これは、12歳から26歳までの過去13年間の
私のお話しです鉛筆


“13年間の長くグレーな時間”と
称しまして、幼少期から、学生時代、
社会人までのお話をしますキラキラ


現在の私がどのようにして生まれたのか?


しばしお付き合いいただけたら幸せますニコニコ


ドキドキ13年間の長くグレーな時間
①幼少期~少女期時代】(キラキラ期)






山口県徳山市(現周南市)に
3人兄弟の真ん中の長女として生まれました赤ちゃん


2つ上の兄と1つ下の弟。
年齢も近いこともあって、遊ぶときは
いつも一緒男の子女の子


そして、我が家では「お兄ちゃん、お姉ちゃん」と呼び会うことがなく
いつも、愛称で呼びあっていました。


「お姉ちゃんだから、〇〇しなさい、〇〇でしょ。」など、言われたことがなく。


母いわく
年齢もそんなに離れていないので、お兄ちゃん、お姉ちゃんと呼ばなくてもいい。
というわけで、3兄弟、
区別なく平等に育ってきました。


さて、

幼少期で強烈に覚えてるエピソードを
1つご紹介


それは、小学1年の時、突然

家のテレビが壊れたーー📺️

今でも鮮明に覚えている

その、壊れたテレビを、
母と一緒にゴミ捨て場に捨てに行った記憶
赤い色の“ガチャガチャテレビ”
それ以後ラジオ生活📻️
当時、光GENJIの“ガラスの十代”が流れていた~ルンルン

昭和ですねねー(笑)


それ以後、我が家ではテレビのない日常
(※当時我が家はテレビを買うお金がなかったのではなく、別にテレビなくてもいいよね。という両親のスタンス)


そんな状況から、いつも外で遊んでいた恐竜くんコスモス


当時はほんと活発で、
ローラースケート、ホッピング、一輪車、バドミントンにフラフープ、縄跳び、と網羅していきました。


そして小学校当時🏫🎒
我が校区は、な・なんと!
動物園無料で入園できたのです照れ
(↑現徳山動物園🐼)


学校の校章さえ見せれば
自由に出入りできたのです爆笑
しょっちゅう、ふれあいコーナーのヤギ達と戯れていました(笑)

子供にとっては、何不自由ない恵まれた環境でしたふたご座


今振り返っても、私にとってこの時期は
人生において、キラキラと輝いた、何事にも代えがたい、『幸せに満ちた時代』でした照れ音符キラキラ


さて、この幸せに満ちた時代から
その後、いかに展開していくのかは、

続きはまた次回・・・星


最後まで拝読ありがとうございましたドキドキ