鳩山氏、首相VS小沢氏の仲介役を志願
社会保障・税一体改革関連法案をめぐり野田佳彦首相と民主党の小沢一郎元代表の対立が先鋭化する中、鳩山由紀夫元首相が仲介役に乗り出す意向を示した。
鳩山氏は13日夜、都内で記者団に「いつの時点かに首相としっかり議論をしたほうがよい。執行部の中には党を壊したい勢力があるが、党を壊してはいけない」と述べ、首相と会談し党の結束を働き掛けたいとの考えを示した。
だが最近まで一体改革関連法案への造反をにおわせていた鳩山氏。仲介役を買って出てもかえって事態をこじらせるだけに終わる懸念も消えない。
“2012/10/02たぶんこれ日本人自身の中にも勘違いしてる人多いと思うが
歴史をさかのぼればわかるけど、そもそも日本が大陸に進出したのは
なにも自分から好き好んでというより、そうせざるをえなかった
いわば必然性があってそうなっただけだから。
チャンコロ、すなわち当時の清のアホが、犬のごとく欧米の尻馬に乗って
調子こいて日本を挑発し威嚇してきたのがすべての元凶。
少なくとも1880年代においては、清の海軍力は欧米の助けによって日本のそれを凌いで
いたと認識されており、これを背景にしていずれは日本に対して軍事的に
圧力をかけてくることは必至であり、その状況はまるで今現在の両国とそっくり。
チャンコロは自分よりつおい者には犬のごとくへつらい、逆にちょっとでも弱みを見せるならば
どこまでも付け込んでくる、中身はまるでチョンコそのもの。
以下は実際に1886年代に長崎で起こった事件だがこの事件の顛末を見れば
先にちょっかいを出してきたのはチャンコロなのであり、また当時の両国の力関係もよくわかるはず。
長崎事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%B4%8E%E4%BA%8B%E4%BB%B6
1886年(明治19年)8月1日、清国海軍の北洋艦隊のうち
定遠、鎮遠、済遠、威遠の四隻の軍艦が長崎港に艦艇修理のためと称して入港した。
8月13日、500人からなる清国水兵が勝手に上陸を開始。遊廓で登楼の順番をめぐる行き違いから、
備品を壊したり暴行を働くなどのトラブルが起こり、長崎市内をのし回り、商店に押し入って金品を強奪。
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