動するってことだな。

カフェか。。今やれることで、いったい何をどう行動すりゃいいのか、まったく思い浮かばないわ(笑)


実際に自分で行動すること、実践すること、経験すること。

本を鵜呑みにしないで、突っ込みながら、その人はこんな考え方をするって視点で読むこと。

いつも満足しないこと。

うっし、がんばるぞー☆






「99.9%は仮説」

って本を読んだ。ってか、小田原から三河安城まで、新幹線に乗ってる間に読み終わってしまったが・・

新書ってすぐ読めるよなー。。


とにかく、その本には、科学で証明され、信じられていることには、定説はない、ということだ。

ほぼすべて仮説で成り立っている。タイトルが「99.9%」ってのは、すべて仮説であることを証明することができないからだろう。

なかなか面白い本だが、話のスケールがでかすぎる。


例を引用すれば、飛行機が飛ぶ理由は分かっていない。もちろん、まったく分からないわけじゃない。

いろいろと研究がなされているが、「結局は」どうなの?と聞かれると、本質は未解明。


温暖化もそう。CO2が原因で温室効果、とは周知の事実のようだが、温暖化が原因でCO2が増加した、という意見もある。実際は解明されてない。


マイナスイオンは酷い。体にいいとか、リラックスとか、何の根拠もない。そもそも、マイナスイオンが何なのか、それが不明。

日本以外で、マイナスイオンが持て囃されることはない。

科学者の間じゃ笑い話だそうだ。マスコミの力かな。存在しない可能性がある物質で、大きな経済効果をあげるのは、すごいとしか言いようが無い。


万能とされている科学が、ここまで穴だらけ。ってことで、先入観、思い込み、常識等をぶち壊し、頭をやわらかくするってのが、この本の狙いらしい。

すべて疑ってかかれ、ってことだな。


でもいちいち疑って物事に触れてたら、先に気が触れる。

この本に書いてあることは、スケールがでかすぎる。疑わなくていいものまで、無駄に疑ってしまう。


本の内容を鵜呑みにして、「すべて解明されてなく、不完全な世界に生きてるんだー」って何も信じず生きたら、外に出られない。

当然飛行機なんて乗れない。何で飛ぶかわかんないもんに乗ってられん。

車や電車だって無理。慣性の法則から自分だけが外れる可能性も、否定はできん。

目の前でしゃべってる人が、かもしれない。否定はできん。


映画「マトリックス」や、漫画の世界にもなる。この本を読んで、漫画家が何人か誕生しそうだ。

今いる現実はすべて夢だった、俺の想像上の世界だ。っていっても反論はできん。

物体を分解し、分子になり、原子になり、電子と原子核になる。

それは、原子核のまわりを電子がまわってるさまは、太陽の周りを動く地球にみたてられる。

もしかしたら、太陽系とは、遥か大きい物質の、電子と原子核かもしれない。


教育界にも飛び火してる。

インテリジェント・デザイン説なんかその顕著な例だ。

対立する(とされている)進化論は進化の過程を話してるわけで、生物の起源には触れてない。だから宗教的にもオッケーなんだが。

インテリジェント・デザイン説は賛否両論で、特に宗教家には、神以外に創造主はいない、ってことだが、しけた科学者がテキト-な実験の最中に偶然宇宙を作ってしまった、ということもありうる。

したらそいつは創造主。極論つーか、なめてんのか、そんな議論もなされているらしい。


最終的にこの世のすべてを疑うようになる。

100人の前にひとつの石がある。誰が見ても触っても、それは石だ。

だけど、石が実際に目の前に存在するということを証明することは不可能

時間の概念も怪しい。人間すべて平等に時間が流れていると証明できない。


きりがないよな。


そんなんどーでもいいよ、実際。

今目の前に存在してんだから、それでいいじゃん。誰もそう思う。

それが「実在論」ってのだ。アインシュタインとかを除いて、ほとんどの人間は「実在論」で生きている。


実在論で結構じゃない?常識をぶちこわせ、っても飛行機が飛ぶことまで疑わなくてもいい。

それに常識を壊さなくていい。

常識や先入観を自覚すること、気づくことが重要じゃねえかな。


天才は、常識に気づき、行動を起こす人、って聞いたことがある。

例えばニュートン。ニュートンが生まれるまでの長い間、いったいいくつ林檎が落ちたのか。誰も気づかなかったというか、気づいても何もしなかったわけだ。当たり前すぎることを見つけて、どうするか。知能と行動力をもってりゃ天才だね。


世間の常識や先入観、思い込みに気づくことは意外と簡単だと思う。

ニュートンみたいなのは不可能だが、取引会社のおかしな部分、会社の変な常識。新入社員ならいくらでも見つかるはず。

気づいてどうするか、そのアイデアをひねり出す力は、会社入ってすげえ必要なことだと思う。


趣味でもそうだ。デザインだったら、なぜそのデザインか。

音楽好きなら、なんで楽譜はこんな規則で音符を並べるのか、それが最高のやり方なのか。


常識や先入観に突っ込みを入れるのは、仕事や趣味とかの狭い範囲ならいくらでもできそうだ。

99.9%は仮説」は、なかなかでかいステージで話が進んでるが、「モノの疑いかた」が身につくいい本だと思う☆

もうじきMacデビューします。


さんざん悩んだ結果、imacのインテル仕様、最新のデスクトップをしばきます。


ウィンのデスクトップを今持ってるけど、グラフィック再現性のよさ、デザイン制作全般においての使いやすさでマック。

更に、持ち運びはしねえだろ、画面のでかさが絶対重要だろ、ってことでデスクトップ。


PC約16万、アドビのソフトが学割で約7万5000。しめて23万はふっとぶ計算だ。

もしポイントが学割商品にも使えるんならアドビは安く変えるけど☆

ヨドバシ、頼むぜー。


趣味のゴルフに、きちがいみたいに金かけまくるおっさんに似てるなー。。


いやでも、金かけて、気が済むまで好きなことに没頭するってサイコー☆

純粋に楽しいじゃん♪


親の話だと、1歳のときに救急車の絵を描いたらしい。

絵に対するモチベーションは21年続いてる。まあ上手い下手は別にして・・・


モチベーションを保ちつつ、一生付き合っていけるのは、絵を描くことだと思ってる。


他の趣味や、仕事ももちろん本気を出せると思うけど、絵ほどのモチベーションはない。

やらされてる感があるというか、ぼろぼろに負けてもそんなに悔しくないというか。


絵を描けない身体になったとしたら、生きる楽しみがぐっと減る。

それくらい、重要で深く根付いてることだ。


以上、大金をかけることへの言い訳でした☆













新しいアドレスでミクシー始めました。古いのはデリート☆


なんでかって?

これがまた恥ずかしい話で。


このブログ、3年で会社辞めるとか、入社前のくせになかなか危ういことが多々、書いてあります。

こんなん同期にしられちゃたまんねえ。

人事とも仲がいいので、それがばれたらとんでもないです。


そんなことをうだうだ考えてるうちに、ミクシーは結構長い間やってるし、ブログもたまってきました。


同期に「ミクシーやってんの?」と聞かれることが多く、

「いや、やってねえ」と答え、

そのノリでバイト先でも「やってねえ」と。


そんなやりとりをしている間に、またまたミクシー歴もブログ歴も長くなりました。



いや、別に「実はミクシーもブログもやってんだよね」と言えばいいんですが、

言えないのが小心者です。また、今更あれこれ言うのも面倒で。

無駄な自意識過剰というか、くだらないというか・・・。


ちっちぇー人間!!

僕の気持ちが少しでもわかる方、察してやってください。。

ちょっとした嘘とかごまかしとかって、精神衛生上よくない。

やっぱり正直が一番ですが、このブログはまだ知られたくないな・・・。

と、いうわけで(どういうわけだか)、数少ないマイミクシーの方にはまた登録メールを送ります!