大変お久しぶりですさぬきの国のBENです。
うっかりしていると、あの有名なBIGBENの周りをまわったロンドンオリンピックも終え
日本国でプロ野球も終盤。間もなく菊花賞すっかり秋です。
この前のブログは桜もまだの春先、そのブログに書いた前を向くカレンダーの数字は3から10へ
今日の言葉は、「がんばらなくていい。ちょっとだけ ふんばろう。」気仙沼市の34歳の公務員の男性の言葉です。
震災当時一番大変だった地元の役所の青年、周りの人たちを励ましつつ、自分を鼓舞した言葉です。
今年一年このカレンダーに何度励まされた事か。
私の場合はもう少しブログ頑張らないと、恥ずかしいかもしれませんね。東北の皆の為にも。
というわけで、気を取り直して「さぬきBEN情報」再起動です。
表題の言葉、見てすぐにホーイノホイと言えた人は、相当のお歳です。
という私もその一人ですが、今は昔、昭和初期の流行歌です。
おとといの夕方高松の街中では曇り空が一瞬にして真赤に
雲の切れ間から現れた夕焼け空を、雨雲が反射して町を真赤に染めました。
その直後に、雲が夕焼けを閉ざすと、今にも大粒の雨の降りそうな曇天
これは何かの異変かと心配していた私に、少し先輩の知人が、「これは明日は晴れじゃのう」
とノー天気。
でも先人の知恵、見事翌日は何事もなくピーカンの晴天、お見事でした。
昔と言えば、高松の昭和の文化「華陽会」と言っても、今の若い人たちには「歌謡界」と勘違いされそうですが、昭和の後半、高松の百閒町を中心に賑わした地元芸者衆の集まりの事で、その踊りを久しぶりに見ました。
現在は人数も片手ほどで、京都の舞妓と違い年齢層も高いのですが、何とか半自前で文化を維持していました。
同行した30代の青年は、カルチャーショックを受けておりましたが。
昭和30年代のG街区付近
ところでこの芸者衆その全盛期の昭和30年代には、最近週末になると聞こえる祭囃子に合わせて
高松の秋祭りには、今をときめくA街区からG街区の丸亀町商店街をはじめとして、各商店街が出す
二層の山車の上で、下層で奏でるお三味線にに合わせて舞を披露して、商店街を回り
最後には高松の氏神様 石清水八幡宮に舞を奉納しておりました。
昭和40年代まであった旧三越よりA街区を望む。
A街区ドーム付近より三越を望む
どちらも、三越創業当時の昭和初期の写真
今、再興を目指す中央商店街が華やかだった時代の事です。
その話を聞いてわかるのは、50代後半からの人たちで、当時その年代の旦那衆が、奉納舞を終えた
芸者衆を鳴り物と一緒に、自宅の座敷へ招き入れ、慰労舞をさせたものでした。
昭和50年代の旦那さんと芸姑さん
旦那さんは私の父、芸姑さんは残念ながら私の母ではなくて、当時新人の芸姑さんだった晃代さん
父は自分の名前(晃)をとった彼女を大事にしていましたが、現在ベテランになった晃代さんが、少なくなった華陽会の窓口となって支えています。
盆踊りの元歌詞にあった、この街とってもツンチツンテツンだった時代です。
その丸亀町も毎週末はドームで、コンサートを行うなど、平成のツンチツンテツンと戻りつつあるようで
ぜひ頑張ってもらいたいものです。
獅子舞の鉦とともに秋が深まっていくなか思い出した、昭和の夕暮れでした。




