今日は日曜日!家族で教会に行きました!
教会では、ゴスペル(神様を喜んだり、リスペクトを送ったり、ありがとうを伝える歌)を歌ったり、聖書の話や体験談を聞くことができます。
最近、とても嬉しいことは子ども向けのプログラムがあることです!
フィジー出身で、子どもに関わる仕事をしている方が、英語でダンス付きのゴスペルを子どもたちと楽しんだり、聖書の話を絵本で聞いたり、ダンスタイムもあります!特に、ゴスペルやダンスミュージックは英語の童謡のようなものが多いので、小さい時から英語に慣れ親しみを持てることが嬉しいです!![]()
その中で、今回の絵本の話が、「イエス様のところに来た、子どもたちが祝福される」お話しだったんですね。この話は、聖書の中でも有名なお話の一つなんですが、とても興味深い話でもあるんです。
イエス様がお話をして、周りが聞き入っている時に、祝福のためにお祈りしてもらおうと子どもたちが来ます。弟子たちは、この子どもたちを止めるわけですが、イエス様はこう言われたんですね。
子どもたちをわたしのところに来させなさい。妨げてはなりません。神の国はこのような者たちのものです。まことに、あなたがたに言います。子どものように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできません。』
ルカの福音書18:16-17
興味深いですよね〜!ただ来ただけの子どもに対して、この子ども達こそ神の国を受けるに相応しいって![]()
でもこれが事実であり、真実なんですね。
この時、連れてこられた子どもは、赤ん坊とも記述があるので、本当に親や大人の助けなしでは生きられないような子どもなんですね。
その子どもが親に対して、ミルクやオムツを求めるように、ただ純粋に神様の前に求めるものが祝福されるということを象徴していると言われています。特にイエス様は、その場にいた人々にこうした純粋さと謙遜な心、完全に信頼することをわかりやすく説明しているんですね。
まだ二十代の私ですが、年齢を重ねれば重ねるほど、自分の手や相手の手に持っているもので物事を判断したり、人の基準や価値を決めてしまいます。(能力や知識、地位などなど
)
神様の前には、どんなに優れた能力を持っている人も、博識な人も、お偉いさんも等しく見られています。もっといえば、自分が優れた能力、知識、地位がないと思ってる人もそのような人たちと同じように等しく見られています。(言葉を変えるなら、愛されています)
その中で、1番大切なことは神様に求めて、完全に信頼することなんですね。
私には、10ヶ月になる息子がいますが、本当に可愛いんですね。その理由の一つに色々な欲求を求めてきてくれるわけです。それが嬉しいんですね。
だって信頼していなきゃ、求めてこないですから。
この人なら、大丈夫。
この人なら、叶えてくれる。
この人なら、助けてくれる。
それが伝わるから親も子どもに対して愛着が湧き、深まっていきます。
その一つ一つの欲求を喜んで叶えてあげたいと思うんです。
この思いと同じように、神様も私たち一人一人を愛してくださっています。もっといえば、祝福したいと思っていますし、求められたことを与えたいと思っています。
別の聖書箇所にはなりますが、
「求めなさい、そうすれば与えられます。探しなさい、そうすれば見つかります。門をたたきなさい、そうすれば開かれます。」
マタイの福音書 7章7節(新改訳2017)
ただ求めるだけではなく、赤ん坊のように信頼して、全身全霊で求めていきましょう。
そして、ただ恵みによって神の国を受けましょう!
