ひさびさ ネットのいい話 8 父の封筒 | 今日の嫌韓・嫌中の極秘・情報と、安倍さん麻生さん応援!

今日の嫌韓・嫌中の極秘・情報と、安倍さん麻生さん応援!

今日の嫌韓、嫌中、の本日の極秘・情報&速報の毎日配信と、応援する!安倍さん麻生さん最新情報を毎日配信しています。

 ひさびさ ネットのいい話 8  父の封筒

 たまにゃ家族で より

88 名前:呑んべぇさん 投稿日:02/05/20 03:02

俺の両親は3歳の時に離婚した。 

親父の暴力が原因だった。 

親父の顔は覚えてないけど殴られた事だけは覚えてた。 

母は親父の話をするといつも嫌な顔をした。 

 

そんな母が。俺の二十歳の誕生日に親父の連絡先を教えてくれた。 

「会うかどうかはお前に任せる」 そう言って。 

 

まぁ電話して会う事になって、17年ぶりに親父の顔を見た。 

俺はバカだから、何を話していいかわからなくてブン殴ってしまった。 

自分が何て叫んでたかはちゃんと覚えてないけれども、 

周囲の人間の目を気にしないで、自分で殴り飛ばした親父の胸で泣いていた。 

延々と泣いてる俺の肩を掴んで、親父は一言「お前はもっと痛かったんだよな」って。 

そう言って俺が殴った頬をさすりながら真剣な顔で俺を見ていた。 

それでまた泣いた。 

 

 

落ち付いた後、親父と酒を飲んだ。どうってことない普通の居酒屋でだ。 

今何をしてるか。母が元気かどうか。再婚した親父の家庭は上手く行ってるのか。 

そんな話をしながらずっと飲んでた。 

 

帰り際に「母さんに渡しといてくれ」と言って俺に封筒を渡した。 

帰って母に渡したが、俺はしばらくそれが何か知らなかった。 

 

 

俺も今は27で、社会に出て、結婚もして。そこそこの生活はしていると思う。 

最近、親父が死んだと聞いて、その時は悲しいけれど不思議と涙は出なかった。 

あの時さんざん泣いたせいなのかなー、とかドライに考えてた。 

 

が。 

 

母にあの時の封筒の中身が何だったのかその時聞いた。 

俺名義の口座の通帳だったらしい。 

一緒に酒を飲んだ時、親父は「今の家庭は上手く行ってるよ」なんて言ってたが、 

母に聞いたところ、再婚はせずにずっと一人で暮らしていたらしい。 

毎月、給料からその口座に一定額入金していたらしく、通帳には綺麗に同じ金額が並んでた。 

(後で記帳したら、親父が死ぬギリギリの月まで、毎月毎月入金されていた) 

 

その話を聞いて、はじめて泣いた。 

葬式では、その時よりも親父を殴ったときよりも、もっともっと泣いていた。 

 

 

親父が再婚したなんて嘘をついていた理由はわからないままだったけど。 

ありがとう。そう素直に思った。 

 

息子の名前は親父から一文字、嫁さんから一文字もらって「優吾」にした。 

親父みたいに暴力は振るわないつもりだけど、俺が親父に感謝したように、 

俺も息子に感謝されるような育て方をしたいと思う。ありがとう親父。 

 

思い出してホローリくる家族との思い出Part2 より

667 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:02/06/06 15:50 ID:N+00+8yK

5年前のこと。 

妹が短大を中退した。 

たいした理由はなく、なんとなく短大をサボりがちになって 

このままでは2年間で卒業できないのが明らかになったから。 

かなり無理して妹の学費を用意した父は激怒。 

妹は家を出て行くように言われた。 

それから2週間で妹はアパートと契約社員で雇ってくれる会社を探し、 

家を出て行く準備を整えた。 

その間、父と妹はほとんど口をきかなかった。 

妹が家を出る前の日の夕食はオムライスだった。 

母は私と一緒に夕食の準備をしながら妹にいった。 

「お父さんの手前、赤飯を炊くのはできないから 

オムライスにしたの。赤いごはんは同じでしょ。 

自力で会社も探して引越しの準備もして、偉かったね。 

これはあんたのちゃんとした門出なんだから 

お母さんはお祝いするわよ」 

妹はすこし泣き、その日オムライスを2皿食べた。 

父はオムライスを食べなかった。母の意図がわかったらしい。 

 

去年、妹が結婚相手を連れて帰ってきた。 

父は何事もなかったかのように妹と婚約者を歓迎した。 

そして、札束の入った封筒を妹に渡して言った。 

「お前の短大の学費が1年分余っていた。 

好きに使え」 

その日はまたオムライスだった。 

 
           
つづきは → こちらへ