冬虫夏草の夢の中。 -7ページ目

冬虫夏草の夢の中。

なんてことはないだらだらな日常。

今、地元では雪が降っています。

寒過ぎです。


しかし、小学校の時は当り前に10cmくらい積っていたのに、今では全く積りません。

綿毛のように地面が透けるほどの雪が積ることが時々ありますが、雪だるまも鎌倉も作れません。

鎌倉は小学校の時でも大変でしたけどね。

頑張って雪兎くらいです。


外に出していた大根は、半分凍っているくらい寒いのに。

その大根を使い、今日は凍み大根を作りました。


大根は甘い匂いですねえ。

風邪予防には大根を蜂蜜でつけシロップを出させて作る大根飴が良いですよ。

喉がいがらっぽいなあ、と思ったらスプーン一杯舐めるといいそうです。

昔作ったことあるけど、今度作ってみようかなあ。



寒いやらなんやらでもう穴熊にでもなりたい思いです。



冬虫夏草の夢の中。

トルマリンを使ってブレスレットを作りました。

ピンク系でグラデーションに。

留め具にはオリーブ色のものが一つついてます。

春らしいかな。

他人の話を聞くことによって自分自身がそれを体験したかのような気持ちになります。

まったくもって自分の体験ではないのに。


虎の威を借る狐ではありませんが、学生時代に教師から戴いた『他人の人生を生きるな。自分の人生を生きろ。』という言葉を思い出しました。


その時は今とは少し違った気持ちで聞いていましたが、今はその言葉の意味を理解できていると思います。

ただ、まだ他人の人生を歩むような毎日ですが。


他人が・・・他人は・・・ということを考え行動するよりも、誰が見ていなくても卑怯なことはしない、なぜならそれは自分が正しいとは思えないからだというような精神で、『正しい』と思うことを自分で決めてきちんと歩めるのが立派な人なのでしょうね。



今日はこれでおしまい。

人と付き合うのは少し厄介で、時に楽しくて疲れることもあったり、癒されたりするものです。


厄介で疲れしか残らない人も時には居るけど、生きていく上ではどんな付き合いでもある程度必要な時があります。



私は友人の付き合いは基本的に一人ひとりとしかかかわらないので、グループでの友人関係を維持するのが苦手です。

もともと『グループとして』皆と付き合いがある場合はそれでも大丈夫なのですが、繋がりのある友人を一人ひとり招いての買い物やパーティーとなると、友人の一人ひとりとで私が取っている態度が違うので、どの態度で挑めばいいのか分からず疲れます。


実際どの友人との付き合いにも本質的に殆ど差はないのですが、私の中で友人とどのように付き合っているのか別の友人に見られるというのはとても恥ずかしく不快で、不安なことです。


書いていて明確になりましたが、私は誰かに甘えたり媚びたりしている自分をその時の第三者に見られるのが非常に恥ずかしいと感じるようです。

あと、第三者がいるところで失敗を怒られるのも嫌いです。

つるしあげられたような気分になり、自分の失敗は棚に上げて逆恨みしそうな勢いで嫌いです。

羞恥心を利用して、部下の仕事の上達を促す叱り方というよりは、上司の自尊心を満たす自己満足に近い気がします。

もちろんその叱り方でめきめき上達する人もいるでしょうし、良かれと思ってそういう叱り方をしている上司もいるかもしれませんが。。。

私は恥ずかしい自分を、直接は関係のない人にまで知られるということがとても耐えられません。

幼稚なプライドです。


こうやって日記を書いて胸の内を公表しているのも同じじゃないかと思われるかもしれませんが、実際に見られているよりずっとましです。

ただし、それを許し合える間柄にある人か、流れる大多数であるかに限りますが。

この間、一人としてお付き合いしてる方が普通だよねと、友人に言われました。

グループでいる時の私はいつもに増して落ち着きがなく、ふらふらしているように見えるらしいです。

かまってもらいたがりなので、友人とグループ行動していると、誰かと二人で話していない限りふらふら行動してしまいます。

そういうのを観察/考察されるのが嫌いなので二人で会う方がやはり好きです。



私にとって友人は皆それぞれちょっとずつ役割の違うカウンセラーと同じなことに最近気づきました。

皆それぞれ大切な人たちです。



少し変わりますが、自分のことは自分が一番知っていたいです。

私の場合これは多分言い訳をしたいからです。


誰かにショックをもらいたくなら自信をつけるしかないのは分かってるのに。


頭でっかちの怖がりです。(´・ω・`)


もう言われたくないなあ。

やる気ない。

自信もない。


とメールしたら、友人から『 私はできる!って思いこんで暗示かけるしかない。 』ってメール着た。


その通りだなあ。

自信に満ち溢れて、自分の理想を嘘偽りなく行動できる魅力的な人間になりたい。



もじもじめそめそしてても意味がない、どんどん自分が嫌になってくだけだ。

直接話してもいない知人から、「 現状は、別の知人から聞いてます。良い方に行くこと願ってます。 」

と、メールが着て、嬉しいと同時にとても複雑な気分になりました。


知らないところで、私が生きてる感覚が少し変な感じと、現状が現状なので『知人が聞いた話』は、私にとって都合が悪いようなことだろうと見当がつくので、自分から現状報告した場合よりもずっと惨めに感じます。


そんなふうに思って欲しくてメールしてくれたわけではないとわかっているので、どうしようもないのですが。


こんなことでも、いちいち考えてしまい、受け流せないです。



今でも親に何度も言われるし、昔から被害妄想が激しいと自覚していますが、その被害妄想の始まりは妄想で始まったわけではないので根が深いのです。

事実があるから始まるわけで。


それから、今でこそというものが沢山ありすぎて。


今も昔も人を試す性格であるのは変わっていないと感じます。

昔は非常に攻撃的な性格だったけれどその本質は、性格の角が多少丸くはなっても変わってません。



譲れないのなら、強くなる他はなく。


正しいと思うのならそれを他人に押し付ける必要はなく。


それが善意であるのなら見返りを求めるものではない。



二週間前からまたずいぶん気持ちが変わってしまいましたが、自分が前だと思う方向へ匍匐前進でも進みたいと思います。

私が私でありたいと思えるように。

逆切れも良いとこというか、周りからしたら完全逆切れに近いことで最近怒ってます。


周りの人の基準からしたら大したことでもないというか、個人の問題にも首を突っ込みたがる私なので、他人のことはそっとしておくべきだと周りに諌められても聞きたいことはしつこく相手に聞いてます。


正直かなり私は陰湿な人間なので自分でもどうかと思うこともありますが、そう言った時に回答を得られないと怒らずにはいられないのです。


自分自身が秘密であることに耐えられない人間なので、他人にさまざまな共有を強請ります。

だれしもが秘密を持っていることくらい私でも分かります。

しかしそれが大き過ぎる秘密でなく、自分が知りたいことであれば知りたいと何時も思っています。


全てをさらけ出して友人付き合いができることが一番理想だと思ってます。(よほど人ができていても難しいでしょう)

しかし、友人であっても秘密にすることがあることが当り前なのもわかってはいます。

もちろん私も、個人の友人に対してあえて言わないことはあります。

聞かれればほぼ答えますし、何を言っても今までの関係を続けられるなら自分が覚えている限りどんな些細なことでも何でも言えると誓えます。

なので他人に秘密だといわれると気になって仕方がなくなるのです。


自分が思っている仲の良さと、友人が思っている仲の良さ。

自分が取る友人への対応、友人が取る自分への対応。

これらに個人の差異があるのは理解しています。

納得はしていないですが。


しかし、自分が求める友人の対応が自分が同じことを要求された時と同じでなければ私は非常に強い憤りを感じてしまうのです。

たとえ相手が私に同じことを要求して来ずに、勝手に自分が友人に対し取っている対応であってもです。

それはおそらく、相手が自分と同じようにしてくれるだろうと思って友人に対して行動を取っている気持ちが一部にあるからでしょう。


自分が期待することを相手がしなかったからといって怒ってはいけない。

と、思ったりもしますが、怒っている時はそんなことを考えている余裕はありません。


他人に過剰に期待するから、たとえそれが大したことがないことでも裏切りだと感じてしまうのだと思ってます。

要するにこの他人に期待をするということを止めてしまえばずっと楽なのですけど。



この間、ある友人の秘密に対し怒っていることについて別の友人に話を聞いてもらっていたら、横で聞いていた友人の知人が、「それはどうかな。」と言われました。

同意してくれるような内容ではないことは分かっているけれど、あえてそれは言われたくないです。


もういつも「自分は~ということで傷ついた。」と別の友人に報告するのも馬鹿らしいと思いますが、人を変えて何度も話を聞いてもらわないと落ち着けないのです。

そのために他人に不快な思いをさせていることもあると思います。


昨日は聞いている友人の方がつらそうな顔で聞いてくれて、なんか自分で話していてもっと深刻に思えてきて苦笑いしました。


結局人に自分の何かに対する理不尽な怒りを話すということは、私自身が私の醜い部分を他人に認めろ、こんな私とでも付き合えと言っているのと同じで、それは非常に傲慢なわけです。

とても他人からしたらしょうもないことで怒っていましたが、ただこの怒りを聞いてもらいたいから話している、という気分から話している途中で自分の傲慢な面をこの友人の知人であるだけの人に聞かれている、ということが段々不快に感じられました。

やはり誰でも入ってこれるようなリビングで話したことは失敗でした。

(話し始め,た時には友人の知人はリビングにいませんでした。)



でもやっぱり、理不尽であるだろうということは分かっていても怒ることは止められないです。

友人が秘密にするのは友人の勝手ですが、それによって私が怒ることもまた『私』にとっては私の勝手だと思っているので。

警察に届けるような被害があるのなら別ですが。