公園で、息子と手を繋いで散歩したり、買い物に行って充実した時間でした![]()
よく話をしてくれる息子にも少しずつ変化が…。はじめは「あー、うー」などの1音を伸ばすことが多かったですが、最近は「パパ」や「ママ」をよく口に出したり、親が言ったことを真似て発音したりします。(「あけてー」、「あーん」など)
そして、イントネーションにも変化が出てきました!「パパ」と呼ぶだけではなく、「パパ〜ン
」や「パッパ!
」、「パパァァァァァア
」と日々、バリエーションが増えています笑
息子に名前を呼ばれるだけで、「愛されているな〜」と感じています。本当に大切な宝物です!(完全に親バカですね
)
さて、聖書にはある意味、親バカだと思える話がいくつもあります。
その代表例が、放蕩息子という話です。これはイエス様が例え話で、話されたことです。(詳しく知りたい方はGoogle検索してくださいね)
ここでは、抜粋して話します!
ある父親には二人の息子がいました。弟息子は財産の分け前を先にもらい、遠い国でそれを浪費して好き勝手な生活を送りました。やがて財産を使い果たし、飢えをしのぐ生活を余儀なくされます。その中で、自分の罪を悔い改め、父のもとへ帰る決心をします。
帰宅すると、父親は彼を遠くから見つけて走り寄り、温かく迎えます。そして、最高の服を着せ、指輪をはめ、宴会を開いて喜びます。
一方、兄息子は不満を抱き、自分はずっと忠実に仕えてきたのに、何の祝いもされなかったと父に訴えます。父親は、「お前はいつも私と一緒にいる。だが、お前の弟は死んでいたのに生き返り、失われていたのに見つかったのだ」と諭します。
ここに出てくる父親は、神様を表しており、神様の無条件の愛を、例えています。
私はこの話を知った時に、何度、牧師(聖書の話や学びを教えてくださる専門家)から聞いても納得できませんでしたし、この話を聞くたびに「えこひいきじゃないか!」と思っていました。![]()
そう考えるのは当たり前なんですね。
根本的に人の愛と神様の愛には大きな違いがあることをご存知でしょうか。
この話が書かれている聖書(新訳)の、元々の言語はギリシャ語なんですが、日本語で言うところの「愛」という部分に対して、いくつかのギリシャ語が使われているんですね。
この中で代表的なものとして、
エロスは、人の愛のことを表し、
アガペは、神の愛を表しています。
(フィリア、ストルゲは、文脈によって人のことも神様のことも指し示すことがありますので、今回は詳しくは書きません)
(今から書くことは、決してそのことが悪いという意味合いではなく、特徴や特性があるという話です)
学生時代、異性や同性の友人と恋バナをするのが、好きでした!
好きなった理由を尋ねると、「〇〇が優しくしてくれて〜」や「相手から好きだって言われて、意識し始めちゃった〜」など色々な理由を聞くことができます!(青春を思い出します
)
時間が経つと、「やっぱり、思ってたのと違って、お別れしたの」や「相手のことを知ってより好きになった!」など、恋愛や友人との関係、もしかしたら家族との関係でも似たような話を聞いたことがあるかもしれません。(失恋した友人は、「あの人がいないともう生きていけない」と表現する人もいました)
つまり人の愛は、条件付きの愛
ということです。
条件だけではなく、感情に左右されたり、自分の気持ちによって(自己中心的に)変化してしまう、また限りがある(相手がいなくなると無くなってしまう)という性質があります。
このようなものに、疲れてしまったというケースも、よく耳にしますね。
神の愛はどんな愛なのかというと
無条件の愛であり、
どんな時でも変わることがない愛であり、
永遠に無くならない愛なんです!
全てのことにおいて完璧な愛なんです!
先ほどの放蕩息子の兄は、今まで父親(神様)に仕えてきたのに、どうして自分もされてきたことのないお祝いをするのか(祝福してしまうのか)と怒ってしまいます。この時の兄の発言は、人の愛を基準として出た発言だと言われています。
神の愛を初めて聞くと、壮大すぎてよくわかんないと思われる方もいると思います笑
でも、一度知って、体験すると本当に神様の愛は、人の愛とは全く別物なんだと感じることがあります。
昨年の話なんですが、学生時代から両親から言われ続けた運転免許を取りに行きました。
私には、大きなコンプレックスがいくつかありますが、
その一つに学歴、特に勉強が苦手だ
というコンプレックスがあったんです…![]()
そのため、試験や勉強というものを避けて、学生時代を乗り越えて行きました![]()
それでも必死に授業を受けて、テスト対策にも時間を使っていきました。しかし、自分で仮テストを行うと、どうしても合格点に届かずで、とても焦っていたことを覚えています。
(特に、免許のコースが早く取るコースだったため、スケジュールもみっちり入っていました。)
もちろん、私は神様のことを知っていたので、「神様、どうか助けてください。」とお祈りもしていました。
しかし、現実的には、点数は足りない、時間も足りないで、本当に焦り、落ち込んでいました![]()
試験当日、車校までのシャトルバスに乗り、過去問を解いていると、ふと「今、祈りなさい!」と思いのうちに語られた気がしたので、一言だけでもと思い、過去問を解く手を止め、祈り始めました。
「神様、すぐに頼らなかったことを悔い改めます。
不安でいっぱいなこと、自分の学力では至らないことも感謝します。」
聖書には、良いことも悪いことも全て神に感謝し、
神様が全てを益に変えてくださるということが書かれています。
「すべてのことについて感謝しなさい。これは、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに望んでおられることです。」
1テサロニケ5:18(新約聖書)
「神を愛する者たち、すなわちそのご計画に従って召された者たちのためには、すべてのことが協力して益となることを私たちは知っています。」
ローマ8:28(新改訳)
(そのため、祈りの中に感謝しますという言葉が入っています。)
10分ほど、祈っていると車校に到着し、
また不安な気持ちが押し寄せてきました笑
「やっぱり、ギリギリまで過去問を解いておくべきだったかなー。」や「今まで、自分の力でやろうとしていたのに、今更、祈ったところで虫が良すぎるよな」と思っていた時でした。
ふと、同乗していた女性のスウェット(背面)に書かれていたデザインに目を奪われました。
そこには大きな文字でこう書かれていたのです。
Jesus loves you
見た瞬間に驚きましたよ!目玉が飛び出そうなくらい!本当に!![]()
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それと同時にね、「あーーーー!さっきの祈りは絶対に聞いてくださってる!」と思いましたね。
だって、「神様はあなたを愛しておられる」ってパーフェクトな祈りの答えです!
愛されているから大丈夫だ!仮に落ちても、愛されているから、どうにかなる!と気持ちを切り替えて試験に望むことができました!![]()
結果は、一発合格でした![]()
しかも、実技、学科ともに全部一度も落ちなかったんです!!!!
ストレートで卒業してしまいました![]()
この時に、私は神様の愛を深く体験することができました。
このことを色んな人に話していく中で、「あれ?!もしかして、この体験って、放蕩息子に似ていないか?!」と思わされるようになりました。
放蕩息子は、自分の中で1番いいと思ったことを行い、その結果、酷い目に会いました。
父親(神様)のもとから、離れてしまったためにです。
しかし、それを悔い改め、もう一度、父親(神様)のもとに戻る。すると1番良いものを与えてくださるのが、神様の愛なんです!
どんな時でも、永遠にあなたのことを愛している方がいます。
皆さんも、ぜひ神様のもとに戻ってきてください!
祖父と祖母と手を繋いで歩く息子!
